湘南モーツァルト愛好会
講演:モーツァルトのピアノ・コンチェルト(2)講演 井上 太郎 会長<当日のプログラムより> 前回はモーツァルトのピアノ・コンチェルトの歴史的位置づけと、1783年までに書かれた作品についてお話ししたが、今回は1784年の作品について触れることにしたい。 1784〜85年はモーツァルトのピアノコンチェルトがウイーンで最ももてはやされた時期に当たっており、1784年2月9日に完成された第14番から1785年3月9日完成の第21番までの8曲が、わずか1年1ヶ月の間に書かれたわけである。以下にそれを表示しよう。
これを見ると8曲のうち6曲が1784年に書かれており、その内の5曲が月曜日に完成されている。モーツアルトはこの頃「自作品目録」を書き始めており、日付の記載は後になるとあやしいものもあるが、この頃は正確だと考えられる。それにしてもなぜ月曜日が続いているのだろうか。偶然にしては多すぎないだろうか。こんな処にモーツァルトの作曲のスケジュールの謎が隠されているのかもしれない。 2月、3月に完成が集中しているのは、この時期は、復活祭前の四旬節にあたっており、オペラは上演されていないので、人々はその代わりにモーツアルトのピアノ・コンチェルトを聴きたがったのである。つまりモーツァルトのピアノ・コンチェルトは、言葉の少ないオペラとして人気を得たと言えるのだ。 モーツァルトの演奏と研究で知られるロバート・レヴィンは「モーツァルトの声楽作品と器楽作品との間に見られる形式上の類似は注目に値する」と言っている(The Mozart Compendium.London,1990)。 つまり同時代のハイドンやクリスティアン・バッハのコンチェルトが、似たような性格の楽想を次々と並べているのに対し、モーツアルトのそれは、オペラの登場人物さながらの、際立って性格の違う楽想の主題を出してくるのである。 これはモーツァルトのピアノ・コンチェルトの最大の特色である。この点についてレヴィンはこう言う。「多くの点でモーツァルトに負けまいとさまざまな道を探ったベートーヴェンでさえも、コンチェルトではモーツァルトのそれを真似ることはしなかった。多分それらのすばらしいモティーフが、あまりにも複雑だったからであろう。周知のように、ベートーヴェンのモティーフの構造と使い方は、ハイドンの実例にそくしており、モーツァルトのメロディーの過剰は、放逸とさえ見えたかも知れない」(前掲書)と。 このようなオペラと言ってよいモーツァルトのピアノ・コンチェルトの性格は、探れば探るほど実に興味深い。 モーツァルトの1784年2月〜4月のスケジュール (この年の四旬節は2月25日〜4月11日) −−−−−−2月−−−−−−−−− 26日(木)ガルツィン公邸 −−−−−−3月−−−−−−−−− 1日(月)エステルハージー伯邸 4日(木)ガルツィン公邸 5日(金)エステルハージー伯邸 8日(月)エステルハージー伯邸 11日(木)ガルツィン公邸 12日(金)エステルハージー伯邸 15日(月)エステルハージー伯邸 17日(水)個人演奏会(トラットナー邸) 18日(木)ガルツィン公邸 19日(金)エステルハージー伯邸 20日(土)リヒター邸 21日(日)個人演奏会(ブルク劇場) 22日(月)エステルハージー伯邸 24日(水)個人演奏会(トラットナー邸) 25日(木)ガルツィン公邸 26日(金)エステルハージー伯邸 27日(土)リヒター邸 29日(月)エステルハージー伯邸 31日(水)個人演奏会(トラットナー邸) −−−−−−4月−−−−−−−− 1日(木)個人演奏会(ブルク劇場) 3日(土)リヒター邸 |
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