日本人の心と宗教

 

人間には闘争心と言うものがある。いや動物にも、植物にも自分の住む領域を守り、さらに拡げたい ・・・ その上、人間には勝ち負けを好む性癖がある。その意志が働いて、他人、他者、他国を侵害すれば、相手は対抗意識が生じて争いとなり、戦いとなる。人間の歴史は将にその戦いの足跡だと言っても過言ではあるまい。

わが国日本の歴史を見ると、「斯くあるべきが誠の生き態(ざま)である」と言う日本(ヤマト)族と、「このままの生き態(ざま)で宜い」と言うアイヌ族の間に、考え方の違いによる軋轢が長く続いたようである。古代、日本(ヤマト)族は、太陽というお陽様の光と温みをいただき農耕にいそしむ生活をしていた。これは大霊女貴神(オオヒルメムチノカミ)即ち天照大神が教え、示した道である。ところが農耕は種を採り、それを蒔き、稔る日を待つという気長な生活です。一方、獣を獲り、鳥、魚類を捕ってすぐに食べられる生活を捨てろというのかと大霊女貴神の言葉に従わぬ人々を指して、"合わぬ"、"合えぬ"、"アイヌ"と(ある地方で)言ったのであって、アイヌ族の種族を指して言った言葉ではない。

太陽の光と熱の強い下での生活を長く続けていると、眼は大きくとびだし、肌は焼け て黒くなるのは自然である。反対に太陽の光と熱の弱い處の生活が長く続くと、眼は深く落ち込み、皮膚が白くなるのも自然である。温暖なところで、生活を長く続ければ皮膚の色が黒からず、白からずという種族が育つのも当然の事である。人間の種族は、長い人間の生活環境の違いから生じたもので、生活慣習が種族全体の外見、様子、有様など、また感覚、文化など、など ・・・ の違いを表すようになったと言われている。

大霊女貴神(オオヒルメムチノカミ)、後の天照大神(アマテラスオオミカミ)と言う方は、女ながらも、"人間の斯くあるべき生き態"を考え、人と同じように肉体を持ち、心の有る生き物を殺して食べる様な残酷な仕業は止めるべきだと諭されたのである。

天人熊(アメノヒトクマ)と言う神は、天照大神に、「米作り、野菜作りをしている人達の生活を見学してきなさい。」と命じられて、農業に励む人達を訪れた。その作業は決して清潔とはいえず、腐ったものとか、又糞尿を肥料として育てた作物を食べなさいと言われて大層怒り狂った。「こんな穢れた汚いものが喰えるか!」と仕え女を叱り、一撃の下に殺して仕舞う。高天原に戻った人熊命(ヒトクマノミコト)は、大霊女貴神(オオヒルメムチノカミ)に報告するが、大霊女貴神はこれを聞いて「何て酷い事をするのだ!」と大いに怒り、軍の旗(イクサノハタ)に封じ込め、愛宕の山に住まわしめるのである。いわゆる愛宕神社の神である。後に神武天皇ご東征のみぎり、弓の先に止まった鳶は軍(イクサ)の神として祀られた天人熊命の変身である。戦前、武功抜群の陸海の軍人に下賜された「金鵄勲章」は"愛宕神社の祭神の如し"という意味の褒章である。

さてさて、話が横にそれましたが、人間の生き態を示された大霊女貴神に、聖徳太子は神代文字を廃棄して、三韓が貢ぎの文字、即ち秦字(しんじ)と言える漢字を以って国字とし「天照大神」と謚(おくりな)するのである。

わが国の道、神道は天照大神に仕えた天思兼命(あめのおもいかねのみこと)、天太 魂命(あめのふとだまのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)によって記録された道であったが、皇室の即位の神事を掌握していた武夫部(もののふべ)=物部家が滅びると、天児屋根命の子孫、中臣御食子(なかとみのみけこ)が家に延々と伝わる宗源神道に、天思兼命、天太魂命の霊宗神道、斉元神道を中臣鎌子(後の藤原鎌 足)に掌握を命じ、今日に及び伝わり、皇室神事が繰り返し行われているのである。

仏教者は支那(中国)にその教理を学び、日本人に頻りに説教するが、日本の神道は皇室の神事を司るに留まって、一般国民にその教えを垂れる事なく今日に及んで いる。それ故に日本人は"皇室は尊ぶべし"、いわゆる年頭の皇居参拝、"神社は お詣いりすべし"、いわゆる初詣、神社の年中行事のお祭り、いわゆる祭礼のみ心に享けて、神道理念の真髄を勉強する場もなければ、風習すら絶えてしまっている。

聖徳太子は古来の日本の道、日本神道を「先代舊事本紀」という書物をもって後世に遺し給い、仏教を日本人に薦めたのではなく、神道を知らしむるべく、五十年の生涯を貫かれたのである。

 


伊勢参宮の旅


我々有志一同五人マイカーで「伊勢参宮の旅」に六月二日、一路伊勢志摩に向かってスタートしました。

まず、最初に「先代舊事本紀」(神代皇代大成経)を中臣御食子(なかとみのみけこ)が推古天皇の仰せで秘匿したという伊雑宮(イザワノミヤ)に参拝しました。御祭神は天照坐皇大御神御魂(あまてらしますすめおおみかみのみたま)です。皇大神宮(内宮)の別宮であり、磯部の大神宮さま、地元ではイソベさんなどと呼ばれ、恒例の祭典はすべて内宮に準じて行われ、二十年ごとに式年遷宮も行われております。

正面の鳥居をくぐると、右側にある宿衛屋をはさむように左と右に、異様な樹形を力強く表現している楠木(くすのき)の巨木が二本あります。その根元は幹の変形か、あるいはとてつもなく長い樹齢の勢いで、樹根が地上にせり出してきたものなのか ・・・・ ? 一見、マングローブの巨木の根元か、巨象の足か、巨大な璽(印章)のように見えるのだが ・・・・・。

  


しばらくその木の前に佇んでいると、太古の昔から日本の歴史の秘密を見つめてきた証を、不動の姿で誇示しているかの如く、妖しげに不思議な気を醸して、投げかけてきます。ご神木であるこの大楠木の樹齢は一体どの位になるのだろうか?

瑞垣(みずがき)、玉垣(たまがき)の御垣(みがき)にめぐらされた唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)の正殿の御前に立ち、古来、伊雑宮にまつわる故事来歴を頭にうかべながら、恭しく参拝。 


二拝、ニ拍手、一拝の最中、社殿を囲むこんもりと茂った森の梢から、突然未だかつて聞いた事も無いかん高い異様な鳥の声。 ・・・ その透明な鳴き声は辺り一帯に木霊(こだま)して森厳な、不思議な雰囲気をつくりだしました。「あの鳥は一体何だ!ひょっとすると神鳥の訪れか ・・・?」と思わずつぶやいてしまいました。

五十鈴川の清流に架かる宇治橋を襟を正して渡ると内宮への参道に入る。手水舎で心身を清め、千古の趣で立ち並ぶ鉾杉(ほこすぎ)の森厳を身に感じながら、石段をのぼると四重の御垣にめぐらされた内宮の正殿の御前です。例年、正式参拝を行っている我々一同、神官に御垣内に導かれ、正殿の御前で深々と頭をたれて、大御神にご祈祷いたしました。

  


神楽殿では大御神のご神恩に感謝の真心を捧げ、心願成就などのご祈祷の御神楽を奉奏していただきました。上古より神のお祭りである御神楽の儀、まずは神饌(しんせん)のお供え、祝詞(のりと)の奏上、笛、篳篥(ひちりき)、笏拍子(しゃくびょうし)で奏でる雅楽の幽玄な調べに舞う倭舞(やまとまい)、人長舞(にんじょうまい)の舞い姿の美しさ。大御神のご神慮をお慰め申し上げ、願意をこめてご祈願いたしました。


大御璽(おおみしるし)である大麻(御神札)とご神前にお供えした神饌(お神酒、鰹節、するめなど)を戴き、内宮を後にして外宮に向かいました。

豊受大神宮(外宮)のご祭神、豊受大御神は天照大御神の御召し上がりになる大御饌(おおみけ=食物)をつかさどられている守護神であり、広く衣食住を支える産業をお守りくださる神様ということです。

社殿は内宮とほぼ同じ、ご正殿を中心に瑞垣(みずがき)・内玉垣(うちたまがき)・外玉垣(そとたまがき)・板垣(いたがき)の四重の御垣にめぐらされた、日本最古の建築様式である唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)を現代に伝えております。

ご神徳を仰ぎ、ご神慮に感謝の心を以って恭しく参拝しました。

投稿者:宮代勢一


解読者、須藤太幹のつぶやき!!

 

解読者・須藤太幹

 

「神ながらの道」を求めて、高橋伸典の門下に身を投じて以来、神道家として六十年、ただ一途に、「古事記」、「日本書紀」を手にして読みつづけること三十年、平田篤胤、本居宣長の書を、次々と読み漁り、近くは山田孝雄先生、黒板勝見先生方の知識を吸収し、遂には、"言霊の妙"に魅せられてその究明に没頭したのである。

後年、高橋伸典が死の直前、あえぐ息の下から私に、「青山、お前は舊事紀と言う書物を知っているか、宮東は偉い本を読んでいるぞ」、「宮東は、その書を俺は持っていると言ってるぞ!」と呻くように言った。これは、私に遺した伸典最後の言葉であった。

宮東斉臣はこの「奮事紀」の重要性を、飽くことなく説き歩いていた人で、後年、(「先代舊事本紀研究学会」の成り立ち)に紹介してあるとおり、宮東斉臣編「鷦鷯伝(ささきでん)先代舊事本紀大成経」が刊行されている。

恩師伸典の没後、宮東斎臣の書斎を訪れて、驚愕したことに、この書「舊事紀」 は既に亡失して、この世にはないと言われ、たとえ在ったにしても、一部分と 言われていた「舊事紀」が後世に伝えられるべくして、全巻整っていた事である。彼はこの「舊事紀」を自分の配下のブレーンの人力を総動員して、全国から全巻かき集め、研究を始めていたのである。

伸典死して二十三年、病魔に侵された斉臣が私に、「解読するのは、もう あんたしか居ないんだ!」と、しわがれた声でのあの絶叫は、私の耳元からいまなお、消え去る事は無い。

この「先代舊事本紀」は日本民族のみならず、国籍を超越し、宗教を超越して世界の多くの人々が手にして、子々孫々まで、読んでいただきたい神典なのである。

聖徳太子十七条五憲法にも説かれているように「和をもって尊しとし、忤らうことなきをむねとせよ」と人間の生活には、和がもっとも必要であると強調されているとおり・・・・・・・・

 

舊事紀原書

 

舊事紀解読書全九巻


 

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first Updated on Dec 25th, 2001