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第106回例会の内容紹介


四方 恭子ヴァイオリン・リサイタル

平成20年5月18日(日)午後2時より   藤沢リラホール 

プログラム

出演:

四方 恭子(ヴァイオリン)      
上野 真(ピアノ伴奏

曲目:

♪モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ハ長調 K.296
♪ドホナーニ  ヴァイオリン・ソナタ 嬰ハ短調 作品21 
♪バルトーク  ヴァイオリン・ソナタ 第2番 Sz76
♪モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 K.481


当日のプログラムより

曲 目 解 説
                                    井上太郎  吉野忠彦

♪モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ ハ長調 K.296

この曲は1777年、21歳のモーツァルトがマンハイム及びパリに職を求めて母親と旅行した時、マンハイムで書いた5曲のヴァイオリン・ソナタの中の1曲である。これ以外の4曲はパリで作った2曲と共に6曲セットとしてパリで出版し、マンハイムの選帝侯妃に献上している。このハ長調の曲だけ除いたのは、私的な思いがあったからだろう。これはマンハイム滞在中宿泊した宮中顧問官ゼーラリウスの娘で、モーツァルトにピアノを習っていたテレーゼ・ピエロンという15歳の少女に贈ったものだったのである。彼女についてモーツァルトは「妖精」と言っており、この曲の第1楽章を聴くと、モーツァルトが音楽で彼女の肖像を描いているように思える。第2楽章はクリスティアン・バッハのアリア「甘いそよ風」による自由な変奏曲。第3楽章の主題は第2楽章の主題の変型で、ヴァイオリンとピアノのユーモラスな対話を思わせる。(井上太郎)

♪ドホナーニ  ヴァイオリン・ソナタ 嬰ハ短調 作品21
ハンガリーのポショニ(今日のスロヴァキアの首都ブラチスラヴァ)に生まれたエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877−1960)は愛国者の父によって地理的に近いウィーンではなくブダペスト王立音楽院に入学させられ、ピアノと作曲を学んだ。4歳下の同窓生バルトークとの親交は生涯続く。最初の出版作品「ピアノ五重奏曲第1番」はブラームスに高評され、作曲面ではロマン派及びブラームスの流れを継承して行くが、同時にラフマニノフと比較されるほどのピアニスト・指揮者として欧米各地でもてはやされた。第2次大戦中も独・伊枢軸国側についた祖国に留まり、教師としてG・アンダやG・ショルティなどの多くの弟子を育て、また指揮者として自分のフィルハーモニー・オーケストラのユダヤ人をかばい続けたが、戦後共産党から「ナチ協力者」の汚名を着せられて米国への亡命を余儀なくされ、作曲家・教師としての活動を続けたが、60年ニュー・ヨークで没した。現在指揮者として著名なクリストフは彼の孫にあたる。
ヴァイオリン・ソナタは1912年、J・ヨアヒムに招かれてベルリンの音楽大学で教えていた時の作品で、やはりシューマン・ブラームスの流れをくむロマン性の極めて強い作品だが、ハンガリーのジプシー風の薫も感じられる。3楽章形式をとっているが、第1楽章冒頭のモットーがソナタ全体の中心になり、最後にその主題が現れるので、循環形式の1つの楽章とも見ることができる。第2楽章は変奏曲形式となっている。(吉野忠彦)


♪バルトーク  ヴァイオリン・ソナタ 第2番 Sz76
 ベラ・バルトーク(1885−1945)は、早くからピアノを母から習っていたが、ポショニに移住した時、ドホナーニと知り合い、彼に従って、せっかく合格したウィーン音楽院をやめてブダペストの音楽院に進んだ。初めはやはりブラームスやR・シュトラウスの影響を受けたが、やがて親しくなったゾルタン・コダーイらとハンガリー民謡の魅力に取りつかれ、各地で採集活動を行い、民謡の語法を研究・分析して自分の作品に生かすことに努め、それにより独自の作曲スタイルを確立した。第1次大戦終了(1918)前後にはバレエ「かかし王子」やオペラ「青ひげ公の城」などが成功してある程度の国際的名声も得たが、戦後は敗戦による政治的混乱に巻き込まれたことや、結婚生活が破たん状態にあったこともあって、20年以降頻繁に国外へ演奏旅行に出るようになった。またそこにはヨーゼフ・ヨアヒムの親戚であるハンガリー生まれの女性ヴァイオリン奏者イェリイ・ダラーニの存在もあったらしく、彼女との共演旅行を企画し、そのために21−22年に掛け2つのヴァイオリン・ソナタを作曲したが、これらはそれまでの作品に比し、和声上、構成上きわめて複雑、難解なものとなった。

第2番は、第1番が英仏の演奏旅行で何回か演奏された後、22年後半に作曲されたが、翌23年の2月の初演は献呈されたイェリイがバルトークの恋愛感情を拒否したこともあって、2人の共演とはならなかった。両者が初めてこの曲を共演するのは関係修復がなった同年5月、その2ヶ月後にバルトークは離婚し、直ちに再婚したが、相手は、イェリイではなく、バルトークのピアノの弟子であった。
2番は1番が古典的な3楽章形式であったのに対し、緩−急の2楽章からなっていて、第2楽章はハンガリーの民族舞曲であり、第1楽章の冒頭のヴァイオリンのモットーが2度にわたって現れることで2つの楽章は関連付けられている。
 なお、バルトークは、第2次大戦が勃発すると、ナチスを嫌い、40年11月に米国へ亡命、戦争終結直後の45年9月ニュー・ヨークで亡くなっている。(吉野忠彦)


♪モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調 K.481
1785年12月12日の日付を持つこの曲は、≪フィガロの結婚≫(K.492)を書いている時期の作品である。これは翌年ホフマイスターから出版されているところを見ると、はじめから出版による収入をあてにして書いたものと思われる。第1楽章にいわゆる≪ジュピター≫のモティーフが現れるのが印象的である。第2楽章のアダージョはロンド形式で、旋律の美しさばかりでなく、転調の面白さで、この曲の中で一番の聴きどころだ。異名同音という手法が使われて、意外な転調を見せる。楽譜を見ると、75小節ではヴァイオリンのパートがシャープ3つなのに、ピアノの右手はフラット4つで、左手はヴァイオリンと同じのシャープ3つである。また99小節では、ヴァイオリンがシャープ3つで、ピアノはフラット4つとなっている。このような例は彼の作品にはほかに無い。第3楽章は主題と6つの変奏曲。主題は民謡風の素朴なものだが変奏の技法は凝っている。(井上太郎)

◎演奏者のプロフィール

四方 恭子 (ヴァイオリン)
 神戸生まれ。東京芸術大学卒業後、ドイツ国立フライブルク音楽大学に留学。石井志都子、堀正文、W.マーシュナー氏の各氏に師事。シュポア国際ヴァイオリンコンクール第一位。ドイツ内外で多くのオーケストラと共演。マーシュナー氏のアシスタントを務めた後、1987年よりケルン放送交響楽団コンサートマスター、1990年より同第一コンサートマスターに就任。同オーケストラとのバルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番、第2番等をはじめ、多数の録音を残す。
ケルンでのイザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ全曲演奏会はライヴ録音され、絶賛を博した。2003年より京都市立芸術大学助教授に就任。
オーケストラとのソリスト、コンサートマスターとしての共演、リサイタル、室内楽などの演奏活動のほか、アフィニス夏の音楽祭での音楽監督、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団コンサートミストレス、東京芸術大学非常勤講師など、後進の育成にも積極的に取り組んでいる。

上野 真 (ピアノ)
1966年室蘭市に生まれる。4歳より鈴木ヤ子氏、のち、8歳より宮沢明子氏に師事。1982年に渡米し、フィラデルフィア・カーティス音楽院ピアノ科入学。故ホルへ・ポレット、ゲイリー・グラフマン両氏に師事。幾多のコンクールに入賞。1987年より1991年まで、ザルツブルグのモーツァルテウム音楽院にて、ハンス・ライグラフ氏に師事。
1992年帰国後現在までに、タイ、米国、欧州及び日本各地で多数のソロ・リサイタル及びオーケストラとの共演を行う。近年のコンサートでは、ベートーヴェンのハンマー・クラヴィーア・ソナタ、ドビュッシーの12の練習曲、リストの超絶技巧練習曲、そして20世紀近・現代の作品を取り上げるなど、多彩なプログラム、高度な演奏技術と音楽の本質を見据えるその真摯な姿勢は、常に高い評価と音楽的共感を呼び起こしている。現在京都市立芸術大学音楽学部准教授。