| 第104回例会の内容紹介 |
平成20年1月20日(日)午後2時より 鎌倉市福祉センター |
| 曲 目 解 説 |
この作品の作曲依頼は1774年夏、つまりモーツァルトが18歳の時、バイエルンの選帝侯マクシミーリアーン・ヨーゼフV世から受けたのものである。 ミュンヘンでの初演のときにはイタリア語でレチタティーヴォつきでおこなわれたが、その後、ドイツ語に訳され、レチタティーヴォではなく、台詞をまじえた上演、つまりジングシュピールの形で舞台にかけられることが多かった。これは初演の4年後の1779年にザルツブルクに来たヨハネス・べームのひきいる旅回りの劇団の気にいるところとなったからで、タイトルも《恋の花作り》に変わっている。この改変にモーツァルトがどれほど関わったかはハッキリしない。 作曲は9月から始められたと考えられ、モーツァルト父子が最後の仕上げのためにミュンヘンに旅立った12月6日にはかなりの部分が出来上がっていたと思われる。 初演は12月中に行われる予定だったが、翌1775年1月13日になった。その翌日モーツァルトは故郷の母親に次のように書き送っている。 「とてもいい出来だったので、その評判はママには説明できないほどです。第一に、劇場は大入り満員で、大勢の人が引き返さなくてはなりませんでした。 ひとつのアリアが終わるごとに、いつも拍手と驚嘆のどよめきと、マエストロ万歳の叫び声です。選帝侯妃殿下も太后も(ぼくの向かい側におられて)ぼくにブラヴォーと言われました」(高橋英郎訳) このミュンヘンでの上演について同時代の音楽評論家クリスティアーン・フリードリヒ・ダニエル・シューバルトは次のように書いている。 「私はまた驚くべき天才モーツァルトのオペラ・ブッファを聴いた。≪偽の女庭師≫という作品である。天才のきらめく炎がそこかしこにひらめいていた。 だが、それはまだ香煙の雲となって天にまで立ち昇っていく静かな祭壇の火ー神々にとって好ましい香りーではない。もし、モーツァルトが温室育ちの植物ではないとすれば、彼はかつて生きたもっとも偉大な作曲家の一人となるにちがいない」(海老沢敏訳) この指摘は先見性に富んでいるが、≪フイガロ≫以降の傑作を知っているわれわれにとっては、7人の登場人物のメリハリの乏しさに、もどかしさを感じてしまう。 全体は入り組んだ恋愛滑稽譚だが、アインシュタインによると、台本の版本には、この7人を、まじめな役と、おどけた役に分けて書いてあるという。つまりオペラ・ブッファにオペラ・セーリアの要素が入り込んでいるのである。ところがこの2つの要素が、うまくかみ合っていない。そこがこの台本の弱点なのだ。 しかしこういった弱点にもかかわらず、個々の曲は十分に書き込まれていて後の傑作へと成長して行く要素が少なからず認められる。とくにオーケストラが雄弁になっている。それはこの演奏の映像でも味わうことが出来る。 市長ドン・アンキーゼは、込み入った恋愛関係で最後に貧乏くじを引くのだが、その最初のアリアで愛の喜びと苦しみを音楽に喩えて唱う。「私の耳に響く快い音楽は、フルートとオーボエ、喜びにみちて」と唱うと、フルートとオーボエが応え、「ヴィオラの不吉なメロディー」と唱うとヴィオラが応えるといった仕掛けになっている。後半アレグロになると、「トランペットとティンパニ、バスとファゴットの狂騒は心を狂わせる」と、これらの楽器とともに唱う。レーオポルト好みのアイディアだが、古楽器の演奏を見ていると、当時の聴衆がオーケストラを聴くだけでなく、見て楽しんだことがわかる。 第1幕のフィナーレは、からみあった恋愛関係を唱う長大な七重唱曲である。 第2幕になるとオペラ・セーリア風のアリアが入ってくるが、滑稽なアリアもある。唱うのはヴィオランテの召使で、庭師ナルドと名乗っているロベルトである。彼は市長の小間使いのセルペッタを口説こうと、口説き文句をイタリア語、フランス語、英語と変えて唱うのである。 第2幕では主役のベルフィオーレ伯爵が、女庭師に成りすましているヴィオランテ殺害容疑の逮捕状が届くという事態になる。これが事実ではなく、ベルフィオーレとヴィオランテの結婚が実現しそうになると、伯爵との結婚を夢見ていたアルミンタ(市長の姪)は、召使に命じて二人を夜の森に捨ててしまう。この場面は恋の葛藤と、暗闇で相手のわからぬ滑稽さとがまじりあった七重唱である。最後に主役の二人は気がおかしくなり、第3幕になると古代ギリシアの人物になった気になるのだが、一眠りすると正気に戻る。そして最後には、市長以外のカップルはすべて好ましい結果になり、万々歳で終わる。しかしこのあたりはいささか不自然で、このオペラの弱点になっている。 |