先代舊事本紀[さきつみよふるごとのもとつふみ], 即ち、神代皇代大成経[かみつみよすめらがみよのふとなしのふみ]は推古朝の摂政の宮、聖徳太子の編録せる、全巻七十二に及ぶ神典である。

 

 その内容は 〜

*宇宙の生成

*天地の開闢

*神々の生誕

*神代九代の経過

*皇統と王統の流れの別

*去来諾[いざなぎ]、去来冊[いざなみ]、両神の国産み、神産み

*三貴神 [天照大神(あまてらすおおみかみ)、月誦尊(つきよみのみこと)、 服狭雄尊(すさのおのみこと)、の生誕に伴ふ、大日霊貴神(おうひれめのむちのかみ)、亦の名を日返照大神(ひのあまねくてらすおうかみ)、又の名を 天照大神を中心とする高天原(たかまがはら)の営み

*三貴神の一柱なる服狭雄尊父子による地上の開発、 その足跡は、遥か西域に及び、高天原と出雲国の統合

*文字および言葉の成り立ち

*再度の天孫降臨、 天孫尊[あめみまのみこと]三代を経て、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)の勇力に、先に降臨せる天孫一族を合体、然して天日継(あまつひつぎ)して、都を大和は畝傍山(うねびやま)の東南に開き、人皇が初代となる

 

 爾来、推古天皇に至る一千二百五十年有余年に渉る治績を、在りし儘を詳細に 記して居り、後日の記録に成る、古事記や日本書紀を以ってして、遥かに及ば ざる記述は、唯唯、驚嘆の極みである。

 日本書紀の記述の中に  「推古天皇の二十八年、皇太子、島の大臣[蘇我馬子](そがのうまこ)共に議りて、天皇記、及び、国記[くにつふみ]、臣連[おみむらじ]、と伴造[ともみやつこ]、国造[くにみやつこ]、百八十部[ももやそとも]、併せて公民等[おうみたから]の本紀[もとつふみ]を録したまふ。」と認められているが、この日本書紀の文献は、後日、蘇我入鹿[そがのいるか]が誅に遭い父親の蝦子[えみし]が自宅に火を放ち、亡滅せるとき、家臣の船史恵尺[ふねのおびとえさか]が、燃え頻る火中より取り出せる、曽我家の家禄である。

 先代舊事本紀の記述には  吾道 [あじ] 物部 [もののふべ] 忌部 [いんべ] 卜部 [うらべ] 出雲 [いずも] 三輪 [みわ] なる六人が、名家の家禄を提出させ、更に、平岡神社、阿波神社に秘蔵されて居た土笥(はにばこ)、二つの中から、饒速日尊[にぎはやひのみこと]の 御長子、天隠山命[あめのかぐやまのみこと]の記せる神代の秘事を知る事を 得て、聖徳太子が親ら写し取られたものである。故に、日本書紀の記述は、 総べて、先代舊事本紀の中に記されている。

 旧事本紀の記述の終了した、推古二十八年十一月、 聖徳太子は「折角の之が紀(ふみ)、久しからずして亡失の 怖れあり」と申され、翌年の二月五日、后の膳大郎女(かしわでのおういらつめ)と共に枕を並べて急逝される。 この事態は、推古天皇のこの上なき驚愕であった。故に天皇は、 中臣御食子(なかとみのみけこ)を、伊勢に遣わし、天孫大神に、 「此の録、如何なる方便にて失わざるを得んや。」と問はしめ 給うた。

 「是れ、皇天[すめあまつかみ]が行いなり、是れ皇天が作なり。 古の天の皇天(天照大神)、新天の大王(聖徳太子)が誠なるかな、 神代皇代大成経(かみつみよすめらがみよのふとなしのふみ)、之れ 神祠(かみやしろ)に秘さば滅ばざるべし。天皇は善きや、皇大神に代わり奉りて之に答ふるなり。」天孫大神(ににぎのみこと)は、斯くご神託を下されている。

 斯くの如く、神意を窺い、神示に従って、「是を五十鈴宮(いすずのみや)に、大三輪宮に、及た(また)、四天王寺に秘せるは、焉(これ)、諸(これ)を宮中の日月と為(な)し、而して、窮まり無き世を、照さんと欲(おも)ふ所以なり。」と推古帝の親筆は結ばれている。 

 斯くて依り、千年を経て、この秘録が巷間に出たのであるが、何故に千年後に及んで出たものであろうか。如何に神書とは言え、秦漢の影響を受け、太子が指導の下に作られた筆墨を以って、百済より移住せる職人達に漉か令(し)め給ふた和紙に記されたものである。千年もの永きに渉っては、如何に厳重に秘蔵されたりとは雖も、湿気やまた暖気に、容器は朽ち果て、虫の餌食になるは自然である。 

 宮に仕える神職として、寺に侍る住職として、今にも朽ち果てんとする重宝を、其の儘に放置出来たであろうか。当然、是が保存の為の手段を講じねばならぬ。然も、千年にも及ぶ神書は、手を触れるのみで、其の形は損なわれた事であろうし、真本ならずとも、せめて書写する事に依って、其の内容を留め置く事は出来ぬか。斯く思ふのは、極めて自然である。

 然して、書写せる神職達は、書写の時間を重ねる裡、その内容は、 声なき声を発しつつ彼らの魂に語りかけ、呼びかけた事であろう。 然して、書写する事が、神に仕え、神意に応え奉る事なりと、夢中になって書写したであろう事は、何人たりとも否定の出来る事では 無い。

 正に、将に、将に斯れ神宝なり、神典なり。これを筆録なされ給ひし御方は、やんごとなき御身の天子なり。女性の天皇様に代わり奉り、摂政の宮とありし聖徳太子が、御生涯を懸け給ひし神宝なり。 宮に寺に、秘宝、神宝ありとは謂え、斯くほどに尊くも得がたき宝なしと、余りにも尊い大仕事に、さしもの神職も住職も、身は慄き、打ち震える腕と指に、無意識の内にも力の込められた事であろう。

 

本書より一部抜粋
(解読者・須藤太幹  序文”解読に当りて”より)

 


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first Updated on Dec 25th, 2001