| 第84回例会の内容紹介 |
平成16年6月13日 14:00 藤沢リラホール |
| 曲 目 解 説 |
♪モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540 1788年3月19日に完成されたこの曲は謎めいている。ロ短調の曲はこれしか書かれておらず、どういう目的で書いたのかもわからない。しかしこの曲の持つ不思議な情感はモーツァルトの他の曲には求められないものだ。 ヒルデスハイマーは「この作品は、ひとつの感情的な実質を内包し、ひとつの内的な出来事の音楽的転位を示していると、わたしには思える。その出来事は音楽外的な現実で生じだのではない。それだけでもう、それを言葉で語ることはできないのである」としている。 ♪モーツァルト:ピアノ・ソナタ 変□長調 K.570 1789年2月に完成されたこのソナタと、1788年3月に完成されたK.540のアダージョと比較すると、モーツァルトの作風の変化がわかる。1788年はいわゆる「三大交響曲」が書かれ、歌劇《ドン・ジョヴァンニ》がウィーンで初演された年だが、この頃「彼の音楽は一部の音楽通にこしか理解できない難解なもの」とされていた。それで彼はわかりやすさを念頭に、このソナタを書いたと思われる。しかし主題の単純さにも拘らず、その処理にはやはりモーツアルトならではの巧妙さがうかがえる。 ♪リスト:モーツァルトの歌劇 《ドン・ジョヴァンニ》の回想 フランツ・リスト(1811−86)は急速に進歩したピアノの性能をフルに生かすために、おびただしい数の編曲を残している。その中にはベートーヴェンの全交響曲のピアノ版やオペラの「さわり」を編曲したものがある。 この曲もそのーつで、1841年に書かれ、コペンハーゲンへの演奏旅行の際、デンマークの皇帝に献呈された。 無気味な開始は、第2幕第11場の月夜の墓地でし騎士長の石像がドン・ジョヴァンニに告知するところで、続いて晩餐に招かれた騎士長が現れる場面となる。 次はがらりと変わり、第1幕第9場のドン・ジョヴァンニとツェルリーナの甘美な二重唱である。しかし再び騎士長の呪いの場面の音楽に変わるが、それらに有名な「シャンパンのアリア」などが配されるという具合で、オペラの筋とは無関係なごった煮のような曲である。 ♪ラヴェル:ピアノ三重奏曲 イ短調 モーリス・ラヴェル(1875-1937)はドビュッシーやフォーレと時代を同じくするフランスの巨匠だが、彼を有名な《ボレロ》(1927)だけで理解するのは間違っている。今日演秦されるピアノ 三重奏曲(1914)のしみじみとした美しさと洒脱さをぜひ味わって頂きたい。 これが書がれたのは第一次大戦の始まった頃で、一兵士として招集される令状が来るまでの間に、音楽的な遺言となることを考えて全力を傾けて青いたと言われる。 第1楽章の主題はバスクの民謡を思わせる美しいもの。 第2楽章は「パントゥーム」と題されている生き生きとしたスケルツォである。 第3楽章は「バッサカイユ」と題されて重々しい。第4楽章は軽やかな終曲である。 ♪モーツァルト:ピアノ三重奏曲 ト長調 K.564 1788年10月完成されたこの曲にアインシュタインは同種の3曲の中で最も低い評価をしている。第1楽章は簡潔なソナタ形式。第2楽章は変奏曲で、主題は12歳の時に作った歌劇《バスティアンとパスティエンヌ》からとられたもの。第3楽章のロンドが最も聴きどころだろう |
| 出演者のプロフィール |
長谷川さち子(ピアノ) 静岡県出身。83年、日本ショパン協会主催デビュー・リサイタル。89年、カーネギー・リサイタルホールで米国デビュー。82年、西ドイツ・メンデルスゾーン・コンクールで日本人初優勝。89年、ニューヨーク・ショパン国際コンクール優勝など。第5回同コンクール審査員。ベルリン交響楽団を始め主要楽団と共演。 花崎淳生(ヴァイオリン) 東京芸術大学及び同大学院終了。在学中、芸大バッハカンタータクラプに所属。小林道夫氏の指導を受ける。 86年−87年、カールスルーエに留学。97年度「村松賞を古典四重奏団として受賞。「エルデーディ弦楽四重奏団」「古典四重奏団」のメンバー。 花崎 薫(チェロ) 79年、東京芸術大学在学中、DAADドイツ政府留学生として西ベルリン芸術大学に留学。別年、同大学卒業後、東京芸大に復学、83年芸大卒業。81年、第50回日本音楽コンクール・チェロ部門第3位入賃。現在、新日本フィルハーモニー交響楽団の主席チェリスト。 |