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勝手に劇評させとくれ 文責 野間哲

北関東大会
私の気になった4本について 1月26・27日
岡谷南高校『オイディプス』
 前回関東大会出場作品、カフカの『変身』には、宮本亜門の『変身』とかぶるところはあったものの、大いに驚かされた。そして、今回の『オイディプス』にも本当に驚かされた。演出の勝利だろう。役者が腕を磨けば、すごい芝居になるに違いない。
前橋南高校『姨捨DAWN』
 まじめに幕開きから16分間、驚いた。無言劇だったからだ。その勇気をさらに発展させるならば、最後までそれを貫き通したならば、きっと全国に行けたに違いない。
宇都宮女子高校『自転車置き場に午後6時』
 日常の切り取りの中に日常のままに芝居を魅せてゆく。どこにでもある空間ゆえ、観客も同感してゆく。そこに誰しもが自分の日常の様々な想いをに重ねてゆく。アプローチの仕方が珠玉だ。
筑波大学附属坂戸高校『正伝・鰡(ぼら)の涙』
 いつもの不条理から、大きなテーマに迫ってゆく手法は、坂戸ワールド全開だった。しかし、今回は色々な点で先が見えすぎてしまった。「え?なに?」という終わり方を期待してしまったのは私だけだろうか。

  長野県から全国に行ったのは、恐らく13年ぶり?だと思う。久々であるがゆえに期待も大きい。役者がまだ未成熟なだけに(失礼)、8月までに力をつけてくることは歴然。きっといい舞台にしてくれると思っている。
  今年の北関東は秩父農工や作新学院といった、常連強豪校が少なかった。南関東も同様である。南の都立東などは3年連続出場の末に勝ち取った偉業だったと思うが、本校(大船高校)と岡谷南高校は新顔に近い。だからこそ、岡谷南には頑張ってもらいたい(うちもそうなのだが)。常連強豪校ではないぞ!という気概をもって頑張ろうじゃないか(自分達を励ましつつ)。


音楽座ミュージカル『メトロに乗って』
2007、12、30池袋芸術劇場
軽部みち子 : 秋本 みな子
お時 : 井田 安寿
貞子 : 野田 久美子
節子 : 浜崎 真美
おケイ : 野口 綾乃
トラ : 清田 和美
闇市の女ほか : 鈴木 智美 (客演)
闇市の女ほか : 大川 麻里江
闇市の女ほか : 兼崎 ひろみ
闇市の女ほか : 富永 友紀
闇市の女ほか : 堀川 亜矢
闇市の女ほか : 村田 麻衣
闇市の女ほか : 渡邊 りせ
闇市の女ほか : 伊沢 絵里子
闇市の女ほか : 永登 春香
闇市の女ほか : 奥津 菜々子
闇市の女ほか : 冨永 波奈
小沼真次 : 広田 勇二
アムール : 吉田 朋弘
野平 : 勝部 演之 (客演)
岡村 : 小林 アトム (客演)
予科練 : 渡辺 修也
ハチ公 : 安中 淳也
村松 : 佐藤 伸行
亀吉 : 山合 大輔
小沼昭一 : 関川 慶一
小沼圭三 : 藤田 将範
バーテンダー : 新木 啓介
老人 : 五十嵐 進
闇市の男ほか : 萩原 弘雄
闇市の男ほか : 藤原 岳 (客演)
闇市の男ほか : 黛 一亮
佐吉少年 : 柴崎 一輝 (客演)
 2000年の初演から、音楽座復活の時を経て、再演された。浅田次郎原作『メトロに乗って』をミュージカル化したものだ。初演は急遽集められた俳優で構成されたためか、どうしても音楽座になじまない、言うなれば音楽座にあって、音楽座ではない作品だったように感じた。しかし、今作はすっかりなじみになった役者達での再演、特にアムール役の吉田朋弘はじめ、多くの音楽座俳優が結集した。そういう意味で、身近に感じながら観劇することが出来た。
  音楽座は『アイラブ坊ちゃん』、『HOME』など、いわゆる「時代」を描いてきた。この作品はそれにさらに「タイムスリップ」というSF仕立ての内容が盛り込まれた、浅田ならではの色づけがなされている。
  『星の王子様』のような華やかさはいが、時代と人とのつながりを見事に描いた音楽座ならではのリニューアル作品といえる。
  次回はいよいよ新作が登場だ。まさに復活音楽座の真価がいよいよ問われる。


studio salt 第8回公演
「職員会議」
2007年11月15日(木)〜25日(日)
相鉄本多劇場提携公演
神奈川県文化芸術団体事業助成事業
演劇創造プロジェクト神奈川特別提携公演

●作・演出 椎名泉水

●キャスト
麻生 0児 
高野 ユウジ 
東 享司
木下 智巳

小川 雅功(劇団川崎演劇塾)
桑原 なお(タイムリーオフィス)
環 ゆら(マシュマロ・ウエーブ)
長 慶子
平沼 寧(オフィスプロジェクトM)
丸尾 聡(オフィスプロジェクトM)
両角 葉
 地区大会でお世話になった丸尾聡さんが出演されるということで、相鉄本多にスタジオソルトの『職員会議』を部員達と観劇にでかけた。椎名さんには色々お世話になっていたが、本公演は初めてだった。また、私自身が教員ということもあり、どんな職員会議が繰り広げられるのか楽しみだった。確かに本物の職員会議とは様相がかなり違ってはいたが、そこがまた芝居のよさでもある。リアリティがすべてではないからだ。今回はやはり、おかま体育教師役の丸尾さんの独壇場と言ってしまったら、他の役者さんに怒られてしまうが、それほど突き抜けていた。やはりこの人は作家でありながら、ただ者ではないようだ。爆笑爆笑で話は進み、体育教師ながら、今ひとつ切れの悪いダンス(ねらい?)など、本当に楽しめた。まったく教師になる気のない教育実習生が、最後に「教師も悪くないかな」という一言で、締めくくられる。椎名さんの気持ちがほのかに伝わる、素敵なお芝居だった。


『春でもないのに』ザ・スズナリ 
2007、11、8(金)
作・演 出・振付
知念正文
【出演】
寺門一憲 ちねんまさふみ 才勝誠司
石丸有里子 樋口春香 竹内くみこ
石出 知 ユニコ 藤森太介
大沼美和子 魚住如心子 佐藤耕一郎
武藤亜実 いなせみつお 川島雅子
島村 勝 長沢亜美 山下若菜 清水祐佳
 竹内くみこさんの紹介で、部員全員でスズナリにでかけた。時間に遅れてしまい、全体の開演時間を遅らせてしまうという、暴挙。ああ、ゴメンナサイ!
  今回の芝居はいわゆる「音楽劇」といってもいい。私のようなオジサンにとっては、たまらないほど懐かしいフォークソングが、これでもかと登場する。実はストーリーはありきたり(失礼)な感は否めないが、生演奏のフォークソングは絶品。この芝居の仕掛けは、観客の青春時代と、リアルタイムに進行している芝居とがクロスオーバーする点にある。もちろん、知念さんは狙ってこのお芝居を創られたと思う。しっかり私もハマリ、わが青春時代を取り戻したのである。
  比較をすると失礼なのだが、『MIDNIGHT RADIO〜青春歌年鑑80〜』という作品を昨年度、前任校の湯河原高校が廃校になるのを契機に書き下ろしてあげた。幸いに関東大会に駒を進めた(ちなみに今年は琴平高校が四国大会に駒を進めた)。その作品とつくりはいっしょであった。この作品は80年のJPOPがこれでもかと登場する。なんと60分のうち、14曲登場させた。芝居のストーリーよりも、曲の懐かしさが先行してしまうのだ。審査員が40代以上であることを見越しての執筆であった(ナンテやつだ!)。
  しかし、これも芝居づくりの方法だと私は確信している。音楽劇とはそういうものだ。まもなく段階の世代が時間をもてあまし(?)、芸術分野が活性化すると思っている。なにせ、親子3世代でロックを聞く時代がやってくるのだよ。今や「カバー曲」などと言ってはいるが、ようするに焼き直しである。それで若い人達が感動すればOKではないか。よいものは世代、時代を超えて、よいのである。今回のこの「春でもないのに」について、うちの部員に聞いたところ、知らない曲もたくさんあったが、最高でした!という感想。さもありなんなのである。
  楽しかったです!知念さん!


音楽座『アイ・ラブ・坊っちゃん』
東京芸術劇場  
2007・6・9 マチネ
 部員全員と希望した保護者の総勢53名で、芸劇で音楽座ミュージカルを観劇した。役者のテンションも考えて、DVD撮影日をねらった。実際WOWWOW(ワウワウ)も収録に来ていたようだ。
  この作品を10年前の旧作の最高傑作と思っていた私は、相当入れ込んで観劇した。幕があがり、昔と変わらぬ舞台。感無量。
  今回、漱石に近藤正臣でなく、松橋登を再起用したのは、音楽座ファンとしては実に納得。近藤さんの事情があったのかもしれないが(お若そうで、結構ご高齢なんですよね)。松橋さんの演技は例えるなら、まさに、いぶし銀の輝き。絶対的な存在感と役の深さ、台詞の重み…どれをとっても彼なくしてはこの作品は成立しないといっていいだろう。それは今も10年前も同じであった。
  新しい演出「ネコ」。気がつくと漱石の部屋に転がっていたり、街中を闊歩していたりする。当然漱石の『猫』なのだが、初めは「着ぐるみ」でもあるし、邪魔になるかな?とも思ったが、決してそうではなかった。事態を冷静に見つめる第三者視線として存在していたばかりでなく、料理に例えるなら、ハンバーガーのピクルスみたいなもので(あまりよい例えではなかな?)、芝居に遊び心のスパイスを加えてくれた、そんな存在だった。
  かつて、作品の構造がブロードウェイの某なにがしの作品の物真似だなどと、酷評していた評論家もいたが、そんなことはどうでもいい。物真似とはしょせん物真似であり、音楽座の芝居として定着できている以上、これは音楽座の作品である。そんな前置きをしながら、何度観ても珠玉だと感じるのは、漱石のトラウマや心の底を表現している「水の底」シーンだ。もちろん、漱石が鏡子に日頃のお礼を言うシーンや、坊ちゃん先生に生徒達が辞めるなと歌い上げるシーンなど、涙ぐんでしまうところも多々あるのだが、ここはミュージカルの域を越えている。「ミュージカルは芝居じゃない」と暴言を吐くストレートプレイ野郎に見せてやりたい一場面である。
  辛口コメントを少し。今日私達が観た舞台だが、少しお疲れ気味だったのかな?と思ったのは私だけだろうか。逆に気負い過ぎだったのか?状況はよくわからないが、吉田さん始め、からまわりしている役者が多かったのは事実だと思う。舞台全体がテンポを崩していたように感じた。DVDになるのはソワレかしら?
  また、役者の力量という点なのだが、どうしても前作があるだけに、比較してごめんなさいなのだが、歌もダンスも上手だし、存在感も凄いのだが、正岡子規・山嵐を演じた安中さんは(本当に偉そうな言い方でごめんなさい)もう少し演技面で伸びて欲しいと感じた。ノブさんが上手すぎるのかもしれないが、たとえば今回の(9kg減量の?!)野だいこ役も、演技力が抜きん出ていて、他とのバランスが合わないように見えた。上手過ぎる。音楽座全体の「若さ」はミュージカルという一点では、本当にエネルギッシュでスケールを大きくしているのだが、男性陣の頑張りがまだまだ足りないように感じた。吉田さん始め、ビジュアル的に申し分ない分、演技力が増せば、本当に凄いことになると思うからだ。
  細かい演出に一言。絶対違うだろうという演出があった。赤シャツの弟が一枚噛んで、生徒達のケンカの仲裁に、坊ちゃんと山嵐が入る部分で(アクションシーンです)、二人が最後の方で、やられてしまった自校の生徒を助けるために(?)他校の生徒をやっつけてしまうのは、二人の正義感に抵触するのではないか?ということである(結構何人もやっつけていたよ)。あくまで、二人は「仲裁」の立場を貫くべきだと思った。アクションシーンが少し長すぎたのではないか。だから、花茶屋のシーンで赤シャツと野だいこに成敗するシーンでも、坊ちゃんと山嵐が二人を殴ろうとすることが、何やら当然の流れになっていて、あそこは「思い余って強肩をふりかざした二人を漱石が止める」という演出が必要なのだではないか。つまり、坊ちゃんと山嵐の「思い余って」の演技が抜け落ちているのだ。このままでは単なる暴力教師になりかねない。正義を貫く者が暴力肯定ではダメだと思った。
  ついでにあの花茶屋シーンで、せっかく山嵐達が何日も見張っていたのだから、赤シャツと野太鼓がもっと決定的な戯言(ざれごと)をしていたように演出できなかったか?という点も感じた。それぞれに芸鼓さんがひっついていて、濡れ場を引きずるような会話をしながら登場させる、など。少しわかりにくい場面だと感じた。
  あと、照明は?前回は間違いなく「あかりや」さんの仕事だと思うのだが、今回も同じですか?プランナーの方の嗜好性なのかもしれないのだが(作品の種類が種類なので、逆に押さえたのかな?)、もっと色々出来たように感じた。いささか古めかしいな照明の仕込みで(失礼)、一例だが、FR・CLに30#代をズバッと使っているのは、あまりにストレート過ぎて、少しびっくりした。深みがなくなると思った。
  全く偉そうなことばかり書いたが、いや、これはあくまで部分的なお話しで、総体的には凄すぎるのであって、のびしろの感じない劇団は応援したくないと思うのは、恐らく私だけではないはず。ともあれ、感動しまくったことには間違いないわけで、なにしろ今は新作が待たれる。やはり宮沢賢治で行くのか?シュリーマンなんかもおもしろいぞ、とか。色々言ってますが、心待ちしています。
  明日は岡部耕大プロデュース作品を紀伊国屋に全員で観劇に行く。私の曲、23曲が使われる。どんな評価を受けることやら。楽しみです。
   


北関東大会(新潟大会)速報
賞に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
最優秀賞 栃木県立栃木高校(全国大会出場)
『塩沢町町長選挙』山形県立山形南高校映画演劇部・作
優秀賞(1席)新潟県立三条東高校
『例えばジャニスのソウルフルナンバー』大島昭彦・作
(全国フェスティバル出場/劇団四季劇場)
優秀賞 作新学院高校
『ナユタ』大垣ヤスシ・作
優秀賞 新潟県立三条東高校
『例えばジャニスのソウルフルナンバー』大島昭彦・作
優秀賞 新島学園高校(群馬県)
『桜井家の掟』阿部 順・作
創作脚本賞 『ナユタ』大垣ヤスシ・作
 最初に一言。北関東大会はレベルが高い!である。決して南関東がレベルが低いと言っているのではないが、毎年毎年とにかく激戦である。恐らく講師の先生は困り果てたのではないかと思う(生徒16名を引率してたので、帰宅時間もあり、審査員の講評は一切聞けませんでした)。
  さて、帰りの新幹線内でメールで最優秀賞が「栃木高校」と知らされた部員達は、ほぼ全員が迷惑をかえりみず、大歓声をあげた。それは「してやったり」だったり、「え?ナユタじゃないの?」だったり、「今回の審査員はこういう判断をするんだ」などなど理由は様々だった。私個人としては、何となく渾身の一作『じゃがいもかあさん』を地区大会で落とされ、『パス&キャッチ』を県大会で落とされた「安田夏望先生」への邪心が働き(失礼)、予定調和すぎたとはいえ、『ナユタ』の完成度が評価されなかったことに、高校演劇コンクールの難しさを感じたしだい。いや、栃木高校の最優秀賞受賞に物申しているのではない。むしろあの痛快ナンセンスは私の趣向性からすれば、大好きな芝居なのだ。ただ、どうも作新高校の芝居づくりの方法に自分を重ねていた。顧問の大垣先生の勉強ぶりは正直言って一顧問として、頭が下がる。どうすれば、あそこまで隙をなくせるのか。私も素人なりに隙をなくす時間を費やして、ここまでやってきた。しかし、審査員の評価は隙のない顧問の頑張りが見え隠れする芝居ではなく、むしろ隙があっても、高校生らしさ(それは時には稚拙でもあり、時には斬新でもあり、時には高校生の等身大の作品であり、様々なのだが)が重んじられたとき、顧問自らの精進努力がむしろ逆効果に働く、そんな憂いを感じた心持ちがしたのも事実であった。「だからコンクールはおもしろいのさ」ということも言えるのだろうが、作新の費やした時間や労力、情熱を想像するに、恐らく大垣先生のショックは計り知れない気がしたりもするのだ。もし、この方向で審査がなされたのであれば、どうして筑波大学附属坂戸高校の『濃縮還元』は入賞できなかったのかということになる。高校生の創り出したあの発想とエネルギーはしかるべき評価を得るべきだと思った。審査に一貫性を求めるのは無理だと思うが、何を追究して芝居づくりをすべきなのか、戸惑っている自分がいる。埼玉の秩父農工科学高校の若林先生の言葉を借りれば、高校演劇だからといって、特殊ジャンルなのではなく、プロだろうが、アマだろうが、「芸術作品」を目指すのが芝居づくりの原点なのではないか、ということなのだと私は思う。あ、いや、しつこいようだが、栃木高校の芝居は大好きですよ。まじめに。
 さて、「勝手に劇評させとくれ」というコーナーゆえ、勝手なことを書きます。私が個人的に評価している作品について、コメントを深めたいと思う。4本あって、作新学院高校の『ナユタ』、筑波大学附属坂戸高校の『濃縮還元』、栃木県立栃木高校の『塩沢町町長選挙』、長野清泉女学院高校の『ヘレン・ケラーをめぐって』である。
●作新学院高校『ナユタ』
 この作品は脚本、スタッフワークとも大変クオリティが高く、高校演劇という枠をとっぱらって、芸術性の高い芝居だと思った。役者も個性的で、大いに笑わせて、最後にホロリとさせるあたりは、作者の大垣ワールドをいかんなく発揮していたと思う。ただ、冒頭にも書いたが、「予定調和」の作品という点は否めなく、なるほどの人的配置がなされており、親戚のおばさんの登場はその象徴的なものだったといえる。ただ、我々日本人は決して予定調和の作品は嫌いでなく、水戸黄門然り、寅さん然り、むしろ日本人の文化とさえ言えるかもしれない。したがって、ドラマ性やら、意外性、新しい発見などを求められたとしたら、物足りない作品ということになるのかもしれない。
●筑波大学附属坂戸高校『濃縮還元』
 前回の『絶対矛盾的緑望論序説』同様、テーマ性のはっきりした不条理劇で、ああ頭の良い生徒達の作品だなあと思わせる、発想とセンスの高さを感じさせる作品だった。作品はいわゆるオムニバス形式をとっており、それぞれに狂気の現代社会をテーマに展開される。最後にその狂気は「核」へとつながり、現代人への「警告」というかたちで締めくくる。構成もよくできていて、高校生離れした仕上がりだったと思う。なぜ入賞できなかったのか。
●栃木県立栃木高校『塩田町町長選挙』
 こうしたナンセンスをどうどうと舞台にしてしまうエネルギーが勝因だったと思う。過疎が進み、60人足らずの町民になってしまった塩田町の町長が倒れる。もともと塩田町では調味料が「塩」しかなく、子ども達には、醤油やソースの存在を大人たちが隠し続けているという設定で芝居が始まる。やがて塩だけでは生き残れないと判断した町民は、醤油派とソース派の候補者を擁立し、町をあげての大選挙戦へと発展する。考えてみれば、こんなナンセンスな芝居はそうあるものではない。それを素舞台で男子校の肉体パワーで演じきった。「痛快」という言葉はぴったりの作品だったと思う。
●長野清泉女学院高校『ヘレン・ケラーをめぐって』
 ラストシーンでは会場が涙に包まれた。こうした芝居があってもいい。女子校でヘレン・ケラーをやるのは難しい。父親初めとした男性陣を登場させられないからだ(女性が男装するのは極力避けたのだろう)。したがって、作品としてはおいしいとこ取りの感は否めなかったが、ラストの「水」のシーンへの持って行き方は秀逸だったと思う。実際の稽古については、(裏情報だが)サリバン先生とヘレンの格闘シーンは手足にプロテクターをつけて、まさにアザだらけで行ったという。そのリアリティのある場面から、観客は引き込まれていった。思わくば、ラストシーンはヘレンと母親、サリバン先生が抱き合って終わりにして欲しくなかった。母親とヘレンが抱き合う場面を数メートル離れた場所でサリバン先生が熱く見守る。そしてそれに気がついた母親がヘレンの背中をポンと押す。そしてサリバン先生はヘレンは熱く抱擁する…あ〜なんと感動的だ!(勝手に言ってなさい)
  こうして新潟には気象庁の予想は全くはずれ、雪のゆの字もないままに、しかし充実と感動に浸りながら、新幹線は上越をあとにしたのだった。


第45回神奈川県高等学校演劇大会
2006年11月18日(土)〜19日(日)
於県立青少年センターホール
最優秀賞 
桐蔭学園高等学校 
『それください』 高橋敦・作
麻布大渕野辺高等学校
『幕末ジャイアンツ』四大海・作/佐藤栄一潤色
県立湯河原高等学校
『MIDNIGHT RADIO 〜青春歌年鑑’80〜』 のまさとる・作
 今回も大会の舞台責任者をやっていた都合で、舞台袖からしか観劇できなかったので、正しく見ることができなかったことはお許しいただきたい。
  今回の県大会の最優秀賞3校、及び次点の清泉女子高校は(まもなく公開されるので書きますが)同票で甲乙つけがたい状況になった。専門審査員の協議の結果、上記3校が関東大会出場となった。今回の南関東大会は神奈川大会ゆえ、1校分、枠が増え、3校となったしだい。
  今回の票数が物語るように、ずば抜けた学校がなかったのが現状だ。ただ、レベルはこの4校以外の学校も含め、それなりにレベルの高い大会と言えた。むしろジャンルの違う3校が顔をそろえた感がある。したがって、関東大会ではどこの学校も、審査員の感性によって、上位入賞が可能であると感じた。
  さて、まず桐蔭学園高校の『それください』は、生徒創作とは思えないほど、作品自体のクオリティが高く、さらに主役の演技力の高さは他校を圧倒した。創作脚本賞も受賞。当然の最優秀賞受賞とみた。
  麻布大学附属渕野辺高校『幕末ジャイアンツ』は、群集劇としては、そのパワーの凄さは文句なかったと思う。審査員の先生は「暴力団のような芝居」と微妙な発言をされていたが、そんな感じである。ただ、元々2時間の芝居を1時間にまとめたこともあり、時間内に終わらせようということから、とにかく「慌てた芝居」であり、焦って台詞を言っていて、まったく「伝えよう」という意思が反映されないまま、駆け抜けてしまった。ともあれ、演技はさておき、舞台責任者として一言申したい。あの人数でなぜ大道具がないのか?顧問の佐藤先生の弁によれば、「芝居づくりで余裕がない」とおっしゃるが、かつての渕野辺はスタッフ面においても全国レベルだった。まあ、道具がないのはよしとして、あれだけのたくさんの平台を使いながら、どうして立て込みもバラシも、スタッフの6人だけなの?他の学校は全員でやってるよ(って、当たり前なんだけどね)。本番が終わったら、どうしてあの大人数はさっさと帰ってしまうの?人頼みでお芝居やっちゃダメだって。会館スタッフや生徒実行委員の人達がいなかったら、どうするの?厳しい言い方であるが、根本から考え直していただきたい。こんなことでは最優秀賞受賞を心から祝福できない。
  湯河原高校『MIDNIGHT RADIO〜青春歌年鑑’80〜』は何ともコメントしづらい。なぜなら私が書き下ろした作品だからである。前任校の湯河原高校は統合により、最後のコンクール参加となる。したがって、「まかせろ!」などとほざきつつ、2人芝居を書いたのである。正直言って、「ラッキー」であった。どう考えても清泉女子の方が演技も含め、数段上である。
  1980年12月31日に起きた、実話なのだが、深夜放送のDJの元に、いじめを苦に、自殺予告をしてきた少女が、全国のリスナーの協力とスタッフの激励により、無事確保される。まさに世の中、いじめによる自殺が社会問題化しており、全くそんなご時勢になることを予測せず書いた芝居だったのだが、ビッグウエーブに乗ってしまった。さらに1980年のヒット曲を14曲、惜しげもなくBGMに使用した。40代以降の皆さんは皆、曲の魔法にかかったはずなのだ。そんなわけで、批評はご勘弁。とにかくまだまだ全然、力不足である。この1ケ月が勝負でしょう。
  清泉女子高校のお芝居は、とにかく昨年に続き、役者がたっしゃなのには驚かされる。等身大のお芝居のツボを見事に押さえていた。来年も同じパターンなのだろうか(青森中央高校のパターンと同じになっていくことには、若干反対。余計なお世話かな?)。あれだけ役者が達者なのに、今回は台本がよくなかった。性同一性障害、女性差別などをテーマにしているのだが、実に中途半端な締めくくりになっている。お芝居のツカミやテーマへの着想は、文句なしによいのだが、葛藤やらドラマ性が乏しく、自身達の叫びになっていない。まさに台本の弱さである。役者がいいだけに、まじめに惜しまれた。
   
  
  


音楽座ミュージカル「リトルプリンス」
11月15日(水)
東京芸術劇場中ホール
 ●12月23日にグリーンホール相模大野で部員全員で観劇予定だが、一足先に味見にでかけた。当日券にもかかわらず、オケピット前(最前列)のドセンターで観劇できた(ラッキー)。
  ●個人的には、過去の音楽座作品の中で、「アイラブ坊ちゃん(92年版)」、「マドモアゼルモーツアルト(91年版)」の次に完成度の高いお芝居だと思っている。思い返せば、この91年〜93年にはスゴイ芝居創ってたんだね、音楽座は。
  ●かつて、「星の王子さま」がサン・デグジュペリの遺族会から正式上演許可をもらった前の海賊版?「リトルプリンス」と同名に復活したのは、やはり著作権がフリーになったことが影響かな?
  ●この「リトルプリンス」はたぶん音楽座としての初演は、15年前、町田のあの木造稽古場で研修生がピアノ一本で行った公演ではなかったかと思う。その時の台本が手元にあるのだが、作品の基本構造も、大事な台詞も変わっていない。恐らく台本の「直し」が最も少ない作品のひとつではないかと思う。原作がある作品なので、大きな変更がなかったのかもしれないが、やはり完成度の高さはピカ一だ。
  ●今回の作品のレベルの高さを保持していたのは、間違いなく王子役の野田久美子ときつね役の吉田朋弘だったと思う。もちろんへび、バラの花、黄色い花などの脇役にもスキがなく、ハイレベルな演技だったと思う。特に王子とキツネのシーンは圧巻で、吉田朋弘の汗だくの(笑)熱闘の舞台は大いに観客席を盛り上げた。繊細でそれでいてダイナミックな演技、そして歌唱力は、かつて飛行機乗りとキツネをWキャストで好演した畠中洋を超えるものだと感じた。伝える演技とはまさにああいう演技を言うのだと思った。野田久美子の王子は、あの土居裕子と比較されること自体が気の毒な話なのだが、決して見劣りするものではなかった。むしろ若さ溢れる新鮮さがとてもよかったと感じたのは私だけではないはずだ。実はTVのCMでの歌声は申し訳ないが、ご自身に何かあったの?と思えるほどヘタクソだったので、正直あきらめていたのだが、本番は全くの別人の歌だった。あとモーツアルト同様、芝居の要になっていたアンサンブルの皆さんの寸部違わぬ息の合った演技とダンスのレベルの高さは、芝居全体をさらに力強いものにしていたと感じた。その中でも清田和美のそれは、間違いなく次回の抜擢につながるアグレッシブな演技で、その力量の高さを感じた。その他、実業家のキャラクターは、かつての「キノコ」が好きだった。呑み助もコタツをしょった「カメ」が好きだった。ともあれ、皆好演だったことは言うに及ばず。音楽もオリジナル版に新曲を加え、古いファンも大満足だった。
  ●最後にこの舞台をエンターテイメントに仕上げたのが、カーテンコールだった。いつものしっとりとした余韻重視のものではなく、とことん見せる(魅せる)ことに重きをおいた。作品と合体したカーテンコールは結果的に大きな満足感を観客に提供した。こんなカーテンコールもたまには有りである。まさにブラボーな終演であった。
  ●早く部員達に観せたい作品である。


劇団四ツ葉屋
「編集者 我孫子智志〜別れのワイン〜」
8月27日 於湘南台市民シアターリハ室
写真「アラカルト」に掲載
四ツ葉屋さんの2回目の公演に部員全員でお邪魔した。今回はミステリー作品ということで、大いに期待して出かけた。作者兼演出の番茶君のコメントには、いかにもありがちな設定にしてしまった言い訳らしき?ものがあり、案の定の設定ではあったのだが(最後に崖っぷちで謎解きがなかったのが残念?)、そんなに卑下することはないと思った。確かに新しいスタイルがあれば、それはそれで衝撃的で良いのだが、日本人には「水戸黄門」や「寅さん」が棲んでいるから、何臆することはないと思う。水戸黄門を観る際に、日本人は40分間、黄門様が印籠を出すまで、じっと我慢をして待つのである。そしてお決まりの「ひかえひかえ!」で全視聴者はどっと安心し、スカッとするのである。今回の雪に閉ざされた別荘での密室殺人は、日本人のサスペンスへの原点である。いいじゃないの?それで、と思うのは私だけだろうか?お決まりこそ、日本人の感性に合うのである。悲劇のイタリア映画より、ハッピーエンドのアメリカ映画の方が人気があるのは、至極当然なのである。そして、この作品らしさ(番茶らしさ)とは、「母の愛」を登場させたことである。浪花節的設定と言ってしまえば、それまでだが、これもまた、日本人の感性にそぐった展開だったと思う。
  そうした中で、いくつか意見を言うならば、キャラクターの設定が今ひとつ曖昧だったことが残念だった。特に主人公の我孫子智志のキャラクターが今ひとつはっきりしない。熱いのか、冷静でクールなのか、彼の裏側が見えてこない。たとえば、母の愛を最期に見せるなら、その伏線がもっと欲しく、それに我孫子が絡んでいたら、作品として、もっともっと深くなったような気がする。単なる謎解き芝居でなく、最後に見せた母の愛をもっと膨らませて見せたなら、番茶らしさが炸裂したように思った。我孫子の人間性が見えてこなかったところに、この芝居の弱さがあったと思う。だから、我孫子が最後に盲目の華原に熱くまくしたてる台詞が、何に向かって言っているのかがはっきりしなかった。今まで冷静沈着だった我孫子が、熱くなる理由がわからないのだ。
  サスペンスの難しさは謎解きのからくりとは別に、登場人物の人間の部分をどう描くかだと思う。そして、観客は謎解きよりも、その一人一人の人間の生き様に心打たれると思うのだ。門宮の死が捨てごまにならない方法があったはずだし、華原の腹違いの子、宮垣の継母への気持ちなども、もっと描けたと思う。華原の秘書、芦沢の役どころも、もっと華原の人間性を引き出す役にできたと思う。何よりも、華原の師匠の秋月の立ち位置がよくわからない。彼が登場しなくても作品が成立してしまうところが、よくない。秋月を思い切って狂言まわしの役にしてしまうとか、彼の思い出の中の話にしてしまうとか、秋月の人間性と登場人物の人間性がもっと絡んでくると、おいおいどうなるんだこの芝居は?!というところまで、持っていけたように思う。
  さて、今回驚かされたのは、役者の演技力の上達ぶりである。決して歯にころもをかぶせることなく、上手くなったと思う。下手な演技に余計な神経を使わせる劇団には、まじめに辟易とさせられるが、本当に安定した演技で、よかったと思う。
  主役の我孫子は間違いなく、芝居を引っ張っていた。役者として「華」があり、主役としての素質は十分である。欲を言えば、感情表現を助ける、もっと細かい演技があればと感じた。特に今回のような小劇場では、大きな動きよりも、表情や細かい仕草まで、もっと丁寧に、作為的に(しかし自然に)演技した方がいいと思った。何しろかっこいいので、もっとナルシストになって、立ち姿や表情のつくり方など、研究するといいなと思った。
  門宮はとにかく前回に比べ、飛躍的に演技力がついた。存在感のなさが課題だったと思うが、しっかり個性的な役者に育ったと思った。ただ、今回の役どころとして、好青年のイメージよりも、野心家としての秘めたぎらぎら感が出せれば、作品を横取りされた悔しさや無念さが、もっとこちらに伝わったと思う。「秘めた」という部分がキーワードではないだろうか。
  宮垣は頑張って好演していた感が強かった。役者としては、まだまだこれからだとは思うが、ひたむきさが将来を明るくしていると思う。たとえば、門宮に想いを寄せる役なので、門宮の前ではもっと「女」になって欲しかった。華原との微妙な関係もまだ演じきれていなかった。また、血のつながっていない親子関係をもっと練りこんで欲しかった。
  芹沢は実はとても難しい役どころだということに気づいていただろうか。芝居の進行役なのだ。かなめかなめにあなたの演技が絡んでくる。それはでしゃばってもいけないし、存在感をなくしてもいけない。芝居で一番難しい演技が「居る」という役である。そうした役で個性を発揮するのは、本当に難しいのだ。名脇役でなければ演じ切れない役なのだ。ぜひ次回には一皮むけた演技を期待したい。
  華原は盲目の役であり、本当に難しかったと思う。そしてある意味主役である。そこも難しかったと思う。もし可能であったならば(本当はそうして欲しかったのだが)サングラスを撮って演技して欲しかった。目を見せないことは役柄的にありなのだが、あえて見せて盲目を演じて欲しかった(自分のつむじを見て演じると出来るんだよ)。目が見えないことが、サスペンスに様々な憶測を生み、効果的であるのだが、ハンディを背負って生きている自分と小説家として大成出来ない自分とを、どう重ねて演技するかが、今回の鍵だったと思う。そこから殺人に至るまでのプロセスや、心の有りようがもう少し演じられていればと感じた。最後に我孫子に正体を解き明かされた時に、どう自分を持っていくか、そこが勝負どころだと思った。
  秋月はもう何も言うことはないよ。君の演技は完成されている。だからこそ芝居の中で、どんな役割を受け持つかが大事なのだ。もっともっと暴れてくれ!
  一ノ瀬は何はともあれ、最後の演技がよかったねえ。実際に母でないと出来ないねえ。一観客としては、もっともっとあなたの母の演技を見たかったねえ。だからこそ、冒頭に書いたように、作品が「母の愛」に集約されていたら、さらに見せ場があったように思う。相変わらず気持ちの持って行き方が上手いよね。
  あと、音響に物申す!である。BGMを使い過ぎ!もっと役者を信じようよ。役者の演技が音楽によって、殺されている。演技だけで、持っていけるだけ実力を役者さん達は持ってるよ。それも、同じ音源を二度使うのは、いけませんよ。最低限にしぼって、役者にもっと責任をかぶせてみたらいいんじゃないかな?
  照明はさすがだね。一見何ともない照明だけど、言うなれば、「デリケートな照明」だと思った。微妙な心理状態を照明がしっかりサポートしていたよね。こういうさりげない中にプロの味わいがあるんだよね。素晴らしい!
  舞台美術と制作は相変わらずこだわってるよね。このこだわりをぜひ次回は台本と演技に生かしてちょうだい!(舞台と制作はマジプロだよ)。
  旗揚げから、次回は3ステ目。社会人劇団の真価が問われるのは、3回目からだと聞く。旗揚げ、2回目は勢いで出来るという。3回目こそが、勝負どころらしい。ぜひ、座長、番茶を中心に、頑張って欲しい。
  好き勝手書いてごめんね。


全国高等学校演劇大会in京都
於八幡市文化会館
8月3・4・5日
(夏書館HP掲載文を元に構成)
写真は「アラカルト」に掲載
 京都の夏は暑かった。とにかくとにかく暑かった。炎天下ではついに38℃を超え、朝から並ぶ入場者の長蛇の列は、まさに全国高等学校我慢大会の装いを呈していた。我らが大船高校演劇部員20名も、並ぶ。昼休みには全館入れ替えにため、再度外に出され、また並ぶ。翌日も並ぶ。翌々日も並ぶ。何やら京都までひたすら並びに来たような3日間だったが、その成果も大きかった。
  今年のラインナップは、私の好きな群衆劇こそなかったが、言うなれば「演劇玉手箱」といった装いだった。最優秀賞には、ナント驚きの「一人芝居」、同志社高校(京都府代表)の『ひととせ』だった。欽ちゃんの全日本仮装大賞が「一人でやる」を奨励しているのとは、多少意味合いは違うと思うが、地方大会から一人で勝ち上がり、その頂点に立った足跡は、部員不足で悩んでいる多くの高校演劇部に希望と勇気を与えたと思う。さらに言うなれば、今年も東北代表として出場している青森県中央高校と同様、ブロック代表でなく、開催地特典である京都府代表としての最優秀賞受賞は立派としか言いようがない。
  『ひととせ』は「関係づくり」の勝利である。演劇の基本は役者どうしの関係づくり、自分と自分の関係づくり、そして観客との関係づくりが出来るかどうかである。しかし一人芝居には「相手の役者」がいない。そこで大いに活躍したのが、広い意味での小道具である。一人芝居は独り言、モノローグに終始して、その力量のなさから失敗するケースがあるが、彼女はそれを小道具を利用し、相手にすることで、克服した。まさに工夫のなせる技である。決して器用でない物言いをキャラクターと関係づくりで、まさに芝居の原点を大事にしながら演じ切った、その成果と言えると思う。
  さて、優秀校3校は関東ブロック代表埼玉県立秩父農工科学高校『サバス2』、関東ブロック代表、山梨県立甲府昭和高校『全校ワックス』、北海道ブロック代表、釧路北陽高校『ラスティングミュージック』であった。
  秩父農工の『サバス2』は「自殺」がテーマである。かつて別役実作品で何度も全国出場を成し遂げたことを下敷きにして、『天才バカボンのパパなのだ』を演じた役者が自殺し、浄化されず、演劇部部室で呪縛霊として居残っているというシチュエーションで話は始まる。様々な芝居のからくりを盛り込み、笑いあり、感動ありで、展開させる。そして最後、集団自殺でぞっとさせる。見事にバカボンの集団自殺と重ねる。作者の若林先生の芝居は「あえてねらって芝居をわかりにくくしている」との批判も聞くが、私はそうは思わない。むしろ今回は芝居をわかりやすくしようとする意図がわかり、不満でさえある。大げさな言い方になるが、彼の作品は「芸術作品」である。彼の作品に「高校生らしい芝居だった」というのは誉め言葉にならない。今回もぬかりなく(?)舞台美術賞も取り、トータルに審査員のプロ魂をくすぐり、目覚めさせてしまった。実に生意気な高校生であり、作品だったに違いなく、それこそが秩父農工の真骨頂であったと思う。
  甲府昭和の『全校ワックス』にはクライマックスがない。日常の切り取りなのである。それゆえ、そこに展開される様々なストーリーは、実にさりげなく、身近であり、観客を感銘させ、安心させる。非日常を芝居ならではのものとする考えから、一線を引き、日常を展開させることで、観客に安心感を与える、そんな作品であった。
  釧路北陽の『ラスティングミュージック』は今どきの高校生がメールなどでつながっているのに対し、心と心がつながっていることを大切にしたいという、極めて素朴ではあるが、人と人との関係の原点をつく作品だった。良い意味で、「高校生の等身大の芝居」と言えた。舞台にセットの一部として置かれたグランドピアノには驚かされたが、それをうっとりさせるほど上手に弾きこなした役者さんには、もっと驚かされた。私も「猫ふんじゃった」の引き方を誰かに伝えたくなったね。
  その他、上位4校には入賞できなかったが、創作脚本賞の関東ブロック代表、都立八王子東高校『学割だからいいのよ』は珠玉の生徒創作と言えた。恐らくはいくつものエチュードを構成させていったのだと推察したが、関東大会から人数を増やし、先生役がなくなってしまったのが、何とも残念だった。審査員特別賞の中国ブロック代表、島根県立三刀屋高校『三月記〜サンゲツキ〜』は演出もすばらしかったのだが、教師の自殺という衝撃的幕切れに、皆口がふさがらなくなった。作者で顧問の亀尾先生のことは、全く存じ上げないのだが、恐らく「亀尾ワールド」炸裂なのだろうと推察した。何やら作者独自の「死」への想いが強く感じられた。
  京都の夏は暑かったが、舞台で繰り広げられた創作の熱と観客の熱は、やはりそれを上回るものだと思った。高校生の可能性は限りがない。しかし高校演劇に架ける教師達もまた夢を捨てていない。さあ、明日からまた始まるぞ。来年の夏に」向けて。
【とまあここまでは夏書館向けコメント】
  実はの話をせねば、「勝手に劇評させとくれ」コーナーにならないでしょう。実は今回の全国大会には少々がっかりさせられた。もちろん、上記のコメントが嘘なのではない。「突き抜ける作品」がなかったというのが、本音で、いわゆる例年のような「衝撃」が少なかったということなのだ。むしろ北関東大会の方が、衝撃的だった。あの作品がこの全国大会に出ていたら?などと想像してしまうと、何とも残念な気持ちになってしまうのだ。一人芝居についても南関東大会で敗退してしまった、津田沼高校の一人芝居と比較してしまい、う〜ん…という気持ちになってしまうのは、きっと私だけではないはずである。
  演劇の全国大会の難しさは、年度をまたいでいるところだ。オリジナルの3年生が卒業してしまい、1・2年生でその穴を埋めなくてはならない。皆同じ状況ではあるのだが、ブロック大会に3年がいたか、いないかは大きく影響する。年度内開催を探る流れから、全国協議会では劇団四季による3月開催の全国フェスティバルを催し始めた。それが全国大会の年度内開催への道筋になればいいのだが、現実的にはなかなか難しい。ともあれ、そうした障害があった学校も多かったと思うが、結果としては、今ひとつの感が否めなかった。突き抜けた学校がない分、講師のチョイスもかなり偏向していて、統一見解を見ることができなかったと想像する。
  


音楽座ミュージカル「泣かないで」6月25日(日)
 先日、横浜桜陽高校で横浜地区高校演劇連盟主催の「音楽座講習会」に参加した。そこで2日間に渡って、「泣かないで」のメインテーマとダンスをモチーフに講習を受けた。そんな流れで観劇をしたこともあり、1・2年全員と3年有志は大きな期待感で関内ホールを訪れた。相変わらず、音楽座色爆裂の内容だった。
  これは94年〜95年にかけて、音楽座が当時の看板役者、畠中洋と新人今津朋子を擁して、まさに油の乗り切った劇団活動を展開していた頃の作品である。今回のプログラムには10年前の記述は一切なく、NEW音楽座のイメージを大事にしようという意図がみてとれた。もちろん、うちの部員達のように、過去の音楽座などは知るはずもない若い観客にとっては、どうでもいい話なのだが、やはり古くからの熱烈ファンにとっては、懐かしさも感じつつも、NEW音楽座への期待も大きい。次は「星の王子さま」らしいが、やはり待たれるのは公演計画のある、宮澤賢治「銀河鉄道の夜」である。新しい音楽座への期待が広がっている。
  そういう意味で、今回の「泣かないで」はどうしても焼き直しの感が強かった。確かに前半戦で、戦後の時代をリアルに盛り込み、時代設定を明らかにしようとしていたのは、新しい演出であり(小道具もたいへんだったと思います)、リピーターにとっても斬新だった。しかし、元々朝倉先生の今回の美術が抽象舞台を目指していて、後半には、まったくそうした時代のリアリティがなくなていたのは、やはりつけ焼きばの感がした。せめて、ミツの病気の疑いが晴れて、駅から帰京しようというシーンぐらいは、リアリティさを追求できたように思う。時代色を出すには、やはり舞台の一貫性が必要ではないだろうか。
  役者についてであるが、やはり新人の頃の今津と違い、よくも悪くも、「練れていた」と思う。第2回読売演劇大賞優秀女優賞をとった頃の彼女は、荒削りながらも、溢れ出す感性というか、情熱というか、観客に伝わるエネルギーが評価されての受賞ではなかったのか。練れたミツは、どこか落ち着き払い、客観的にみれば、軌道を失ったミツの人生彷徨を演じきれていないと思った。「捧げる」人生を歩んだミツの崇高さだけがピックアップされていて、逆に見れば、ミツの「転落」こそが、実はミツという人間を浮き彫りにしているのだから、そこが失われると、人間ミツではなく、神にも似た存在になってしまい、感動が生まれにくくなってしまうのだ。
   あと、吉田朋弘演ずる吉岡は、正直に言えば、主役としての求心力に欠けていたように思った。確かに技術やルックスなど、主役の多くのファクターを持ち備えた役者だと思う。しかし、男性としての「華」に欠けると思ってしまうのは私だけなのだろうか。あとひとつプラスアルファが欲しいと思った。
  随分と好き勝手はことばかり言ってしまった。こんな劇評をできる立場にはないが、音楽座への想いは誰にも負けないつもりでいる。こんな身勝手な熱烈ファンがいることをきっと音楽座も許してくれると思う。
   早く新作で勝負してくれい!


第41回関東高等学校演劇研究大会/さいたま会場
於 彩の国さいたま芸術劇場
最優秀賞/秩父農工科学高校『サバス・2』
優秀賞/筑波大坂戸高校『絶対矛盾的緑望論序説』
         〜ようこそグリーンマンパラダイス〜
      岡谷南高校『変身』
      作新学院高校『TSUBASA』  
審査員/青木勇二・若杉民・内山勉・西川裕人・篠崎隆雄    
●「彩の国さいたま芸術劇場」の印象について 
  彩の国さいたま芸術劇場が開館当時から高校演劇に協力をしてくれている話は聞いていたが、何度来館しても、本当にすばらしいホールであり、スタッフだと感じる。今回の大会もTOPページの裏写真を見てもらえれば、わかると思うが、観客は満席であった。運営された教員、生徒実行委員の皆さん、本当にお疲れ様でした。気持ちよく観劇させていただきました。
●「秩父農工科学高校演劇部」の皆さん、おめでとう! 
  さて、農工演劇部の皆さん、若林さん昨年度に続き、おめでとうございます!年賀状に「あと2年。ますます高校演劇が楽しくなっています。どうしましょう。」とあり、ああ…これで「ますます」どころか「もうとまらないほど」になってしまったであろうと拝察いたします。どうぞ2年間を完全燃焼させて下さい。何はともあれ、おめでとうございます!
●「北関東大会」の水準について 
  今回の北関東大会は大変水準が高かったことと、内容がバラエティに富んでいて、いわゆる「比較できない」状況があったと思います。審査員の先生方の心中を察するに、本当に大変だったと思います。でも、納得の結果だったというのが私の感想です。
●劇評「第1日目」 
  それでは順番に劇評を加えていきたいと思います。群馬県代表の伊勢崎工業高校、竹内銃一郎の名作、『あの大鴉、さえも』。伊勢崎工業は毎年毎年、北関東常連で、その都度楽しまさせてもらっています。今回はどうも部員数が減ってしまったのかしら?もっとたくさん部員がいたような。まあそれはどうでもいいとして、この『あの大鴉、さえも』はもともと男3人のお芝居です。女子2名を混ぜてまで、この作品にこだわったのには何か理由があったのでしょうか。実際、台詞は女言葉に直していた。それでいて、銭湯のシーンでババシャツ洗ってのをどうして男のあなたが見れたんだ?とか、ロマンポルノ女優の三条るみが障ったであろうドアノブを、なんで女のあなたが「今夜はこいつを抱いて寝よう」とか言っちゃうの?とか矛盾点がいっぱいあって、観劇している側も、あるときは女になったり、男になったりと混乱してしまったりした。あと全体的にパワー不足だったことと、「笑い」のツボを演じ切れなかったことが残念だった。本来この作品は爆笑の連続の作品だと思う。幕開きで、水道の蛇口が詰まっていて(?)ポツンポツンとしたたり落ちる音から始まる。現代人のコミュニケーションすればするほど、行き詰まってしまう状況を山田家が見つからないことで示していく。しかしそれは最初からあった三条家が実は山田家だったという「解決」をみて、詰まっていた蛇口は全開になって、水が流れ落ちる。すっきりした気持ちで幕が下りる。今ひとつスッキリ感が足りなかったと思った。チョット劇評が長くなりすぎました(謝)。
  次は秩父農工『サバス・2』。まっこと毎回お見事としか言いようがない。不条理の深さの点において、若林先生らしくないという気はしたが、十八番作品、別役の『天才バカボンのパパなのだ』を上手に劇中劇として取り入れ、実に最後まで飽きさせることなく仕上げた。大道具、小道具、衣装など、スタッフ面のすばらしさは、もちろん言うに及ばない。
  宇都宮女子『振り上げすね打ちもう一本!』。生徒創作、すごい。なぎなたの扱いもすばらしく、道場存続のために家族が奔走する、心暖まる作品だった。おばあちゃん役は間違いなく名役者。他の役をやらせてもピカ一だろうと思う。ただ役柄設定、話の展開がが多少ご都合主義であった感は否めなかった。つじつま合わせがなく、もっと必然、自然であったら、良い作品になったと思う。
  共愛学園『破稿 銀河鉄道の夜』。宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラの関係をうまく現代に盛り込み、また『銀河鉄道…』のテーマを上手に借りながら、見事に仕上げた。クライマックスはBGMが優先してしまったことが残念だったが、汽笛の音とスモークを絡めた効果がすばらしかった。
  柏崎高校『あなたのおうちはどこですか』。まったくもう!どうして審査員はこの作品を優秀賞に入れなかったのですか!やはりこの作品を入賞させる「勇気」が欲しかったです!正直言って演技的にはうまくないし、芸術的な側面から見れば、「難あり」なのかもしれない。しかし、あの一種特有のノリと間、そしてうまいと下手のギリギリの線をゆくはらはら感と笑い。どこまでこのノリで行くのだろうと思っていたら、とうとう最後まであのノリをまっとうしてしまった。まじめに偉い!工学院の堀江先生(元関東協議会事務局長)とも、この笑いのルーツは何だろうと話していたのだが、これはまさに「吉本新喜劇」のノリなのだ。全員で同じポーズをとったり、ずっこけたり、最後は人情芝居でしめくくり、全員がまるくおさまる。まったくもう私はこの芝居が好きだった!部員達とのディスカッションでも、この作品はとめどなく意見が出た。この日一番の盛り上がりをみせたと思う。高校演劇って何?と考えたとき、この作品は否定しないで欲しかったというのが、私の意見である。
  新潟高校『夏芙蓉』。同作は神奈川でもかなりたくさん上演されていて、いわゆる今年の人気作品だ。丁寧なつくりだったが、ラストの花の美しさに比して、役者の想いが今ひとつこちらに伝わってこなかったのは何故だろうか。あと、全般的にテンポが一定で、芝居のメリハリがあまり出ていなかったように思った。もしかすると作品自体がそうしたつくりになっているのかもしれないが、発見や驚き、琴線に触れるような迫ってくるものが足りないと思った。
●劇評「第2日目」
  松本筑摩高校『回転木馬とジェノサイト』。正直びっくりした。すごい脚本である。こんなスゴイ脚本を書く教師がいたことに驚いた。どうひっくり返っても私には絶対書けない。こうしたスゴイ台本を高校生に演じさせるのは、少し酷だと思った。難し過ぎますよ。プロの役者さんであれば、それなりに消化して、それなりに演じるのだろうと思うが、やはり高校演劇のレベルを超える作品ゆえ、生徒さん達は大変だったと思う。それにもめげずよく頑張ったと思う。
  筑波大坂戸高校『絶対矛盾的緑望論序説〜ようこそグリーンマンパラダイス〜』。名前も奥深いが内容も奥深かった。人間が植物にされてしまうという近未来の恐ろしいお芝居なのだが、構成・展開もよく、役者も達者だった。笑いもおりまぜながらも、真摯にテーマ追っていった。生徒創作という点でも高い評価ができると思う。
  岡谷南高校『変身』。見事な造形美である。宮本亜門の『変身』の演出が下敷きになっているとは思うが、見事である。高校演劇は何でもありだと言われるが、こういう取り組みが、その裾野を広げていると思う。カフカの持つ陰鬱たる世界をたんたんと描いていた。珠玉の作品だと思う。あとは役者にもう少し「パワー」があれば、最優秀賞も可能だったのではないかと思う。
  作新学院高校『TSUBASA』。いつもの大垣ワールドが展開された。精密な舞台美術もさることながら、すみずみまで行き届いた芝居への情熱は大会一だと思った。ただ、農工の芝居がともするといプロ好みされる仕上がりだったのに比して、作新のはやはり観客を喜ばせる「大衆演劇」のつくりだったと言える。だいたい農工と作新と岡谷南をどう比較しろと言うのでしょう。審査員はほんとに困ったと思うね。すばらしかったです。
  草加東高校『DELETE』。ごめんなさい!時間の都合で観劇できませんでした!

  先日南関東大会終了後、掲示板に書き込みがあって、某高校が神奈川でぶっちぎりだったと言っていたが、関東大会で観劇したらがっかりした。神奈川って水準低い…云々、と。この「勝手に劇評させとくれ」は正直言って、誰からも批判を受けること承知で、書いています。私の劇評など、プロの方々からすれば、赤子同然のたわごとであり、高校生の皆さんから見ても、勘違いオヤジに違いないことは明白なのである。ですから、その矛先は、ぜひ私に持ってきてもらい、出場校に向けないようお願いしたい。あんた間違ってるよ!というのはいくらでもお受けしますので、そこのところはよろしく頼みます。
  南関東大会の劇評はあとしばらくお待ち下さい。頑張って書きます! 


音楽座『とってもゴースト』
2005年12月17日(土)於関内ホール
 前回の『マドモアゼル・モーツァルト』に続く、音楽座第2弾、『とってもゴースト』を部員全員で観劇した。復活音楽座を目指す第1作については、かつての音楽座ファンからは賛否両論の作風となり、まあとりあえずは、よい意味でも、多少悪い意味でも、新・音楽座として再スタートを切った。
  今回はそうしたイメージを払拭するためか?初演のリメイクにとどまる内容だった。確かに全盛期の音楽座ファンとしては、懐かしさに満ち溢れ、「そうそうこれこれ」などと、いにしえの音楽座に浸れたのは事実である。特にモーツァルトは小室哲也の音楽がなくなった不満が大いに残ったわけだが、今回は音楽もそのままに、皆納得したのかもしれない。しかし…しかしと思うのは私だけだろうか。確かにかつての音楽座に浸るのもいい。しかし、新生音楽座の方向性は果たしてそれでいいのだろうかと思う。リメイクではなく、当時の音楽座を越える新作を創ってこそ、本当の再スタートと言えるのではないだろうか。かつての音楽座ファンに再度リピーターになってもらうための、焼き直しであるならば、こうした展開も納得できるのだが。この先の興行展開を見ていくと、焼き直しばかりで、必ずしもそうとも思えない。宮沢賢治作品はどうなっちゃったのですか?とか、新作の書き手がいないんですか?とか、音楽は高田さんはもう新曲書いてくれないんですか?とか、やはり新展開への期待が強いだけに、今の方向性には一ファンとしては納得がいかないのだ。私を使え!私を!などとあつかましさ爆裂。
  『とってもゴースト』よかったです。Wキャストになっていました。モーツァルトと違い、稽古不足の感はありませんでした。わかりやすいストーリーと役者さんの久々の「音楽座歌い」を聞けて、とっても心温まりました。


2005年度神奈川県大会を斬る!
2005年11月19日(土)〜20日(日)
県立青少年センターホール
 ともあれ、お疲れ様でした。今年の県大会は面白かったね〜!というのが、会場のお客様の大方のご意見のようだ。昨年度がどうのこうのとは言いたくないが、間違いなく今年の県大会は内容のバラエティさも、レベルも数段上をいっていたと思う。県大会はやっぱこうでなくちゃ!というのが、まずは私の感想。
  さて、劇評といきたいのだが、その前に…私は今回は(も?)、舞台の世話役をさせていただいたので、舞台袖からしか観劇できなかったこと(当然お芝居は客席で観るのが当たり前で、演ずる側の意図がきちんと受け止められていないかもしれない)、また、自らも出場校の顧問だったこともあり、自分達の上演前後は観劇できなかったこともお伝えしておく。そういうわけで、概評的なコメントしかできないことは、ご容赦願いたい。
  個人的な話になるが、今年から事務局に返り咲いたので、大会当初からやりたいと思っていたことがあり、実行させていただいた。青少年センターで行われた「大会参加校全校に義務づけた説明会」での「舞台心得」の冊子の配布である。私の完全オリジナル冊子である。この冊子を配布したのは、偉そうな言い方になるが、神奈川の高校演劇のスタッフワークを少しでもレベルアップさせたいという想いからである。関東大会や全国大会のスタッフをしていて思うのは、神奈川代表の生徒の舞台に対する意識の低さである。礼儀もわきまえなければ、舞台の約束事も知らない、舞台監督が何も指示できない…などなど、とにかく他県の鍛えあげられたそれとは比較にならない状況を憂いていたからだ。たかがそんな冊子の配布で、いきなりスタッフワークが向上するとは思えないが、それでも私の事務局員としての使命のひとつと感じて、これからも働きかけていきたいと思う。まもなく私が中心になって、県連盟の公式HPを開設する。そこにスタッフワークに関する質問に答えられるコーナーをつくりたいと思っている。どんなことにでも対応できるよう、私個人もまだまだ勉強を続けたいと思う。こりゃ蛇足でした。
  今年の出場校はどの学校もかつてないほど、舞台の約束事を守ってくれた。その裏にはセンタースタッフの細かな指示なり、配慮があったことは言うまでもない。同時に生徒実行委員のスタッフ達が実に責任感をもって働いてくれたことも見逃してはならないと思っている。出場校とそれを支えるスタッフが調和すると、今回のようなきちんとした大会運営につながることを実感した。実は来年度は関東大会が神奈川で開催される。少し見通しが明るくなったというのが、本音である。
  前置きが長いが、もう少し。今回センタースタッフの責任者の浜田さんと事務局との、裏でのあるやりとりがあったので、ぜひ紹介したい。関東大会や全国大会では、リハの時間や本番前の準備の時間は厳しい計時があり、極端な場合は(山形大会の際に実際あった話だが)、審査対象外となる。茨城などは、舞台袖に境界ラインを引き、タイムウオッチを持った計時係の先生が、「まだ入っちゃダメよ〜」などと言いつつ、カウントダウンをして、舞台の準備を始めさせるというスタイルをとっている。そうした流れをくんで、神奈川県大会も計時を行い、さすがにオーバーした学校を審査対象外にしたりはしていないが、厳重注意というかたちをとっている。コンクールなのだから、至極当然と言えば、当然なのである。しかし、そうした方法に浜田さんが異論を唱えたのだ。「こんなやり方を続けてたら、神奈川の高校演劇はどんどんダメになっちまうぞ。コンクール用に装置は小さくなっていくし、準備に時間がかかる仕掛けなんかも、どんどんなくなってくよ。俺達は高校生がやりたいことを実現させるために手伝ってんだ。上に行く学校のために手伝ってんじゃなくて、県大会に来た学校のために、俺達がやれることはすべてやってやろうと思ってやってるんだ」と。これは正直事務局員全員の心に大きく響いた。取り決めたわけではないが、時間時間とあおるのはやめようという暗黙の了解を持って、今回の大会運営をスタートさせたのだ。しかし、結果的には時間制限を越えた学校はひとつもなく、逆にタイムテーブルは30秒とずれることなく、見事な(もう完璧な)進行で幕を閉じたのだった。
  こうしたセンタースタッフの熱い想いと、出場校、実行委員達の協力があって、この大会が運営されていたことを報告したいと思う。ぜひ来年も、センタースタッフに頼るところは、しっかり頼って(色々勉強をして)、自分達の責任の部分は甘えることなく、しっかりこなし、コンクールながらも、中身のある発表会にして欲しいと、切に願うばかりである。
  やっと劇評である。まずは何はともあれ、清泉女学院高校の「七人の部長」である。ぶっちぎり最優秀賞、おめでとうございます。やがて、得票は公開されるので、言いますが、ぶっちぎりでした。というより、ぶっちぎりで当たり前の内容だった。何がすごいかと言えば、物言いのすばらしさである。切れのある台詞まわしは、日頃の訓練のたまものとしか言いようがない(演劇部の部長さん役、ガンバって!)。かつての法政二高の「怒れる十二人の男たち」でも、同様の感激を持ったが、ああいった台詞劇を巧みにこなせる力量は、必ず上部大会につながっていく。また、テンポの良さと絶妙な間の取り方は、まさに全国レベルと言っても過言ではない。うちの学校も見習わなければならない。
  この作品は数年前の全国大会最優秀賞受賞作品である。もちろんこれは結果論でしかないのだが、関東、全国を勝ち抜いていく際に、神奈川オリジナルでなかったのが残念でならない。嫌な言い方になるが、我々は「保障付台本」と呼ぶ(障害者をテーマにした作品を「禁じ手台本」と言ったりもする)。もちろん真摯に取り組んでいることはわかっているのだが、コンクールという性格上、気持ちの上で引っ掛かってしまうのは、恐らく私だけではない(非難轟々かしらん)?あとで触れるが、渕野辺高校の「やっぱりパパイヤ」も同様で、たまたま今年の神奈川代表2校が、最近の全国最優秀賞受賞作品だったのだ。う〜ん…なのである。
  あえて、オリジナル「七人の部長」と比較する。本家本元は、七人の各部長のキャラに即した「物言い」がなされていた点である。たとえば、手芸部の部長はなるほど手芸部部長らしい話っぷりだし、アニメ部部長も各運動部も、なるほど各部の特徴を出した話っぷりなのだ。このキャラの立て方が清泉の場合、まだ甘い。物言いとテンポの良さがあまりに良いので、その妙味に驚かされてしまい、なかなかキャラ立てに気がつかないというのが、今回の審査の中身だと思う。いや、もちろん他との比較において、群を抜いていたことは論を待たないのだがね。そういう意味で、関東に向けて、そのキャラ立てが課題ではないかと思う。あと装置として立てられていた、単純な書割はいただけない。囲えばいいというものではない。部屋の形にでこぼこをつければ、アクティングエリアにも変化をつけられるし、ドアの後ろの隠し壁もないし、何よりドアの作りをもう少し精密にすべきだ。汚しも甘い。
  それでも総合力は一番である。しかしながら、このままでは関東大会優秀賞(3番手)で終わってしまうと思う。瀧先生、ぜひ、改革の道を!
  次に渕野辺高校「やっぱりパパイヤ」。伝統というのは恐ろしい。5週間前に作品変更になった話は佐藤先生から聞いたが、この短期間で作品として体をなしてしまうのは、やはり実力か。うちなどは6ケ月の歳月をかけ、台本は第7稿目、6回の本番ステージを経て、今回に至っている。絶対保障付台本でも5週間では仕上がらない。そういう意味では見事である。
  今回の渕野辺の舞台は、印象として、「こじんまりまとめすぎ」という感想を持った。細かい演出は芝居づくりの大変重要なファクターなのだが、そこにこだわりすぎると、全体像として求めている部分が曖昧になってしまう。特に(ある意味)群集劇というのは全体像が大変重要になると思う。もともと渕野辺の伝統とは多少荒っぽいが、個性の強い役者達が芝居全体をぐいぐい引っ張っていくというスタイルだと思う。それを知っているだけに、そうしたエネルギーのベクトルが、こじんまりとまとまる方向に働いてしまったのが残念でならない。キャラの強さが足りないと思った。これは千葉の強豪、薬園台高校の代表作品なのだが、やはりオリジナルのダイナミックさ、繊細さ、キャラ立てのすごさは、申し訳無いが比較にならない。渕野辺オリジナルとして、何を求めていこうとしているのか、そこをしっかり話し合って、練り直して欲しいと思う。
  あと、出演順に審査は関係ないと言われているが、日曜日ラストというポジションは、結果的に観客を味方につけたと思う。土曜日1番に上演していたら、どんな結果になっていただろうか。もちろん観客動員もされた結果だと思うが(うちも200人の動員をかけてるぐらいですから)、熱演されていた光陵高校などは、本当に気の毒だった。あの人数では、誰に向かって演技すればよいのか、分からなくなってしまうと思う。何やらいちゃもんばかりつけて申し訳ないが、強豪渕野辺だからこそ、こうした庶民レベルの苦言も受け入れて欲しいと思う。ちなみに関東高校協議会50周年記念誌のラストページに佐藤先生といっしょに関東事務局をやっている斎藤先生のコメントが載っているので、そちらも読まれてみるといいかも。
  次に上溝南の「てんとうむし」。柏木先生の作品は山と観た。その中では正直あまり好きではなかった。8月のアートスフィアを経ているので、完成度は高いと思ったのだが、登場人物が突飛だったせいか、現実味に欠け、芝居に入りこめなかった。Jリーガーの野人岡野は個人的に好きなのだが、彼の登場で、作者の想いの強さが先行して、いよいよ私は取り残されてしまった。とはいえ、さすが創作脚本賞受賞作品だったこともすごいし、肉体訓練の積まれた役者達の身体表現はいつもながら、さすがであった。
  さて、言いたい放題してしまったが、一番指摘されなけらばならないのは、大船高校「パス&キャッチ」である。もう何でも言って下さいっていう感じだが、取り合えず自省を。言い訳になります。元は1時間40分の作品でした。それを切って切って、切りまくり、1時間10分の作品に。さらにテンポ詰めをして、60分に。いやあ無理し過ぎた。台詞は早口で、あれでは内容が伝わらない。さらに。作品が映像的過ぎた。新羽高校の篠崎先生のキツーイ言葉を借りれば、「テレビドラマから卒業しなくちゃダメだよ」ということか。わかりやすいストーリー立てが、逆に芝居らしくない印象を与えたのかとも考えた。確かに場転は見せる暗転を心がけたのだが、映画ならいざしらず、芝居としては違ったのかな?と思う今日この頃。また、連盟顧問の西之園先生の言葉によれば「ありきたりな題材を取り込み過ぎ」とも。いやあ、まだまだ勉強が足りない。スタッフワークは誉められても、なかなか劇作は誉められない。そこがうちの芝居の弱さであることは如実。音楽の多用は地区大会から指摘され続けてきたのだが、あえて突っぱねてここまで来て、やっぱり同じ指摘を受けてしまった。ちなみに音響家の鈴木先生にも、表彰式後、念押しでコメントを求めたのだが、氏は1ケ所だけ余計だと思ったが、あとは見事と賞賛して下さった。どう捉えたらいいのだろう。ちなみにうちの音響屋さんは、この後某大学の音響関係学部に進学するぐらいの、うちではやり手音響家である。そこで、選曲も入れる箇所もすべて彼女に任せてきたいきさつがあり、少し曲数を減らすと言っているが、基本的には私は口を出さないつもりでいる。音なしで役者がもっていかれる力量をつけさせることが先決かな?
  今回は4校の劇評だけでごめんなさい。


新井千尋(通称「こんぶ」)
エキサイト劇サイト劇評!
【本日のお芝居】
劇団鳥獣戯画「十八番」
2005年11月5日(土)19:00開演 
於横浜相鉄本多劇場

【新井千尋って誰?】     
ODCの踊り姫。持ち前のクラシックバレエの経験を武器に、ダンスチーフとして君臨する3年部員。身体の切れの良さを生かした、センス抜群のお笑い芸人?!学区外からODCを目指して、受験。将来はどうしても穴掘り(発掘)の仕事がしたいと、すでにAO受験で某大学史学科に、部活を引退することなく合格。芝居を見る眼は顧問にも負けない。さてさて、今日は特別講師として、劇評をしていただこう。※紹介記事:顧問野間
 野間先生に突然「劇評」を書いてみろと言われました。お初におめ文字いたします。「こんぶ」こと新井千尋でございます。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします。
  さて、今回のお芝居は横浜相鉄本多劇場、何度か足を運んだことのある小さな劇場である。どうでもいいが、私はでっかい舞台が好きだ。ポンポン迫(せり)から人が出てきて、バンバン舞台セットが転換し、ジャンジャン役者の衣装が変わり、歌って、踊って、最後に羽なんかしょって出てきてくれれば、もち最高である(顧問注:こんぶが無類の塚ファンであることは周知の事実である)。だが、同じくらい小劇場の芝居も好きなのである。役者の目の気迫、体温、息づかい、ひとつひとつが、ダイレクトに観客に伝わり、劇場全体が一度の温度差もなく、「演技」につつまれる、あの感覚。たまらんのである。小劇場のお芝居と聞いて、「よーし!空いてたら前列でかぶりついてやるぞー!」と意気込んで来たのだが、入ってみるとそこには、私の知る「小劇場」の面影はなかった。
  そこにあったのは、寄席と歌舞伎座のあいこのような、いわゆる昔ながらの「芝居小屋」、なんだかそんな空間であった。入口でパンフレットを渡された時、はさまれていた一見、鼻紙のような風情の紙。見た瞬間、「ははぁ…これは本格的にやりおるなあ…」と思っていたが、案の定である。「しまった、茶屋を頼むのを忘れてきたわい」と思わず頭をたたくほど、その空間はお客を「歌舞伎十八番」に引き込むには十分な演出力を発揮していた。舞台前最前列には手作りの升席、客席中央には花道らしきものもあり、そのまわりをお茶子に扮したお姉さんたちが、笑顔で走りまわっている。桟敷がないのが残念である。このようなお客を引きつける工夫は、やはりさすが、プロと言うべきか、鳥獣戯画と言うべきか。
  さて、お芝居の方はというと、これもやはり一風変わっていた。舞台があくのも一回きり、はねるのも一回きりだが、その中にいくつものストーリーを組み込み、歌あり、踊りありの中、全体を貫くストーリーにのって、クライマックスへと盛り上がる様は、「芝居」というより、某逆歌舞伎テイストが売りの劇団さんが(顧問注:周知の事実のアノ劇団である)、よくおやりになる「ショウ」「レビュー」と呼ばれる演目に近いのではないかと思う。
  全体的なストーリーとしては、切腹間近の忠臣蔵の主人公、大石内蔵助が夢で歌舞伎十八番をすべて見てゆくという、イリコの設定。最初は話の進み具合いがタルく感じられた。難しい単語も多かった。そうしたせいか、睡魔に襲われる客(主に我らが顧問)もいたようだが、狂言まわしをつとめる黒子三人のコミカルで、歯切れのよい演技がすばらしく、特に後半のテンポよい場面の切り換えとスピーディーな話の進行が秀逸で、前半から加速しながらバトンタッチできていたように感じた。
  「十八番」といっても、すべてじっくりやるわけではなく、中盤はまるで尻とりのごとく、関連あるエピソードをつなぎながら、バシバシと「十八番」を消化してゆく(内蔵助のネットサーフィン<笑>)。次々に現れる登場人物、ダンス、小ネタ、ギュンギュン変わる衣装、小道具。次は何が出てくるのだろうかと、気がつけば夢中になっていた。「歌舞伎十八番」と「忠臣蔵」という単純で、手ずれのした(と言ったら失礼だが)題材を、ここまで「お客様のためのエンターテイメント」として作り上げるというのは、やはり情熱のなせるわざであろうか。
  惜しむらくは、少々お客様の個々の知識に頼むところが多く、「カブキ?なんじゃそりゃ、食いもんか?」という人にはあまりお薦めできない難しい展開があった点であろう。長くて独特のリズムや台詞まわし、また長台詞などに、時々聞き取りにくい箇所が多々あったことも残念に感じた。しかし、難しいといっても、学校の歌舞伎鑑賞教室を少しかじった程度の私でも、十分に楽しめ、口上や長台詞などは、なんとなく雰囲気を味わえただけでも十分だったと思うのだが…そんなんじゃダメ?
  取り合えず、こんぶ個人としては、大変いい気分で観劇させていただき、勢いで、初めに配られた「一見すると鼻紙のような紙」に100円おひねりしてきたりして、十分に「歌舞伎十八番」な雰囲気を味わって帰ってきたわけである。欲を言えば、小劇場という客との距離が近い環境にありながら、あまり客へのからみがなかったのが残念であったと思う。一人一人の出番が短いから仕方がないのかもしれないが…。せっかくの花道なのだから、もっと活用して欲しかったな…と色々考えてみたりするのである。
  この芝居の魅力としては、やはりお芝居を観て感動するとか、メッセージを受け取ろうとか、そういう肩に力の入った見方をせず、ここであったのも何かの縁、この空間の雰囲気を役者といっしょになって、無責任に楽しんで帰れるところであろうか。それだけの、気安い、切ないぐらいの一瞬の舞台とお客のコラボこそが、エンターテイメントという演劇の本来の姿なんではないかと思った、こんぶであった。
  以上、劇評とは名ばかりの不躾なこんぶの徒然なる感想でございました。どうかお目こぼしを(苦笑)。                                         こんぶ

 追伸 先生、今度は羽しょった逆歌舞伎テイストの某劇団の舞台にも(ぜひ宙組トップが入れ代わる前に)連れてって下さいね(哀願)。

 【顧問野間より】
  さすがこんぶ!なかなかじっくり観てますねえ。しっかり劇評になってましたよん。すばらしい。確かに前半のテンポをなんとかすれば、一気に持っていかれる構造になってたね(前半の居眠りを反省しつつ)。そしてカーテンコールで、あくまで47人すべて出そうとするナンセンスぶりが、逆に知念さんの笑いへのセンスのよさと言えましたよね。30人越えたあたりから、湧き出すような笑いが会場を支配してたもんねえ。よき時間を有難うございまいた!竹内さん。


四ツ葉屋旗揚げ公演『マダムの七日間戦争』
脚本・演出/府川祐介
2005年10月9日(日)13:00〜、17:00〜 
於湘南台市民シアターリハ室
 四ツ葉屋の旗揚げ公演を部員全員で、観劇した。湘南台市民シアターの地下にあるリハーサル室だったが、さながら小劇場の装い。なかなかよき空間であった。
  さて、社会人劇団の苦労は、とにかく皆が仕事を持っていたり、主婦したり、育児したりで、なかなか全員が顔を揃えられない点にある。練習日も週2回できれば、御の字である。せいぜい週1が世の中の相場だろう。 果たして、四ツ葉屋さんも同様のご苦労をされていたやに聞く。本番前に合宿を組むという、追い込みをしたと聞く。しかし、社会人劇団の強みというか、凄さというか、それは「集中力」に他ならない。時間がない分、気合と集中力でカバーする。逆に言えば、それが稽古し尽くされたプロと違い、社会人劇団が独自の持ち味を出せる「ゆえん」に他ならないのだと思う。本当にお疲れ様でした。
  まずは「ちらし」と「プログラム」の質の高さについて、触れるべきだろう。自家製と聞くが、そんじょそこらのプロ劇団以上の出来栄えである。実際チラシやプログラムを製作してみればわかるのだが、本当にセンスのよいものをつくることは難しい。または亜流になったりすることも多い。そういう意味で今回の制作部門には、相当な「こだわり」が溢れている。ちらしは劇団の顔である。そういう意味で、客の期待を膨らませてくれるものだった。
  さて、劇評に入る。チラシにはない『オムライス。』という作品が加わり、2本立?と思いきや、『マダムの七日間戦争』に引き込むミニ作品として、上演された。チョット新鮮。なるほど、2本立とはいえ、こういうのもありかと思った。ほのぼのとした思いやり,、愛情を導火線にして、まさに戦争が始まったのかな。すばらしいバランスだ。
  『マダムの七日間戦争』はあえて(?)邦画の『ぼくらの七日間戦争』という作品のタイトルに擬したものだろう。ただ、あの作品は戦車まで動かし、校舎に立てこもる小学生を描いたものだが、「七日間」というのには、立てこもる日数として、3日じゃ短いし、10日じゃ長いし、7日間というのが、いわゆる彼等の「(いうなれば)旅」に見合った期間として扱われていたのではないかと思う。そういう意味で、このタイトルは七日である意味が不明である。七日どころか、ずっと続いてきたことだし、もしかしたら、この先も続くバトルである。まあ、権力との対峙という点では、同じ構図の作品なので、下敷き作品を彷彿とさせるという点では、これもありか。
  まず劇作。実は途中、1分30秒ほど寝た。理由は変化のなさである。会長の奥様とそれを囲む部下の妻達が、その奥様に媚びへつらうという構図でスタートする。そして様々な無理強いを乗り越えて、マダム達は最後には大同団結する。流れはよいのだが、強いられる様々な事件が、箇条書きなのである。こういうこともあった、こういうこともあったという感じで、「並列」で提示されるのだ。もしそのスタイルで押したいなら、とことんナンセンスだったり、とことん笑わせるなりせねばならない。つまり爆笑しすぎて、もう止まらない状態をつくる必要があると思う。しかし、笑いのつくり方が甘い。もうひとつの方向は、様々なエピソードが繰り返される中で(それは繰り返すというより、構築していくと言った方があってるかもしれない)、どんどん追い込まれていくマダム達を描き、ストレスのピークに達したところで、忽然とドラマが生まれるというスタイルがよいと思った。元医者はあくまで狂言まわし的な役割に徹しさせて、ドラマを動かすのは「マダム達」である必要があると思う。戦争の解決が当人達ではなく、第3者であるというのは、まさに日朝関係を中国が中取り持つのと同じになってしまう。やはりマダム達が立ち上がり、大国会長夫人と戦わねば、なんの戦争かがわからなくなってしまう。
  最後には元医者の画策によって、夫人は懲らしめられる。しかし、どうも後味がよくない。悪は成敗されるべきだが、しっくりしない。その時ぼんやり思ったのは、「実は夫人はそんな悪い人じゃなくて(作者はそういう方向で描こうとしていたと思うのだが)、ホントに悪いのは、夫人を祭りあげた周囲の人たち」といった構図の方が、アンチテーゼが効いたんじゃないかと感じた。元医者の「狂気」の笑みはマダム達によるものだとおもしろかった。ゾクっとさせられたんじゃないかな。弱者が徒党化して強者になるという構図は、大いに現代にも通じるテーマになったように思う。
  次に役者についてだが、皆それぞれに高校時代とは比較できないほど、上手になっていた。やはり年齢を重ねるというのは、演技にも深みを持たせるということか。神山役のノダさんは、うまく言えないが、演技が上手で、キャストの柱になっていると思った。細かい演技がすばらしく、特にこうした小劇場では、目の演技が生きてくる。また、間の取り方が上手なので、安心して見ていられる。難を言えば、その安心感、安定感が、役者としての個性を抑え込んでいる気がした。この先、いい意味で、観客を裏切る「予想を越えた演技」に期待したい。白鳥役の小桜さんの演技に、実は一番驚かされた。私がいた頃、彼女はまだ高校2年生だったせいもあるが、ホントに上手になった。歯切れがいい。あざとくない。つまり、自然である。ぜひ彼女のシリアスな演技を見てみたいという欲求に駆られた。桐野役の佐々木さん。新入社員の妻という若さ溢れる役どころを、好演していた。ともすると勢いだけで持っていきたくなる役だが、色々工夫し、役づくりがしっかりできていたと思う。でも、でもである!私は『オムライス。』の君が大好きだ!まじでいいぞ。君のあの自然さを引き出してくれる芝居に出会えるといいね。なかなかあそこまで輝けないって。オドロイタ!次に林田役のはやしさん。実はゲイの役かと思った。話を聞くと、セレブな集団の中で、「上品な役」として演じていたということだ。これはやはり演技の方向が違ったと思う。上品とは何なのか、漂うオーラが決定的に違った。ぜひ次回に期待したいと思う。銭俵役のひろぽんさん。もうあなたは20代ではない。永遠の爺キャラに脱帽。磨きがかってました。ラストの狂気の笑みはあなたにしかできません。はやくメジャーデビューして下さい。3役をこなした陽寿さん。3役は大変だったでしょう。イイ男が家政婦などやってしまうと、思わず見入ってしまいます。個人的には清掃業者役が、胴に入っていたと思う。ああいう人、いるいるって感じだった。ぜひこれからも演技力を伸ばしていってね(秘められた可能性を感じます)。宝船役の番茶さんには、かける言葉がありません。どぎついキャラは太刀打ちできないね。特にふてぶてしさがよく出ていたよ。ただ、少しお疲れ?だった?君のパワーはあんなもんじゃないと思ってるんだけど。こじんまりとまとまらないでよ、番茶さん!君は一人で観客全体を圧倒させられる力を持っているんだよ!でもまあ作・演出・主演とよくやったよ。準備期間をしっかりとって、次回公演はさらなる発展を遂げて下さい。
  四ツ葉屋さんの芝居は、可能性に満ち満ちている。なぜなら、次の芝居の中身が「予測がつかない」からである。予測がつかないというのは、役者自体の芸幅の広さもあるし、番茶君の野望やら、四葉純さんの生真面目さなどなど、まさに「異種混合チーム」だからだ。この異種混合チームが次に何を生み出すのかは、正直全く予想がつかない。初めの一歩は終わったので、次はぜひ飛躍の第二歩を踏み出して欲しい。


全国大会(青森大会)観劇評  2005年7月29・30・31日  於八戸公会堂
最優秀賞 青森中央高校「修学旅行」
優秀賞 山口・華陵高校「報道センター123」
      茨城・友部高校「トシドンの放課後」
      高松工芸高校・「HR〜ホームルーム」
創作脚本賞 「修学旅行」畑澤聖悟・作
舞台美術賞 山形・東根工業高校「ボクサー」
演出賞 「HR]
 今回は部員16名参加で、青森大会を観劇した。各地方大会、ブロック大会を勝ち抜いてきた作品だけに、学ぶべきものが盛りだくさんで、部員達は本当によい経験をすることができた。今年は例年に比べ、非常にレベルが高く、どこの学校が選ばれてもおかしくない内容だった。
  その中でも最優秀賞を受賞した青森中央高校「修学旅行」は、キャストのキャラクター、テンポ、そしてその裏側に見え隠れする国家対決などなど、抜群の脚本に生徒達の努力が重なった、珠玉の出来栄えだったと言える。本来は開催県特典で出場した高校は、言い方は悪いが選外であるケースが多い。過去の記憶では名古屋大会の際に愛知高校が「祭りよ今宵だけは悲しげに〜銀河鉄道と夜〜」で最優秀賞を受賞したぐらいしかない。それほど開催地出場の最優秀賞受賞には価値がある。ホームでの公演だから、ということではなく、観客を味方につけてしまったのが大きい。一度とってしまった笑いは次の笑いを呼び、もう出てきただけで笑いが生まれるという、出落ちにまで発展してしまった。
  優秀賞の3校はどれもバラエティに富んだ作品で、すべて毛色の違う内容で見ごたえがあった。山口の華陵高校「報道センター123」は部員達の審査投票でも高得点を挙げた作品のひとつだった。若者好みの作品と言ってしまえばそれまでだが、いわゆるメディアとしての「報道」の在り方を高校放送部という身近な存在に置き換えて、観客に問いかけた作品だった。決して高校放送部だけの問題でないというアンチテーゼが観客を唸らせたのだと思う。キャスターとスタッフの切り替えの妙味なども相まって、完成度の高い作品だった。茨城の友部高校「トシドンの放課後」は南関東大会劇評でも述べたと思うが、学校の持つ裏側の顔を実に上手に描いていて、そこで培われる生徒同士の友情が、決して押し付けでなく、素朴に描かれていた点が「高校演劇」という枠にはまったような気がする。高松工芸高校「HR」はとにかく舞台も脚本もリアリティの追求に終始した点が評価されたのだろう。教育困難校の抱えるあからさまな問題点を披露し、実際こうした高校現場を知らない人達にとっては、驚きの舞台だったと思う。私自身はこうした学校を経験しているだけに、実はかなり辟易(へきえき)した想いで観劇した。確かに現実にはあることなのだが、そこに劇的感動が描かれていたかというと、今ひとつ描ききれていないように感じた。しかしこうした賛否両論の作品というのは、概して優秀な作品だからこその結果であることも、付け加えたい。
  今回一番関心を持ったのは埼玉の秩父農工高校「なにげ」の評価のされ方だった。残念ながら講師の劇評は全く聞けなかったので、何とも言い難いが、後日別件で舞台美術の内山勉先生とお会いした際に「やっぱりわかりづらい芝居だったからね」とおっしゃっていた。確かに様々な解釈が成り立つ作品なだけに、そのマニアックさに芸術点を与えてくださった審査員がいなかったことが原因と思われる。北関東大会の際よりは、ずっとわかりやすかったが、キャストの入れ替えも多く、苦労のあとがうかがわれた。顧問の若林先生は(北関東大会でも同じ台詞を言っておられたが)、やはり開口一番「意味がわかりました?」とおっしゃられた。「それなりに」としか答えなかったが、やはり不登校の少女の脳内を描いた作品で、ラストに登場した大勢の少女達は、全国に広がる不登校生徒の群れを示したのではないか?と解釈した。違った?!
  あと南関東大会では高い評価を受けた東京の江北高校「老人ホーム〜ひまわり園〜」は、残念ながら選から漏れた。オリジナルキャラクターは卒業せずに皆健在だったのだが、どうしたものか、南関東のときのテンポの良さが失われていた。
  その他、未来社刊の脚本集から引っ張ってきたであろう古い作品に果敢に挑戦した学校や朗読劇を演じた学校などなど、芝居の種類のバリエーションの多さにも驚かされた大会だった。



音楽座「マドモアゼル・モーツァルト」
於関内ホール 2005年7月23日14:00〜
 ついに音楽座が復活した。部員全員で観劇。確保した50席は部員以外に、保護者、湯河原のOBも加わった。先日拝見したフォンテでの稽古風景が思い出される。どれくらい仕上がっているのだろうか。
  開場が遅れた。最後の調整に手間取ったか?もぎりが慣れていないせいか、入場ペースがやたらと遅い。客の中には不快感を露骨に示す人達もいて、不安がよぎる。大丈夫か?音楽座!
  客層はとにかく若者が少ない。10年前の若者達ばかりだ。長い間復活を待っていたリピーター達であることは明白だ。今後どうやって若年層を取り込んでいくかが課題。頑張れ音楽座!
  会場内は期待と不安が入り乱れる。リピーター達はかつての音楽座やモーツァルトについて、熱く語っている。私個人も「ほんとに復活するんだなあ」という感慨でいっぱい。皆同じ想いなのだろう。
  さて、劇評に入る。第一幕が終わった時点でのホワイエでの感想を耳をダンボにして、聞いていた。ほとんどが「音楽」に関する話だ。やはり前回の小室哲也の音楽があまりに印象深すぎて、正直物足りなさを感じている模様。同感。メインテーマはラストで印象深く伝えられてよかったが、前半の曲の中に芝居を印象づける「名曲」が少なすぎたように思った。
  ミュージカル、とりわけ音楽座の凄さは曲のよさである。高田浩氏が音楽監督に入っているので、相当期待度も高まっていたのだが、メイン曲以外はどうも印象が薄いと感じたのは、恐らく私だけではないと思う。曲と歌だけで泣きそうになれる場面は残念ながら、今回はなかった。この先もこの楽曲で行くのか?!
  役者の皆さんは頑張っておられた。エリーザ、コンスタンツェ、サリエリとやはり芝居の中核をなす方々の演技は素晴らしかった。特にコンスタンツエの中村桃花さんの演技力は抜群で、本当に芝居を引っ張っていたと思う。サリエリの弘田勇二さんについては、まだ演技に迷いがあるようで、たぶんご自身も納得いってない演技なのではないかと推察する。エリーザの新妻聖子さんは抜群の歌唱力に比して、役の深さがまだ演技に反映しきれていないなどと言ったら、失礼なのだろうが、特に男から女に変わるところの演技はとっても不満が残った(えらそーに)。
  やはり特筆すべきは猪狩利江改め、鈴木利江さんのコンスタンツェの母(10年間の間にご結婚なされたのですね)。あのキャラクターを演じきれるのは彼女しかいないだろうと思った。それと芝居全体の求心力を一気に高めた、シカネーダの藤田将範さん。吉野圭吾君のシカネ‐ダファンも多かっただろうが、それを越えていたと思う。あの場面からラストまでの持っていき方は、お見事としか言いようがない。逆にシカネ‐ダ以降の場面で、今回の芝居は成立したと言っても、過言ではないと思った。「終わりよければすべてよし」の典型的なかたちだったと思う(このままでは終わらさないのが音楽座だとは思うが)。
  で、やはり今回触れておきたいのは、精霊達の演技であった。モーツァルトを取り巻く精霊役としては、正直まるで物足りなかった。彼等が輝けた場所が唯一、シカネーダ登場のダンスナンバーだけだったのは、絶対まずいと思った。あれだけのテンションと求心力のあるダンスを披露できる力量がありながら、他の場面での演技は単なるアンサンブルに終わってしまっていて、そこには深みも主張も足りなすぎた。もっと言うとあのダンスナンバー以外は、演出に封じ込まれていて、思い通りの演技ができていないといった印象が強く、あの場面に来て、本来の開放された自分を表現できている、そんな風に目に映った。彼等もまた現代の若者達である。したがって、あの手のダンスナンバーが楽しくて仕方がないのはよくわかる。しかし、精霊達のそれについてもしっかり表現できてこそ、プロのはしくれというものではないか。観客の目は節穴ではない。すべて若すぎる。個人の技術の高さも認めるし、見せ方にこだわりを持っているのもよくわかる。しかし、そこまでにとどまっている現状を知るべきだ(またまたえらそうに)。
  それと今回、ノブさんの印象の薄さはどうしてしまったの?とっても心配してしまったのは私だけ?病気か何かしていらしたのですか?そんな印象でした。彼の存在感は音楽座ファンなら、誰しも認めるところだと思う。役の軽い重いに関係なく、彼が登場するだけで、舞台全体が引き締まったものだった。今回はやっつけ仕事?っぽい印象すら受けてしまった(言いすぎかも)。
  といったところで、やってきました「震度5の大地震」!関内ホールの天井が落ちてくると思った!(泣)マジ揺れた。あれはヒドイ。私自身の芝居で一度経験がある。音楽座の「リトルプリンス」上演2年前に上演許可をもらった「星のおじさま」(なめたネーミングだ)を上演中のことだ。(ちなみにフランス文学著作権協会からガリマール書店、サンテグジュペリ遺族会と経由して、きちんと上演許可とったんですよ。で、思ったのだが、商業演劇には絶対許可出さないって言ってたので、あの93年の「リトルプリンス」って、ほんとに上演許可とれてたのか?という勝手な疑問が今だにあるのですが…。で、今回のパンフは正式に許可をとっているはずの「星の王子さま」改め、「リトルプリンス」に戻っていたので、老婆心ながら心配しているのですが。あ〜話が脱線しすぎました〜)で、その原作「星の王子さま」の「星のおじさま」上演中に、震度4の地震到来。ホールは大きく揺れて、ナント非常ベル炸裂。観客の半分は外に出てしまった。とそこへ場内アナウンス「非常ベルは誤報です。ご安心下さい」。その放送があって、わらわらと観客は戻ってきた。で、スゴイのは、ナントその間芝居はやめず、やり通したことだ。コンクールだったので、彼等の想いには全く揺らぎがなく(制限時間±30秒でつくり込んでいたので、その意志は強かったのでしょう)、その後審査員には絶賛され、もちろん1位通過を成し遂げた。で、再び話は関内ホールに。ちょうどエリーザとコンスタンツェの絡みのシーンだった。一瞬の縦揺れの後、大きく横揺れ。その間、約20秒(長い!)。会場はざわめいてしまった。すると二人はすっかり固まっていた。しかしコンスタンツェの肝は座っていた(?)。「あ!エリーザは演技やめるかな?!」と一瞬思わせるそぶりがあったのだが、コンスタンツェは演技を続けようとしていた。促されてか?エリーザも演技に戻った。そのあとの歌の拍手が大きかったこと、大きかったこと。歌への拍手ではなく、芝居をやめなかったことへのブラボー拍手だった。さすが演劇人です!
  最後にこの作品を現代の戦争の悲劇と結びつけたことについて。悪くはないと思うのだが、う〜ん微妙。以前、モーツアルト初演で、現代のピアノ弾きと記者?の回想というイリコスタイルで、このモーツアルトを上演したときと、同じような感想を持った。つまり、モーツアルトの本編で、十二分に成立する作品なのに、なんでわざわざイリコにするんだ?という疑問だ。ただ、初演では何度も現実にフィードバックさせたことで、芝居の線を切断させてしまったわけで、今回は歌などにさりげなく、戦争で撃たれた少女の回想が登場させることで、線を切らない努力がなされていた。そういう意味では同じではないのだが、どうも無理な展開を感じてしまったのは私だけだろうか。もし、音楽座が現代日本の様々な問題にメスを入れた芝居にするなら、申し訳無いが、こんなちょこざいな手は使わず、もっとスバッと斬る作品を新作オリジナルというかたちで製作してもらいたいというのが、率直な感想だ。むしろ、研修生公演でやったモーツアルトで、世の中に絶望を持った少年達を題材にしたあのかたちの方が、すんなりと受け入れられたように思う。球体をばらして道具立てにしたのは、あの演出を取り入れたはずだし。今の日本にとって、戦争そのものをテーマにするより、心を病んだ子供達をテーマにした方が、しっくりくる気がする。その点でも、違和感を感じた。
  本当に好き勝手なことを書いた。どれだけ意見できる立場じゃ!とも思うのだが、生粋の音楽座ファンなので、とにかく応援したいという気持ちは誰よりも大きいつもりなのだ。でなければ、50人も引き連れて、観劇には来ない。皆に「マジ本当に素敵な劇団だから、きてきて!」と誘いまくってチケットはさばいたのですから。もうひとつ私が音楽座ファンたる理由を言うと、「進化する劇団」であることだ。池袋ではどう変わっているのだろう?相模大野ではどう変わっているのだろう?とにかく公演ごとに上昇させていこうという劇団なのだ。その情熱、エネルギーをいただき、自分も頑張ろう!と思わせてくれる。それが音楽座なのだ。
  そういう意味で、今回、アンケート用紙を準備してなかったのはどうしてだろうと思いました。これからの進化を見続けていきたいと思います。


音楽座「マドモアゼル・モーツァルト」終稽古
7月16日(土)13:00〜 於テアトルフォンテ
 7月23日(土)関内ホールを皮切りに、いよいよ音楽座が復活する。音楽座解散の悲報から10年を経て、ようやく(本当にようやく)、プロデュース公演ではなく、劇団再編成というかたちで、我々の前に現れた。どれだけ多くのファンが待ちわびていたことか。解散当時には私の教え子も「とってもゴースト」で地方巡業している最中で、関係者にも事前予告ないままに、突然の発表、解雇という残念な幕の閉じ方をした。親元のヒューマンデザインの教育部門(早稲田塾)の経営も安定しての、復活劇と想像しているが、私個人もお世話になった、劇団音楽座時代(80年代)からのメンバー五十嵐氏も塾経営の傍ら、復活を熱く語っておらえた。そんないきさつもあり、今回の復活、そして全国展開への道のりは、本当におめでとうございますと言いたいのだ。そんな中、今回は制作部の石川氏には大変無理を言って、関内ホールに場所を移す前のフォンテでの最終稽古を、部員全員で観させていただいた。紙面を借りてではあるが、熱く御礼申しあげます。
  さて、我々は昼休み後の練習から観た。ちょうどラストのサリエリとモーツァルトとの絡みの場面からラストにかけての直しだった。ダ・ポンテ役の佐藤伸行さんはいらしたが、その他の主要メンバーはどうやら不在の様子で、主にコロス達の立ち位置の確認だったようだ。その後、中休憩ののち、幕開き直後の結婚式シーンの直しを観て、退散した。
  本番を観る前に感想を書くなど、まっことおこがましいが、とりあえず稽古の様子についての感想を語る。素晴らしかった事は、まずは役者達の「集中力」であった。プロなのだから当たり前と言えば、当たり前なのだが、約3時間、一回も集中が切れなかった。若さみなぎるエネルギーがそうさせるのか。また、皆仲がいい。これは恐らくは音楽座の伝統だろうと思う。時間がなく演出がピリピリしている中、決してムードが悪くならない。それはスタッフ陣の仕事ぶりも同様で、要求に対して、忠実に(確実に)応えていく姿勢も含め、仲のよさがうかがえる。ダンスの振付師も、恐らくは群舞と個人舞の担当は違うと思うが、要所要所に演出の要望に細かく応えて行く。連携の妙味といったものも強く感じた。
  あとこれは本番を観なければ何とも分からないが、「若さ」がどう出るか、ということだろうか。とにかくサリエリ然り、全体が若い。古参が脇を固めるのだとは思うが、その辺りが老婆心ながら、いささか心配である。エリーザ(=モーツァルト)役の子は、歌唱力等の技術的な高さもそうだろうが、恐らくは感性のよさによる抜擢なのだろうと思った(日常は少し変わった子かも)。前役の土居裕子氏と比較されるのは、恐らくご本人が一番嫌がる部分だと思うが(かつての音楽座ファンからすると、これは仕方のないことであります)、あえて言うと、今ひとつ「求心力」に欠ける気がした。華がないというのとは少し違う。存在感が足りない?それは技術的未熟さともまた違う。いったい何なのだろう。嫌、もしかするとテンションがあがり、エンジンがかかると、スゴイ演技をするのかもしれない…その辺りが稽古段階では読み取れなかった。少なくとも、稽古場での立ち居振舞いには、そうした感想を持った(コロスの位置決めが主だったから、流していたのかも。わからん)。あと、サリエリの若さも心配だった。ある意味、この作品はサリエリの出来、不出来で決まる。あの若さは大丈夫なのか。カテリーナとのやりとりの場面を観ていないだけに、断言できないが、「大人の男」が演じきれるのか。とってもとっても心配だ。
  期待と不安がどちらも強いだけに、23日の本番は本当に楽しみだ。どうぞ頑張って下さい!


ミュージカル「ファンタスティックス」宮本亜門・演出
 久々に部員全員と観劇にでかけた。目指すは世田谷パブリックシアター(三軒茶屋)、宮本亜門演出の、あの名作「ファンタスティックス」であった。
  いきなり事件発生!会場入口でチケットを配布し、部員達は会場内へ。小生は開演まで15分あるので、飲み物を探しに会場の外へ。会場前の交差点でポツネンと立って信号が変わるのを待っておりますと、目の前にタクシーが横付けに。ナ、ナント、降りてきたのは宮本亜門氏ご本人!キャァァァァ!氏はスタバに入ってしまった。時計を見ると開演まであと10分。「おいおい、見ないのかよ」と思っていたら、ホットコーヒーを持って出てきた。「そういうことか」納得する間もないほどに、ためらわず「あのう、こんなとこで失礼します。今日これから亜門さんのファンタスティックス観るんですけど…」と言いつつ、ペンを手渡し「サイン下さい」。なんと、ミーハーなことをしてしまったのだろう!しかし、氏は大変快く「楽しんで下さ〜い」と言いつつ、チケットの裏面にサインをしてくれたのだった。「う、嬉しい…」と思いつつ「いい思い出ができました。有難う」などとのたまいつつ、会場へ。小生は胸躍らせながら、これまた大人気なく、部員達に「ほらほら、これこれ!宮本亜門のサイン!」などとホザく姿は目を覆うものがあったと思う。反省。
  前口上はさておき、冷静に劇評しようと思う。この公演は公共施設を拠点に全国行脚を展開する、地域密着型の新しい事業展開がなされている。神奈川でもテアトルフォンテ(泉区民文化センター)や先月開館した杉田劇場(磯子区民文化センター)など、演劇専用ホールが独自の事業展開を試みている。さすが亜門さんといった印象。このパブリックホールは野村萬斎が芸術監督をつとめる、キャパ500〜600の円筒型のギリシア野外劇場を模した(?)イメージのシックな色合いのホールだ。2階、3階席は眼下に見下ろすタイプの観やすい構造の劇場だ。水戸芸術館ACM劇場やよこすか芸術劇場などのオペラハウス仕様のホールとは少し印象とはまた違う。いずれにせよ、客席とステージの境界線をなくすオープン形式がとれることを上手に利用した演出になっていた。なんと驚くべきは傾斜のついた変形舞台があり、その両脇にも客席が設置されているのだ。いわば、通常の客席から見る光景は、舞台と観客が一体になった感が強く、もちろん亜門さんの演出にほかならない。実際、本番中も縦横無尽に役者が観客席を飛び回り、ここまで舞台と観客が一体化した演出は見たことがない。
  さて、この傾斜のついた変形舞台。一見するとゲームのギャラクシーに登場する(?)、スペースインベーダーの宇宙船のような、なんとも不思議なかたちをしていた。私も使用したことがあるのだが、この「傾斜舞台」というのは役者泣かせの構造になっている。つまり、「踏ん張り」が必要なのだ。平たく言えば、足腰が強くなければ、稽古段階からへばってしまうことになる。いとも軽々と演技しているようにも見えるが、まさに役者の身体能力が問われる舞台なのだ。
  そして珠玉の演出が、装置の簡略化である。いわゆる帝国劇場型の装置も役者も物量で見せるタイプと異なり、シンプルにしかも少人数で、繊細に、しかしダイナミックにというコンセプトなのだろう。装置の簡略化は観客の想像力をかきたてる。まさにそこをねらった舞台である。これまた役者の技量が問われる舞台と言えよう。
  また「あかり組」のプランニングということもあり、照明のよる演出には相当手のこんだものがあった。シンプルな舞台をダイナミックに見せたのは、照明効果に浴する部分が大きかった。ムービングを駆使し、また傾斜舞台の淵には電飾を配し、シンプル空間をエンターテイメントに仕立ててした。やはり、亜門さんのエンターテイメント性はブロードウエイ仕込みということが言えるだろう。話は波及するが、エンターテイメントの極意は「ムダ」な演出にある。たとえば、わずか10秒程度の見せ場に、手のこんだシャンデリアが降りてきたり、ラストには大黒をオープンカーテンし、どれだけ時間を使って描いたのだろうと思わせるホリ絵を登場させたりする。「これでもか!」という見せよがしの演出ではなく、ほんのわずかな見せ場にスタッフが無限の労力を提供する。これこそがエンターテイメントの素晴らしきムダである。
  さて、オープニング。道化師らしき男がマイムよろしく、我々観客を舞台世界に引き込んでゆく。この男はのちに「ミュート」という、いわゆる舞台に「居る」だけの役者だとわかるのだが、舞台転換もすれば、設定もつくれば、小道具も役者に手渡す。黒子であり、狂言回しであり、まさに舞台の「かなめ」である。もちろん役者の一人なのだが、台詞はない。しかし居なくてはならなし、目立ってはいけない(カーテンコールでは相当目立ってたけどね。ま、それはありか)。千葉真一のJAC出身だけあった、飛んだり跳ねたり、身体能力の高さは抜群だった。
  そして、エル・ガヨを演ずる山路和弘さんの登場。山路さんを観てびっくり。ナント渋い役者になったことだろう。青年座の鈴木完一郎演出の「カルメン」に主演していた頃の山路さんは、申し訳ないが、奇才の片鱗はあったものの、その不安定さにハラハラしながら観劇したのを覚えているが、その堂々たる演じぶりに脱帽だった。歳月というのは本当に驚かされる。もうびっくりでした。で、始まる名曲「トライ・トゥー・リメンバー」の熱唱。もう感動、感動、感動!一気に芝居の世界にのめり込んでしまった。まさに亜門さんの思うツボ。今の高校生はああいったオールディズナンバーを聞いて、どう感じるのだろう。おじさんにとってはまさにノスタルジックな世界にどっぷり漬かれるのだが。
  この作品のテーマは「人間は傷つくことなくして成長はない」ということだろう。後半部は結構心理劇的色彩も強く、ミュージカルとのバランスの取り方に随分苦労していたようだが、それでも圧倒的に亜門流演出が効いていて、違和感は感じなかった。役者も新人の娘役をしっかりベテランが固めて、すばらしいバランスに仕上がっていた。名作ゆえにその難しさは計り知れないと思うが、見事な舞台だったと思う。


南関東大会・劇評
最優秀賞
●都立江北高校(東京都)「老人ホームひまわり園」佐原美芽子・原案、演劇部・作
優秀賞1席
●県立友部高校(茨城県)「トシドンの放課後」上田美和・作
以上2校は全国大会出場
優秀賞(出演順)
●拓殖大学第一高校(東京都)「夏だし、夜だし、夢だし」W・シェークスピア・作
●県立八千代高校(千葉県)「昭和みつぱん伝〜浅草・橋場二丁目物語〜」タカハシナオコ・作
●県立三島南高校(静岡県)「雪をわたって…〜あの日私たちは森へ行ってみた〜」北村想・作
創作脚本賞
●県立袋井高校「殻」太田詩織・作

 南関東大会は今年も都会的センスの高さの東京都代表を中心に、さまざまなスタイルの百花繚乱のお芝居が軒を並べた。私個人として何より嬉しかったのは、高校生が高校生を演じるお芝居が少なかったことだ。昨夏の徳島での全国大会・劇評でも触れたが、出演校すべてのお芝居が高校生を素材にしたものばかりで、異常事態宣言?!をしてしまったのだが、北関東も南関東もそうでなかったことに、まさに安堵したしだい。
  その最たるものとして、最優秀賞に輝いた「老人ホームひまわり園」はタイトル通り、ご老人総出演の「by the高校生of the高校生for the高校生 ご老人劇」でした。確かに日常の切り取りという点ではドラマ性が希薄と言えないこともなかったが、何よりも自分達のメッセージ性の高さが芝居を支えていると思った。また、役者それぞれの力量を考えてのキャラクターづくりや、演出の妙味など、とにかくバランスの良さが光った。やりたいことをただ盛り込む自己中芝居と違い、しっかり計算のされた構成になっているのには、指導者のセンスがうかがえた。最後に文化祭でご老人達がミュージカルダンスナンバーを鼓舞してしまうシーンなどは、あえて老人ではなく、高校生として踊ってしまい(このとき観客は皆「あれ?老人じゃないじゃん。高校生として踊ってるよ」と多少幻滅したに違いないのだが)、最後の決めポーズだけ、老人にしてしまうという演出(つまり高校生として踊っているのだが、実はご老人として踊ったのよ、という演出)にまとめているあたりは、小憎らしい効果をかもしだしていた。センスの高いお芝居でした。
  それに対し、「トシドンの放課後」はまさにアンバランスのバランスの良さとでもいうか、申し訳ないが、決して演技力が高かったとは言いがたかった。しかし、その未熟さがどういうわけかリアリティを生み出しているのには、恐らく観客全員が驚かされたに違いない。台本自体が徹底的に高校の生活指導の現状を、まさに忠実に描いている。教員でなければわからない微妙な教育現場のあざとさをリアルに再現している脚本なのだ。そのリアリティさに負けない役者の「素(す)」の妙味とでもいうか、なぜか観客はまっこと納得させられてしまうのだ。これはいったい何だろう。「昭和みつぱん伝」や「夏だし、夜だし、夢だし」など、プロはだしの作品を尻目に、間違いなく私達に伝わったものがあったのだ。今まで講師の審査については、「なんで完成度や技術の高さを評価しないんだ?」と疑問を抱くことも多かったが、しかしこの作品については、いわゆる稚拙な出来栄えの、いわゆる「高校生らしく頑張った作品」などではなく、むしろ芝居の奥深さを痛感させられる作品で、間違いなく「みつぱん伝」らをしのぐものであったと言わざるを得ない。いやあ高校演劇っておもしろい!


北関東大会・劇評
最優秀賞・秩父農工高校(埼玉)/「なにげ」若林一男+演劇部・作
優秀賞(出演順)・伊勢崎工業高校(群馬)/「酔待草」(既製)竹内銃一郎・作、共愛学園高校(群馬)/「ばななな夜〜BananaんNight」(既製)入江郁美・作、草加東高校(埼玉)/「KANATA」(既製)コイケユタカ・作
創作脚本賞・秩父農工高校「なにげ」

 今回の北関東大会はとてもレベルの高い大会でした。入賞こそしませんでしたが、松本深志高校(長野)の「ベルゲン・ベルゼンの空の下で」(小川幸司・作)は入賞に値する舞台でした。ODCの批評会では秩父、草加東、松本深志の3本が上位3本に残りました。いずれが残ってもおかしくないとしながらも、やっぱり秩父?というのが、大方の意見でした。特に「KANATA」は2・3年生が全国大会varを観劇していたのですが、その舞台よりもよかったという意見でした。
 秩父農工はかつて全国大会常連校でしたが、ここのところ実はあまり突出した結果を出せないでいました。ただ、例年農工の自主公演を観劇している私としては、結果は結果で、決してレベルダウンではないことを知っていますので、本当に長いトンネルを抜けられて、おめでとうございます!と言いたいです。ただ、例年のつくりは多少マニアックすぎて、頭の悪い私にはなかなか理解しづらい作品が多く、一般庶民にもなじみにくいのかなあなどとはボンヤリ考えていました。
 今回の「なにげ」は恐らくは題名はどうでもよかったのだと思いますが、中身において、「いりこ」型にしてくれたのが、わかりやすくしようという意図だったと受け止めています。不登校の女の子の自殺を扱っていて、最後の集団演出は日本中に同じような子ども達が溢れているんですよ…という暗示としてまとめてあるんですよね(?!)心象風景とおぼしき穴倉(?)をしゃ幕で表現したり、役者さんの演技力も超高校生級だったり、やはり「芸術性の高さ」がすべてだったと思いました。
 伊勢崎工業高校は「生きててやるんだ、ありがたく思え」で感動させられた記憶があったのだが、今回はまさかの竹内の不条理劇への挑戦。まさにふところの深さを感じさせられました。それにしても冒頭部の彼女の長台詞は何ページあったのですか?もう力量の高さにビックリ。それに終始死体の役をやった方、頭がさがります。スゴイです。確信的なことを何も言えず、ゴメンナサイ。まじめにおもしろかったです。
 草加東高校はどんでん返しあり、仏壇返しあり、崩落し掛けあり、まるでテーマパークのアトラクションのような工夫された舞台でした。それに加えて、役者さんの演技力の高さには驚かされました。高校生ばかりがキャストの芝居があふれている中、年齢差をしっかりだせる力量の高さを感じました。役を演じるというより、役を生きるといった感じでした。徹底的に工夫を凝らした舞台に大いに学ばせていただきました。脱帽。

 


神奈川県大会に物申す!
 今回の県大会は舞台責任者として、各校の仕込みを手伝いながら、袖から本番を観劇した。本番前の緊迫感から、終演後の安堵感まで、生でその様子を見るところとなった。芝居以外の部分にも大いにドラマがあったことを報告しておこう。
  「高校演劇」って何だろう…最近とみにそう感じる。かつて高校演劇には、いわゆる「高校演劇」という枠があまりなかったように思う。確かに芸術作品よりも努力賞に旗があがることはママあったものの、プロ、アマ、高校生の区別なく、芝居の出来そのもので、審査員も評価していたように思う。もっと間口が広く、いわゆる「何でもあり」が高校演劇のモットーだった(ちなみに私は1986年度の関東大会を皮切りに18年間、すべての全国大会と関東大会をあまねく観劇してきた)。
  ところが今夏の徳島大会では上演作品すべてが、高校生が主役の芝居であった。数年前から、高校生が題材の芝居が上位にくるケースが多いなあと思ってはいたのだが、実に顕著な結果を見たような気がした。いったいいつから高校生が高校生を演じる芝居が主流を占めてきたのだろうか。確かに高校生が等身大の視線で、自らの想いや苦悶を観客に訴えることを否定しようとは思わない。しかし、それが主流になるということは、「芝居」の持つ様々な可能性を狭めていると思う。なぜ本物以上に爺さんや婆さんを演じる超高校生が評価されなくなったのだろうと思う。年代を超えて、立場を超えて演じることに、芝居の偽体験の意味があると思う。ある全国大会で、埼玉県立秩父農工高校の演じた、別役実・作の「ある二人の騎士」(タイトルがうる覚え)という作品があり、二人の老騎士の二人芝居だった。その高校生は会場が息を飲むほどの老人を演じ、審査員だった別役先生自身に「私が実際にやったものより、よい出来ばえだった。珠玉の舞台だった」と言わしめた内容だった。こうした芝居は今は観たことがない。
  ここからは言い訳になるのかもしれないが、私達の「じゃがいもかあさん」は地区大会で負けた。もちろん今書いたように、自分達の芝居が珠玉の出来栄えなどとは思っていない。しかし、部員達ともども、私達を負かして湘南地区代表になった2校の芝居を観劇して思ったことは、「高校生が高校生を演じる芝居に負けた」という実感だった。地区の審査員が「関係づくりができていない」「基礎力が不足している」「芝居に強弱がない」といった指摘と別な次元の評価だったと感じた。今回千葉県から顧問審査員として派遣された土田峰人先生は、審査前に「私は芝居を総合力で評価します」と断言されて、席に着いたと言う。いったい何を目指してコンクールに臨めばいいのだろうか。
  話は戻る。こんなことを書くとホントに怒られてしまうと思うが、覚悟して書こうと思う。今回の神奈川県大会は本当にドングリの背比べだったと思う。全上演を観劇した審査員が廊下を歩きながら話していたのを、たまたま耳にしてしまったのだが、「どうなってんだ?神奈川県大会は」とおっしゃていた。私も全くの同感であった。今回の地区大会審査員に言われたことだが、「道具立てよりもまず演技を大切に」というのがあった。もちろん芝居の基本は演技なのは当然である。しかし、舞台裏にいた私を愕然とさせたのは、大道具、小道具、衣装などを含めた道具立ての貧相さである。貧相というより、「芝居を本気でつくるなら、手抜きはするなよ」といった方が合ってるかもしれない。シンプルイズベストと手抜きは別物だ。たとえば、山手学院や上溝南のシンプルさは、しっかりその狙いがあってのことで、手抜きとは違う。しかし、多くの学校では、物を集めて並べるだけ、または時代や状況、季節を無視した道具立てなのだ。最優秀をとった淵野辺ですら、かつてのプロはだしの道具立てはどこへ行ってしまったのだろうと思う。なぜ伝統としてつながっていかないのだろうと思った。
  さらに、舞台のルールを何も知らないのには驚かされる。どんなに走るなと言っても走る。ローホリはまたぐ。バトンが降りてるよ!と言っても確認も返事もしない。舞台監督(またはそれに代わる人)がいない。他校の道具を触る。終了後にバミリをはがさない。有難うございましたすら言えない。いったい神奈川はどうなっているのか。舞台をやるものの最低ルール、マナーを知らない者に芝居をやる資格はない。厳しい言い方だが、そうした勉強から始めなければ、いい舞台など出来るものではない。すべては本番に反映されるのではないだろうか。顧問も学んで教えるべきだ。舞台には山ほど危険があるわけで、実際に怪我をしたり、死亡事故が発生したときに、私は素人顧問ですからなどという言い訳は通用しない。そういう危険な取り組みをしている部活であることを知らねばならないと思う。
  ようやく前口上が終わった(長い)。最優秀賞の淵野辺高校、新羽高校、上溝南高校、おめでとうございます。厳しい言い方だが、いつもの1位通過とは質が違う1位通過だと思って欲しい。関東までにきっときっと作り直して、神奈川代表の名にふさわしい舞台にして下さい。本気で期待してます。佐藤先生、マジ頑張って!新羽高校はインターネットの芝居を篠崎先生がイリコ型の芝居に構成しなおして、まとまりのある舞台にされたのが勝因だったと思う。ぜひ笑いを磨いて、いい舞台を見せて下さい。上溝南高校は昨年の柏木先生の作風を受け継いだ、生徒作品でしたが、とてもよくまとまっていました。パントを使った身体表現は柏木先生の十八番(おはこ)とは言え、まじめに感動しました。すごいです。代表になっても遜色ない舞台だったと思う。あと、入賞はしなかったが、なぜ山手学院高校がこなかったのか?というのが個人的意見だ。片桐先生は如月小春の懐刀だったとは言え、今回はほとんど指導できなかったと言ってました。それでいて、あそこまで生徒達の力で演じきったことには、正直驚かされた。さらに私見を言えば、山手と上溝南が私の中では1位と2位だった。
  高校演劇がどうあるべきかなどということは、実はどうでもいいことなのかもしれない。とりわけコンクールの評価の仕方に物申しても、いたしかたがないのかもしれない。大事なことはどこまで自分達を追い込んで、いい芝居を創ろうとしたか、そしてお客様に様々な発見や感動を届けたかが大事なのだろう。しかし、しかし、しかし…と言わざるを得ない昨今である。
  


相模舞台同盟マメ☆オゲ
ドリームマッチvol.1
「ある晴れた夏の日に」
作・演出/實方誠一郎
2004年6月22日(火) 
於横浜STスポット
●いつもお世話になっている實方誠一郎先生の「劇団相模舞台同盟」と昨年卒業した部員達が結成する「劇団マメ☆オゲ」のジョイント公演があると聞き、部員達を引き連れ、観劇した。今回は出演者10名のうち、7名がODC出身者ということで、楽しみな舞台だった。ODCでは月1本を目標に「定例観劇」というのを実施していて、プロのお芝居を観ることで、井の中の蛙にならないよう、学習の場を設けている。実は4、5月とODCにとっては、今ひとつ方向性の合う芝居が見つからず、実施を見送っていた。したがって、今回1年生にとっては初観劇ということになる。ODCという同じフィールドで活動した先輩達の演技を観ること、そして小劇場の臨場感を知ってもらうことなどを目的に、文化祭の代休だったこの日、全員参加の観劇を実施した。
 ●さて、實方誠一郎・作としては、まさに異色中の異色ともいえる「ある晴れた夏の日に」は、まさにこてこてのコメディだった。私もコメディは何作も書いたことがあるが、なかなかあそこまで観客を笑いっぱなしにさせることは難しい。先日、2年に一度だけ上演しているWAHAHA本舗の「踊るショービジネス」を観劇したが、もちろんティストは違うものの、演技の数だけ笑いがあったことは、負けていなかったと思う。ボケと突っ込み、ノリ突っ込みと笑いの王道をいくかと思えば、コントにとどまらず、劇的笑いも駆使してくるあたりは、さすがと言えよう。しかも、「つかみ」が成功して、一気に客席がヒートアップしたわけだが、そのつかみ役が、今回、残念ながら体調不良で降板した森田広恵の急遽代役を買って出た平本敬子だったことが何よりスゴイと思った。経験的にも周りの役者陣と比較して、不安が残ると語っていた實方氏だったが、本人の努力と思い切りのよさで、すっかり客席は笑いのツボにはまってしまったのだ(「マサチュ−セッチュ」)。
 ●芝居を楽しく観劇できる要素のひとつとして、「安定感」が挙げられる。今回の芝居の最大の武器は役者の演技に安定感があったことだろう。芝居の真をとる仙石役の岩本真広君とパンサー役の関根圭太は言うに及ばず、それを取り巻く名脇役達の演技の安定感こそが、この作品を支えている。座付作家としての實方さんの個性の引き出し方、そして場面場面での見せ方の上手さなどもあり、精査された番組の中で、役者達は思う存分、自分達の演技をぶつけることができたのだろう。
 ●裏話をひとつ。実は今回登場したODC7人衆は、高校時代、必ずしも「笑い」を得意にしていなかった。もちろんやりたい放題だったローズマリィ役の小熊絢やパンサー役の関根圭太らは、それなりに笑いのツボを心得ていたが、高校時代の彼等の演技に反映されることは決して多くはなかった。他の連中も同様だった…はずだったのだが、今回の演技は一皮も二皮もむけていた。特にレディナ本部長役の鎌田麻利の演技は、まさに何かが降臨したとしか思えない珠玉の演技だった。いったいあなたに何があったの?!といった面持ちだ。今回自分が笑った回数を「正」をつけて、数えていたのだが、81回笑ったうち、私の中では、レディナ本部長の笑いはその3分の1を占めていたと思う。とぼけたキャラと物事に動じない存在感、小ネタもしっかりこなしていた。最後の方は、もう出てきただけで笑ってしまい、ツボにはまるとは、、まさにこういうことを言うのだろうと体感した。この先、どういった変貌、飛躍を遂げていくのか、本当に楽しみな存在だ。
 ●ええっと、思いつくがまま、役者のコメントを。更沙役の茂原純子さん。本当にちっちゃくてカワイイです。インチキロリータとか書かれてるが、インチキじゃない。本物だと思う。衣装の凝りまくり具合がスゴイが、そんなことより、茂原さんの存在のスゴサを例えるならば、文章と文章をつなぐ「接続詞」に、さも似たり。作品全体のバランスをとるアクセントみたいだと思う。みんなホッとするし、それでいて、ピリリと辛い山椒のような存在であったりもする。サガブにとって、なくてはならない存在なんだろう。さて次に、らん役の井上彩は茂原さんとは別なティストで、ちっちゃいキャラがよく似合う。小さいことを逆手にとって、プラスのエネルギーに転換させられる大きな存在に成長したと思う。リュ−シー役の佐藤麻実は何はともあれ、お地蔵さんとのコラボが最高だった。道具を使った演技って、実は意外に難しいんだよね。また、相変わらずステキなコシュチュ−ムで、スレンダーな体系にぴったりでした。長役の谷生優子はナンカ美人になっちゃった?舞台に華を添えるって言うけど、キャラに華があるねえ。昔のような中途半端な演技がなくなって、存在感ありありの演技でした。声も綺麗だねえ。さて、ローズマリィ役の小熊絢は、もう言うに及ばず、書くに及ばず、アンタはスゴイ。ここまでやれるとマジ気持ちいいでしょう?観客との関係づけの上手さが絶妙だよね。空気が読める演技って、余裕がないと出来ないもんだけど、もうOKだよね。前回のマイ・ワイフもよかったけど、なんか今回も圧倒されるよね。パンサー役の関根圭太は前回に増して、笑いの演技に磨きがかかったよね。あのタッパで、体当たり演技されると、もう誰も勝てない。突っ込み、ノリ突っ込み、もう最高!最後に教授役の柳沼慶樹。サイボーグになって、雄たけびをあげるシーンを見て、パンツマンを連想したのは私だけだろうか。今回の芝居の中で、一服の清涼飲料水のような存在に感じたのは、きっと君の「天然の笑い」にあるせいだと思う。あれは作ってできる笑いじゃない。絶対、天然だ。でも天然キャラで笑いとれるって、もしかしたら役者としては、スゴイことなのかもしれない。
 ●今日はとてもすがすがしく一日を終えた。この観劇の後味こそが、「ある晴れた夏の日に」だったのではないですか?実方さん。当たり?


Kproject第1回公演 2月22日(日) 於松田町民文化センター
「6回戦ボーイ」のまさとる・作
作品提供者自らが劇評を加えるのは、かなり気持ちの上ではばかるものがあるが、身内であるとかないとかを抜きにして、書こうと思う。
  裏話をひとつ。本番一週間前、稽古場に顔を出した。代表の小山氏はインフルエンザにかかって寝込んでいるという。おいおい、本番大丈夫か?と思いつつも、練習を拝見。いっか〜ん…そう感じていたのは私のみならず、劇団員すべてであろう。それぐらい、状況は深刻だった。何がどう深刻だったかは、あえて伏せるとして、一週間前はそんな状況であった。
前日仕込み、リハということで、時間にはゆとりがあると思われた。しかし、実際は(弱小劇団としては当然のことながら)転換練習が稽古場でできるはずもなく、とにかく転換時間短縮練習にとられた時間が半端でなかった。装置は上手にシンプルながらも意外に(失礼かな?)重量感のあるリングと下手にもっと時代を出して欲しかった事務所とが並立するかたちで組まれていた。実際の装置のもとで稽古するのは、その日が初めてだった。そんなことで、灯り合わせ、音合わせもそこそこに、転換練習は翌朝まで続けられた。
本番当日は代表小山氏もようやく顔を出し、受付を行った(誰か手伝いは呼べなかったのか。本番の舞台を代表自身が観劇しなくちゃあ)。お客様はおせじにも多いとは言えず、広報の仕方に問題があったと言わざるを得なかった。また、これは何度となく作者としての希望として、小劇場での公演を要望したのだが、色々な都合もあり実現できなかったのは残念だった。本自体は大劇場用のものではなく、真近で観てもらいたいつくりになっていた。不満ばかりで申し訳ないが、最低3回公演ぐらいはやって欲しかった。一回公演では役者の修正もきかず、失敗も取り戻せないというリスクがあったのは気の毒に思った。
そんな要望を語りつつ、本番の出来ばえについて。実は驚いている。あの一週間前の状況、そして転換のひどさなどを乗り越え、まったくもって役者達の底力に敬服した。各自の集中力と経験による質の高さには作者としては大満足をしている。そりゃ欲を言えばきりはないが、あの状況下では立派としか言いようがない。高校演劇では繰り返し稽古で穴を埋める努力をするわけだが、よくもまあ一発勝負で頑張ったよねえ。彼等一人一人の持つ力量と集中力がいい舞台を創り上げたと言っても過言ではない。
この先、願う事。それはこれっきりで終わらせないで欲しいということだ。やはり、今回の失敗を生かす場、それは次回公演でしかないと思う。準備期間をしっかりとって、ぜひもう一度、チャレンジして欲しいと願うばかりである。


第39回関東高等学校演劇研究大会
<ひたちなか会場>(南関東大会)
2004年1月17日(土)〜18日(日)
祝・全国大会出場!
都立駒場高校・神奈川県法政第二高校!
 朝6時、JR大船駅集合。ODCは何が何でも一番校から、上演を観るぞ!ということで、茨城県ひたちなか市に向け、出発した。フレッシュひたち号指定席乗車よろしく、まさに修学旅行気分で勝田駅に降り立った。顧問が知ったかで道案内しながら、ひたちなか市文化会館まで徒歩15分。搬入口ではどこかの演劇部が発声練習中。来年こそ来ようね!と気分を高揚させながら、会館前に並ぶ。ODCは最前列から10列目までの間に席を陣取り、メモ用ノートと筆記具片手に、まさに臨戦態勢で本番を待った。
  さて、ここからは劇評である。全校には触れないが、部員とも話し合って、チョイスした学校の劇評をさせていただきたい。ちなみに部員全員で審査投票を行ったところ、第1日目終了時点では、第1位が都立駒場高校の「Is−アイズー」、第2位が静岡県立韮山高校の「見果てぬ夢」、第3位が茨城県立水戸第一高校の「雨の街、夜の部屋」だった。2日目終了時点では第1位が前日同様、都立駒場高校、第2位が神奈川の法政第2高校の「ロック」、第3位は千葉県立市川東高校「Over The Fence〜明日へ届け僕等の白球〜」だった。全国大会出場の2校をズバリ予測したODCの見る眼もなかなかのものだと思った顧問であった(ちなみに顧問の予測は違っていた<泣>)。
  第1日目の都立駒場高校「Is−アイズー」は、とにかく少女の心を代弁するコロスの使い方が抜群だった。コロスを用いた芝居は数多くあるが、今回の使い方は主人公の少女の個性を殺さず、人間の持つ様々な心情を巧みに表現していた。そしてコロスの作り出す「テンポ」が芝居を通してのテンポとなり、小気味よい、切れのある舞台を創り上げていた。また、母子関係、兄弟関係をからめ、親子(家族)のあるべき姿を浮き彫りにした点が珠玉の構造だったといえる。身近にありながら、見えなくなっている家族の絆を、少女の心の表現を通して、見事に描き挙げていた。ただ、美術の手法には不満が残った。抽象舞台は少女の心を表現したものだろうか。何かをねらったものであったと思うが、演技の場としては決して機能的とは言えなかった。特に場面の変化を一枚の板の上げ下げで見せようとした点には、いささか無理を感じた。別な方法がいくらでもあったと思う。装置を変えれば、さらなる進化が遂げられると思う。
  第1日目の水戸第一高校の「雨の街、夜の部屋」について。ひさびさに芝居の原点を極めようという芝居に出くわした。昨年度の神奈川県大会の法政第二高校の「十二人の怒れる男たち」同様、見事な台詞劇だった。音や照明に頼らない芝居づくりは、実際なかなか難しい。ごまかしがきかない芝居づくりということだ。特に途中登場のキーパーソンの警備員は(どうやら地方大会とは役柄変更したらしいが)、若干の台詞のトチリはありながらも、その強烈なキャラクターで会場を圧倒した。
  第1日目の韮山高校「見果てぬ夢」はどうやら今年の地方大会でも人気作品のひとつだったようだ。余命一年の宣告を受けたがん患者を巡る人間模様を描いた作品なのだが、とにかく妻役の石井奈月さん(あえて名指し)の演技力には感服した。久々じゃないですか?あんなすばらしい女優さん。芝居全体もよく仕上げていたが、石井さんの演技なしでは語れない作品だと思う。ぜひプロを目指して欲しいですね。この作品は登場人物が多く、上演段階で様々な役がカットされる傾向がある。例に漏れず、韮山ver.も画家役がカットされていた。役どころのカットは当然作者の望まぬことではあるのだが、実に上手にまとめていた。大健闘である。ラストシーンはぜひ、台本通り「マーガレット」の花を咲かしてもらいたかった。ラストシーンに花びらを降らす演出が多いのだが、「仕掛け」を作ってまでも花を咲かせてもらいたかった。また、ラストのアナウンスは(脚本でそうなっているのだが)ぜひ生声にこだわって欲しかった。
  第2日目の法政第二高校「ロック」は神奈川県大会の劇評で大いに酷評した。ひとつ前回の講評で訂正しなくてはならないことがある。黄色い服を着た彼が「怖いよ」と言っていたと思った台詞が、実は「怖いの?」と聞いていたということだ(最前列だったので聞き取れた)。彼がキーパーソンだっただけに、これは随分と印象が変わってしまったことだ。彼への追い込みが緩和された気がした。
  今回は細かい点での手直しがなされたのだろうか。全編を通して、無駄がなくなり、すっきりした感じがする。ただ、基本スタンスとして、(ここまでくると好き嫌いの問題だと思うが)、ラストの持ってゆき方は、やはり今ひとつ納得できない。孤立した物真似ダンサーはそのまま物真似ダンサーのポリシーを持ち続けて欲しかったと思ったのは、私ぐらいなのだろうか。かつて神奈川の高校演劇は「創作の神奈川」と呼ばれ続けてきた。それが1993年以降、既製台本が代表に選ばれるケースが増えてきた。そのきっかけは今でも覚えているが、シェークスピアシアターの出口典雄先生が「既製の芝居をどこまで本物に近づけられるかというのも、高校演劇としての評価にすべき」と評したことにあった。以来、神奈川の高校演劇はオリジナル性のみならず、既製にもスポットがあてられるようになったのだ。昨年度の法政二高の「十二人の怒れる男たち」のように。芸術において「物真似」をどう見ていくべきなのだろうか。気持ちを通わす「演劇の心」とは、いったい何なのだろうか。また、物真似命の彼が孤立してしまう環境とは何なのだろうか。様々な価値観を持った人間が集まって、「あいつは嫌な奴だ」とか言いながらも、妥協点を見出していくというのが、日頃の部活にもあるんじゃないのかな。みんながみんな同じ方向を向いてしまうことに、どうしても最後まで納得がいかなかった。
  酷評ばかりだったが、もちろん代表に選ばれた根拠は言及には及ばないだろう。(審査員の講評は聞いていないが)きっと大橋揺介先生の評価は高かったのではないだろうか。
  第2日目の薬園台高校「新・明暗」と市川東高校の「OverTheFence〜明日へ届け僕等の白球〜」は私も審査員として千葉県大会で絶賛し、代表に選んだ一人なのだが、残念ながら全国へは駒を進められなかった。内容は「2003年度千葉県大会講評」のページで述べたので、省略するが、いずれもどういうわけか、県大会より出来がよくなかった。どうしたのだろうか。強豪がそろったという単純な理由ではなかった。使い慣れない小屋と関東大会という特有の環境の慌しさのせいだろうか。多分納得できていないのではないかと拝察する。しかし、ここまで来ると、あとは審査員の微妙な判断の違いとしか言えないと思う。勝負は時の運だと思った。
  今回の発表順決定は従来の方式と違っていた。従来は完全抽選なのだが、今回はくじ順に好きなポジションを選ぶというやり方であった。個人的には好きなやり方ではない。各校の思惑やら政治的判断が加味されるからだ。前任校で関東大会に出場した際、ポジション別の有利さを過去の大会から統計的に割り出し、活字にしたことで、事務局から怒られたことがった。たとえば、大会初日の1番目の学校は5%を割り、1日目のラストと2日目の一番目、そしてラスト前とラストは24%を越える…といった統計を出した。今回の代表も例に漏れずこのポジションに入っていたと言うのは、大変失礼というものだろうが、こうした統計を払拭するためにも、完全抽選を推奨したい。まっこと蛇足。
  今年の南関東大会は実にハイレベルな大会だった。うちの学校がもし出場していたら?と考えたら、ただ一言「こりゃタマラン」である。まだまだ勉強せねばという熱い想いが生まれてきた。
 頑張らねば。


第32回湯河原高校演劇部定期公演 
於松田町民文化センター 
『At The Station』 作・田中聡
初登場・生徒の劇評!文責/松野昌代(3年)
  幕が開いたとき、シンプルで綺麗な舞台だなあと思った。タイトル通り、駅のホームだということが、一目でわかった。自動改札機ではなく、駅員が立つタイプの改札も、味があってよいと思った。全体的にとても丁寧なるつくりで、特に車掌室の細かさ等は素敵だと思った。
  見終わってから、いくつか疑問が残った。舞台上の空間がわかりづらかったことだ。つまり、どこがこの世で、どこがあの世で、どこが「境(さかい)」なのかということ。まずこの世とあの世がどこなのかわからないと、「境」が引き立たない。舞台美術が綺麗だっただけに残念だと思った。
  なぜわからなかったかというと、あの世行きの列車とこの世行きの列車が同じ方向に走っていた(と思ったんですが、そこは演出さん、どうなんでしょうか)こと。そして最後に車掌が上手にはけてしまったこと。この二つで、「???」と疑問を感じてしまった。最初に女の人が走ってきたのは舞台奥からで、子供が出てきたのは客席付近の花道(?)で、車掌がはけたのは上手奥。…どこがどこだかわからなかった。
  演技面においては。よくうちの顧問が「激しい感情を抑えて伝えることで、観客により激しさが伝わる」ということを私たちにアドバイスしているが、まさにそうだと思った。女性が男の子に「死ぬなんて考えちゃダメだよ」と諭すシーンは、あれではどっちが子供だかわからなくなってしまう。年齢設定が何歳なのかわからないが、もっと他に言い方があったなと思った。女性に共通して言えることは、なんとなく演技が一本調子だなということ。最初に時刻表を見るシーンとか、もっと違う演じ方があったのでは?2回目に時刻表を見て悲鳴をあげるのは、いくら適当に見るんだといっても早いと思った。見方が同じだったからそういう印象を受けたのかもしれない。ちょっとした見方のバリエーションが必要だと思った。
  途中から登場する男の子は、初め女の子だと思った。衣装のせいかな?ニット帽って普段男女とも愛用できるとても便利なアイテムだけど、女の子がかぶると可愛い印象が先にたってしまう。ここはキャップを後ろや横にかぶった方がよかったなと思った。着ていたシャツも(トレーナーかな?)も、でかいパーカーとkにしてだぼっとさせた方がよかったと思った。もしあの衣装にするなら、さらしとか巻かないと厳しいのでは。メイクも少年というよりは少女だった。眉の書き方とか、工夫が必要かな?
  ラストに歌が入っていた。私もこの間までミュージカルをやっていたので、歌の表現と技術には、正直一番悩んだ。気持ちを歌に乗っけることって、すごく難しい。私もお客さんにそう思われているかもしれないので、書くのがすごく怖いのだが、聞いていてハラハラしてしまった。客席でついついこぶしを作って、頑張れ!頑張れ!と思いながら見ていた。あそこで幕が閉まるのかなぁと思っていたら、まだ男の子の手紙があった。どうしてあそこに歌を挿入したのか、不思議に思った。むしろ無い方がよかった気がする…。表情もあまり無かったし、何を伝えたいのかわからなかった。歌詞には必ず意味がある。歌詞の意味を、よく考えた方がよかった。歌は自分でトーンを決められる台詞と違って、元から音程がついている。ともすれば、技術が先にたち、気持ちがおざなりになることがあるから、うまくふたつを融合させるために、3倍の練習が必要だと思う。歌を入れて伝えたかったものを、きちんと伝えて欲しい。
  なんだか好き放題書かせてもらった。なんか偉そうになっちゃうけど、「突っ込んだ、こだわった芝居づくり」をこれからも続けて欲しいと思う。今回の作品も、もっと突っ込めば、もっとこだわれば、と何回も思った作品だった。これからの湯高の頑張りに期待します。
顧問もチョットだけ・文責/野間 哲
  久しぶりにYDCCの定期公演に足を運んだ。私が在職していた頃は部員が60名を越えていたこともあったが、わずか6名でそのすべてを運営していた。今までとすべて同じやり方ではうまくいかないだろうに、部員ひとりひとりが何倍もの仕事量をこなしながら、公演を支えていた。まさに頭のさがる思いであった。きっとまた部員も除々に増えていくに違いない。それを信じて、今の冬の時代を頑張って持ちこたえて欲しいと切望する。
  さて、お芝居の方だが、よい意味でシンプルな舞台だった。装置類に頼らず、役者で勝負(?)いいじゃないですか。やはりハードより、ソフトが大事でしょう。大道具のでかさで圧倒していたYDCCの悪習(?)はこの際捨て去り、人間の魅力を前面に出した芝居づくりを目指して欲しいと思った。今回のお芝居で重要だったことは、異次元の世界にどう観客を引き込むかだったと思う。最近は非現実世界を題材にした作品が多く、またどういうわけか高校生諸君はそうした異次元物に関心が高いらしく、今回の作品も例にもれず、異次元題材物であった。異次元の世界を描く際、どうしても観客側の意識として、「非現実の世界だから」という気持ちで見てしまう。しかして、その非日常に引き込み、観客を夢中にさせるエネルギーがあれば、こうした作品は成功する。そうした意味で、まだまだ芝居に引き込む力が希薄だったと思う。原因はふたつ。ひとつは台本がおもしろくない(チョイスする時点で、他に候補作はなかったのかな?)、ふたつめに演技力不足である。基本が出来ていない。会話のキャッチボールから取り組み直す必要がある。手厳しい評価だが、現実を見つめ直し、もう一度原点から出発しなくては未来はないと思う。指導者自らの勉強不足も否めない。もう少し芝居を練り上げてから、本番に臨んでもよかったように思う。思い切って公演を先のばしにしてあげればよかったように思う。外に目を向ける前に、昔のようにまず部室公演から始めて、足元を固めてはどうだろうか。入場無料とはいえ、わざわざかけつけてくれたお客様のためにも、また広告を出してくれている事業主の皆さんのためにも、仕切りなおしが必要だと思う。身内ゆえ、厳しい意見を言わせてもらった。劇評でなくてごめんなさい。

        
  


2003年度千葉県大会
11月28・29・30日
青葉の森公園芸術文化ホール
審査員としての劇評
原稿用紙54枚分を掲載
●最優秀賞(県連盟会長賞・県知事賞・東京新聞社賞)
 県立薬園台高校『新・明暗』夏目漱石・原作(「明暗」より)、
 永井愛・作/米山航平・潤色、再構成
●優秀賞一席(県連盟会長賞、全国高等学校演劇協議会会長  賞)
 県立市川東高校『Over The Fence〜明日に輝け 僕等の 白球〜』演劇部・作(一宮高校演劇部作「男でしょっ!」より)
●優秀賞二席(県連盟会長賞、県教育長賞)
 県立流山東高校『当世女子高生気質〜哀しい夜にはヤングマ ン〜』今井真樹・作
●優秀賞三席(県連盟会長賞、県アマチュア演劇連盟会長賞)
 県立沼南高柳高校『020(Zero to Zero)』演劇部・作
●優秀賞四席(県連盟会長賞、高等学校教育組合賞)
 千葉日本大学第一高校『仰げば尊し』福田卓郎・作
●優良賞(連盟会長賞)
  9校
●創作脚本賞
 県立沼南高柳高校『020(Zero to Zero)』演劇部・作 
●舞台美術賞
  県立薬園台高校『新・明暗』夏目漱石・原作(「明暗」より)、
 永井愛・作/米山航平・潤色、再構成
今回千葉県大会の審査員をする機会を得た。演劇先進県千葉の名の通り、いずれもレベルの高い作品ばかりが顔をそろえた。千葉県の出場枠決定の進んだやり方は、全県を12地区に分け(各地区均等、10数校にしてある)、各地区1校が出場できるわけだが、関東大会に進出した2校の学校を輩出した地区については、翌年度、県大会への出場枠を1校ずつ増やすというやり方なのだ(つまり合計14校が出場する)。今回は第6地区、第7地区がその該当地区であった。審査は専門審査員3名と近隣の現職演劇部顧問1名、そして地区代表審査員3名を加え(3地区から1名ずつ計3名を輪番で担当することになっている)、計7名で行った。。今年の専門審査員は文学座所属の演出家高瀬久男先生、劇団昴所属の女優一柳みる先生、舞台美術家の斎藤浩樹先生。近隣顧問として私、野間哲(さとる)。地区代表審査員に県立松戸六実高校の原田成男先生、東邦大学附属東邦高校の大林義敬先生、県立茂原高校の鵜沢厚先生で審査をした。基本的には話し合いであるが、混乱を防ぐため、上位から5点・4点・3点・2点・1点の差をつけ、投票をすることになっている。そして専門審査員と近隣顧問の4名は地区代表審査員の得票の倍を加点するシステムになっている。またその結果は公表される。3日間に渡り、その熱い火蓋は切られたのだった。
さて、まずは関東大会進出を決めた「薬園台高校」(最優秀賞)「市川東高校」(優秀賞一席)おめでとうございます。十二分に全国をねらえるレベルですので、頑張って1月本番までにバージョンアップを目指して下さい。また、惜しくも3位(優秀賞二席)の「流山東高校」はこれを残念と思うか、成果をあげた結果と思うかは皆さんの問題だと思いますが、この経験をぜひとも来年に生かしていただきたい。それから優秀賞三席の「沼南高柳高校」、優秀賞四席の「千葉日大第一高校」の皆さん、ぜひ来年は県代表に向けて努力を重ねて下さい。
まず、3日間行動をともにしていた私を含めた4名の審査員の裏話を少し。私の印象として、やはりプロの道をひた走ってこられた方々ばかりで、その視点、及び根拠は実に的確で、現場の顧問がよく泣かされる「高校生らしさ」やら、逆に「高校生らしくない」とかいった、高校演劇にくくりをつけようとする方は一人もいなかった。また、「好み」や「気分」で判断する状況などは、皆無だったことも付記しておきたい。演劇論が戦わされる場面もあった。実に明解で、私が知る審査現場の中では、最も納得のいく議論がなされていたと思う。何よりすごいことは、よく「教育的見地」とやらで、誉めることに主眼をおかれる審査員というのがいるが、今回の私達のコンセプトは「誉めることはいくらでもできる。しかし、本当にエールを贈るというのはダメ出しだろう」ということだ。だから、「演劇として成立するかしないか」という部分で判断された出場校にとっては、キツイ結果だったかもしれない。しかし、これこそが私達審査員団の皆さんへの愛情だと知っていただきたい。ただ、人間が発する言葉ゆえ、すべてが正しいことであるはずもない。その後の取捨選択は皆さんがすればいいと思う。だから悔し泣きだけはしないで欲しい。もともと演劇に優劣をつけて示すこと事態がおかしいことなわけだし、審査員の評価を絶対的なものとして捉えること自体がナンセンスなのだから。もっと前向きに考えて、「たまには他人の評価を受けてみるのも楽しいものだ」と思えばいいではないですか。審査結果はひとつの「きっかけ」です。そのきっかけを今後の自分達に、どう生かすかを考えて、納得して下さい。
それでは私個人の審査過程、審査根拠を示したい。芝居中の審査メモは各校平均10ページ、大会3日間に大学ノートを一冊半を使用した。そのメモにはもちろんよかった点も記入したが、ダメな点が八割方を占めていた。したがって、得点が高い高校については、メモページ数が2ページ、3ページといった具合いに、極端に少なかったことも付記しておこう。つまりページ数が少ない学校が結果的に上位に入賞をした。
【大会第1日目】
No1 市立千葉高等学校 
『見果てぬ夢』(堤康之・作)/演劇部・潤色
  この作品は原作に登場する「おばあさん」や「絵描き」などなど、多くのキャラクターを自分達が上演しやすいようにカットし、話をつなげたいきさつがあった。その結果、医者役が「絵のうまい先生」になったり、自分を妊娠だと信じて疑わないおばあさんなどが会話内で説明されたりと、かなり無理な展開で話が進行した。これはどこの学校にも言えることだが、まず台本選びの段階で、「なぜこの芝居でなければならないのか」という根拠を自分達で確認することが大事だと思う。ましてや、(よくあることだが)「やりたい芝居」で選ぶのでなく、「キャストの人数合わせ」で選んだりするなどといったことは、絶対あってはならない。そういう意味で、今回千葉高校の皆さんは、なぜこのお芝居をキャスティングを減らしてまでも上演したかったのか、その辺りに「こだわり」があったように感じなかったのは、私だけだろうか。
  今回の作品の「見せ場」はニケ所あったと思う。まず、夫が妻に自分が癌であることを告白するシーンだ。ここでの妻の繰り返される「うん」「うん」が最後まで心に残った。胸が突き動かされた。でももしここで妻が「マタニティ」を着て、しぐさとしてお腹の子をいたわる演技があったとしたら、私は間違いなく泣いていたと思う。時間の経過を示すのに衣装にこだわることは大事なことなのだ。そういう意味ではホリに色を入れなかったことも失敗だった。夏がやってきたら、ホリに夏を出せばいい。そうした余命一年の経過を様々な工夫で演出して欲しかった。もうひとつの見せ場は「ラスト」である。ラストの「私」の心の声を録音で流したのは、絶対失敗だったと思う。こここそは「独白」で攻めるべきだったと思う。こんな大事な台詞を音として流してしまったら、役者の存在意義はまったくなくなってしまう。そして、「マーガレットの花が咲く」はずが、舞台上から「花びららしき」降りもので演出してしまった。まずこれを好意的に「花びら」と感じた観客は、まず少なかったと思う。私は「雪」が降ったと思った。そのわりに極めが大きい。「???そうか花びらか!」といった感じだ。やはりここは何がなんでもマーガレットにこだわるべきだった。そのシーン以前に、水をやっている花壇の植物が、どう見てもマーガレットの葉っぱじゃない。これは道具へのこだわりがなさすぎる。とりあえず植物が生えていればいいという怠慢な取り組みだ。造花がなければ、根性でも「作る」べきだった。それほどこの芝居において「マーガレット」は大事な要素だったはずだ。どうすれば最後にマーガレットの花を咲かせられたのか…そんな簡単にアドバイスはできないが、「仕掛け」をつくるしかないだろうと思う。こうした困難の解決こそが、芝居を創っていく妙味に他ならないのだ。
  あとは細かいアドバイスを。スタッフ的なことから。まず幕開き。音が失敗。緞帳が降りているのだから、音きっかけでスタートする際は「プロセ」のスピーカーを使わなくてはならない。舞台中(なか)のスピーカーを使ったために、幕開きの音がこもり、緞帳がとび始めて音がクリアになるという悲しい状態になってしまった。願わくば、プロセで音を流し、緞帳をとばしながら、舞台中とプロセをクロスフェードさせていくといった方法がベストだったと思う。
  次に6回の暗転。暗転とは何か。そこから暗転を芝居の一部にしていこう。必ず暗転には時計の音と鐘の音。時間の経過を表しているのだが、最後の方ではさすがに「またか」と思ってしまった。なぜ時計の音は毎回同じ速さである必要があるのか。たとえば、あとに行けばいくほど、時計の刻みが速くなるとかすれば、追い込まれていく健司のさまが浮き彫りになったのではないか。実際、60分の芝居に6回の暗転は多すぎる。時間の経過を出すためにも、照明の変化で見せるという方法もあったと思う。
  その他、進藤先生と婦長には名札とペンがあったらとか、上・下サスの真ん中で、進藤先生がこぼれ灯りの中で立っていたりとか、など細かいところも大事に。
  次に演技。今回このお芝居で一番まずかったのが、「テンポが一定」だったことだと思う。淡々と進行してゆく。テンポというのは役者ひとりひとり違うものだし、芝居全体の大きなテンポというのもある。ゆっくりとした台詞や動きにテンポがないのかといえば、そうではなくて、速くても遅くても、テンポはある。台詞で大事なことは、遅速、強弱、間、デフォルメ(つぶだて)、語尾に注意を払いながら、ニュアンスや色、感情を乗せていくというのが王道です。そこにテンポの変化が生まれるのだと思う。
No2県立生浜高校
『そこはかとない時間(とき)のそこ』藤本香・原作/谷口ト朋子・翻案
 生浜高校がまもなく県立高校の統廃合により、今のかたちで演劇部が存続できないという話を聞いた。大会会場の席で私は「今回の想いを後輩に託すべき」と言った。しかし、生浜高校の皆さんにあっては、数年後にはそれすらもできなくなる。そうした意味で私の言葉は大変空しく聞こえたかもしれない。紙面を借りて、言葉足らずをお詫びしたいと思う。しかし、今回のこのお芝居はたまたま偶然に出会った皆さんの仲間にしか出来なかった、意味のある取り組みだったことは事実である。人生を川の流れに例えた鴨長明ではないが、その瞬間瞬間に生きる意味があると思う。人生の1シーンだったかもしれないが、何にも代えがたい皆さんの生きた証であったと思う。本当にいい出会いをしましたね。
  このお芝居は虚構の世界を借りて、「夢をあきらめないで」というシンプルにして、人生の命題でもあるテーマを、丁寧にかつ誠実に描いた作品だった。しかし、そこで重要なのは「いかに観客を虚構の世界に引き込むか」だった。虚構の世界と観客には距離がある。その距離を埋めるためには、観客が虚構を虚構と感じないようにしなくてはならなかったのだ。そのために今回重要なポジションを占めていたのは「笑い」だった。笑いが笑いとして成立していなかったのだ。芝居の基本は「関係づけ」である。台詞と台詞のキャッチボールの際には、役者と役者の関係づけ、独白では自分と自分の関係づけ、そして最後に役者と観客の関係づけ、この3つの関係づけが必要になる。今回のお芝居は3番目の関係づけが希薄だったのだ。笑いについて観客との関係ができなかった。その結果、自分達だけが「ふざけている」ようにしか見えなかったのだ。「笑いをはずす」というが、ネタの悪さもさることながら、観客との関係づけが出来ていないケースが誠に多いのだ。
  では細かくみていこう。幕開きは無音で幕開き。勇気ある幕開きだ。しかし2回目以降の暗転には音(洋楽)がある。統一感の点でどうだったのだろうか。幕開きで物足らなかったのは、舞台の「場所」がどこであるのかが、なかなか認知できなかったことだ。結果的には公園らしかったが、公園なら公園で、観客に認識させる大道具(オブジェも可)やSE(効果音)で鳥のさえずりを入れてみるとか、方法は考えられたはずだ。舞台で大事なことは、幕開きで観客に舞台の「場所」を早い段階で認識させることだ。余計な神経を使わせない努力が必要なのだ。次に舞台の3人がタイムカプセルとして埋めた物は「おはようケッペルちゃん」、「物理の教科書」、そして「オルゴール」だった。さつきがオルゴールを埋めた理由がわからないところに、しっかり伏線を感じることが出来た。そして皆既日食が起きる。音楽と微妙な照明変化はOK。大黒が開くと、虚構の世界が開かれる。フショク布を用いた、誠に綺麗なライン。SSから3色(?)の灯りがあてられる。実に美しい絵が繰り広げられた。そして工夫をこらした衣装もよかった。助手のじんべえもおもしろかった。ただ、探偵のトレンチコートがグレーで、ぱっと見、白衣に見えた。武富士、ジェンカは今いち。オルゴールに「星に願いを」を使ったのはメルヘンさを増してよかった。役者としては影泥棒君が芝居を引っ張り、キーパーソンとしての役割を十分に果たしていた。ただ、助手との狂言まわしが、やはり空振りで、せっかくの二人のとりとめのないおかしみが、今ひとつ発揮できていなかった。探偵の種明かしの長台詞はしっかり内容も伝わり、音響の使い方のうまさがあいまって、大変よかったです。ラストはシャボン玉の意味がよくわからなかった。何か意図があったのかもしれませんが。緞帳に砂山がひっかかったのは、まずかったですね。全般を通して言えば、久しぶりの県大会出場だったにもかかわらず、善戦善戦、大善戦だったと思います。
No3県立四街道北高校
「KUON〜久遠〜」楽静・作
  今回の四街道北高校のお芝居も偶然であるが、その前の生浜高校と同様、虚構の世界を旅するスタイルのお芝居だった。同じ様に、観客を虚構の世界に引きずる込ませる必要があった。このお芝居はそれをかなりいい線で実現できていたと思う。虚構の世界からさらに12年前にカットバックさせたり、芝居も二重構造の形をとり、深みを増すつくりになっていた。久遠の世界が「自分の未来が見えない者の町」であり、「時の動きを否定する者の町」であることが、しっかりと伝わっていたと思う。
  細かい指摘をする。音入りで、緞帳があいた。「きゃああ!前灯りが緞帳に!」とメモがある。数校の学校でこれをやってしまった。照明のQ1は前灯りを消した、中灯りだけのものにしよう。緞帳があいて、Q2としてゆっくりと前灯りをたしてやるのだ。そしてホリの色がやたら赤い。夕暮れどきを表そうとしたのか、久遠の世界を象徴させる灯りだったのか、色々考えたが、幕開き時点では現実世界なのだから、夕日とみた方がよかったのだろう。とすれば、赤すぎる。そして暗転。明転になる前に音楽OUT。やはり明転と音はかぶらせよう。そして幾何学をイメージした白いオブジェ。これはなかなかよかった。掃除にかこつけて移動させるあたりは絶妙。しかし、ラストの移動には動機がなく、ラストを迎えるための移動になってしまったのが残念。中央に時計。「きゃああ!動いてる〜!」とメモ。正直びっくりした。これは知らずにやってるのか?!と思ったが、違った。途中オブジェの時計は反転させられ、静止した時計が登場。現実世界と久遠の世界をしっかり分ける小道具だった。あっぱれ。やがて、ルミとモミジのやりとり。テンポがよく、このテンポが芝居を支配したらいいなと思った。そして幽霊話をするモミジ。懐中電灯の効果が、周りが明るすぎて効果半減。やがて「鈴の音」。鈴の音が生音で本当によかった。この音が芝居を支配したのは言うまでもない。ラストの鈴の音がしっかり鳴らし方まで変えて、「希望の音」にきかせてたのはさすが(実際に希望の音に聞こえたよ)。次にミツヨさんの老け方に若干の問題があった。29歳といえば、私レベルからみれば、若い世代なのだが、やはり女子高生と29歳はそれなりに違いを出さなくてはだめだ。メイク、ヘアメイクに工夫が足りない。どこか、今どきの女子高生では絶対しないような部分をアクセントとして見せるとかしてもよかったと思う。特に老け役の役者が忘れるのは「足」のメイクである。若さは「足」に出てしまうのだ。思い切ってババタイツを履かせてしまうとか、その上に靴下を履かせてしまうとか、足にまで気を使って欲しかった。ただ、29歳という微妙な年齢だけに、極端な老けはまずいのだが。キーパーソンなだけに、とことんやって欲しかった。あと、暗転になってからの音入りのタイミングがいずれも遅い。台詞を消してしまうことも多かった。ルミ、カナエ、ケイコの心理劇場面はよく構成されていて、役者も頑張っていた。そしてラスト。「ケイコさんは不幸のまま終わっちゃうのね」のメモ。久遠に残り続けるケイコの気持ちが何のためだったのかが描ききれていないと思った。色々書いたが、高瀬先生も高く評価していました。ドラマが成立していたということです。
No4県立松戸国際高校
『広くてすてきな宇宙じゃないか』成井豊・作/演劇部潤
  相変わらず高校生には人気の高いキャラメルボックスのお芝居だったが、なぜこの台本でなくてはならなかったのか、という部分で皆さんの伝えたい「想い」がこちらに伝わらなかった気がする。アンドロイドなんか人間には必要がない、というテーマではなく、アンドロイドを肯定する芝居である。もちろんこれは皆さんには関係ない話なのだが、本自体の持っているアンチテーゼが、観客を説得させきれていないのだ。確かにアンドロイドを宇宙人の一員として捉え、地球人だけでなく、全宇宙人類愛的発想で作品を描こうとするならば、わからないではないが、やはり落としどころに甘さがあると言わざるを得ない。 成井豊のノスタルジーが多くの観客の気持ちを捉えて離さないのはわかるが、台本自体に問題があると思う。私見なので流してもらいたい。
  この作品にとって大事なことは「世界観」を出すことだ。アンドロイドを受け入れられないクリ子の気持ちの変遷を大事にしながら、宇宙の持つ「すべてを受け入れる世界の広さ」を描く必要があった。そういう意味では大変よく練られた仕上がりになっていた。照明、音響、舞台の使い方を含め、効果について顧問の先生かな?しっかりと舞台のノウハウを知ってる方が裏に控えているのがわかった。それほど、きちんとした舞台だった。さて、審査講評でも言ったが、おばちゃんが「ごらん、広くてすてきな宇宙じゃないか」と言った場面とラストシーンは満天の星空が欲しかった、というよりなくてはならなかった。星球の調達がうまくいかなかったと思われるが、これは何が何でも入手して欲しかった。その際、舞台装置が邪魔だったことは言うまでもない。ラストで装置が撤去され、「いよいよ満天星が演出されるのだな」と期待したが、そうではなかった。今回の装置はホリ全体を隠さないスケルトンタイプのものがよかったのではないか。中途半端にリアルな室内で、中途半端に抽象的な2階部分であったように思う。工事用の足場パイプなどを使って、リアルさを取っ払い、いわゆる「構成舞台」にすれば、よかったと思う。そうすればラストに装置をはかす必要もなくなったと思う。今回、この作品をささえていたのは、そういう意味では皆さんの演技だったと思う。特におばあちゃん役は高校生が演じているとは思えないほど、上手だった。老人役はどうしても類型的になりやすいのだが、しっかりと個性を出していたと思う。クリ子さんも熱演でした。FRSの人も名助演でした(衣装も自家製でしょ?すごかったね)。
No5県立薬園台高校
『新・明暗』夏目漱石・原作(「明暗」より)、永井愛・作
/米山航平・潤色、構成
  審査講評でも言ったが、今回の審査メモは各校大学ノート10ページ前後に及んだ。その中にあって、わずか2ページだったのが、薬園台高校であった。それだけ直すべきところが少なく、観る側を(私個人も)魅了させた作品だったと思う。漱石の未完成作品ということで、どういった結末のつけ方をするのかが、大変楽しみであったのだが、途中をしっかり途中として描き、無理な解決をしなかったところに、作品としての秀逸ぶりをみてとれる。それも生徒自らの潤色、再構成ということで、作品の成立自体に高い評価がなされたのだと思う。
  さて、今回のお芝居は巧みな心理劇である。それも高校生には難しい年齢、環境設定の役柄ばかりであった。ともするとテレビドラマの影響を受けた、安っぽい演技になりかねなかったが、基本に忠実に、丁寧で誠実な取り組みであった。しかして問題はやはり演技にほかならない。高校生が高校生が演じるのは、日頃そうした環境に慣れていない専門審査員にはやたら受けたりするのだが、こうして今回のように設定の難しい役者を、年齢的にもまだ若い高校生が演じることは、やはり生半可な稽古では達成できない。いずれの役者にも高校生であることが顔を出す。それを差し引いても余りある出来だったため、あえて演技には言及しなかったというのが、審査側の本音である。しかし、過去20年間、私自身、全国大会の珠玉の舞台をたくさん観て来た。そしてあえて言うなら、それらの困難を見事にを克服してきた大先輩達がいたという事実を、ぜひ真摯に受け止めて欲しいと思うのだ。もし、皆さんが高校生という若さに打ち勝つ演技を身につけたとしたら、まさに高校演劇史上に残る一作になると断言したい。これから時間をかけるべきは間違いなく「演技の練磨」である。そしてもうひとつ。今一度、作品の原点に返ってもらいたい。漱石がこの「明暗」を通して、どう生きようとしていたのか、ということを感じて欲しい。
  「明暗」をいたずらに「則天去私」と結びつけて、超絶的世界への導きの書と考えてはならない。私は漱石は作中人物とともに生きたのだと思う。漱石は「愛」について、「道草」を除いては、すべて男の心理を通してでしか示さなかった。しかし、「明暗」では女性の心理を通して、愛の不可解を示してみせた。何故なのか。あえて答えは書かない。もうひとつ。「明暗」の世界ではすべてがまわり持ちしあいながら、しだいに無明の罪業の世界におちてゆく。それが漱石の手腕により、彼等の考えや行動がきわめて「自然」なものとして描かれていく。しかして彼等のそうした「自然」は、常により大きな自然によって結局は運ばれているのであることを、写実そのものによって示している。実は「則天去私」は超絶的なものではなく、リアリズムの精神なのだということを知って欲しい。とすれば、漱石は「明暗」を書くことによって、どう生きようとしたのだろうか。「こころ」の一節の「先生」の言葉がヒントになるだろう。「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざといふ間際に、急に悪に変るんだから恐ろしいのです」と。
  「明暗」は津田に対するお延の心理描写を実に巧みに描く。さらにこの二人にからむ人間関係、「津田の叔父藤井夫妻」、「お延の親類岡本夫妻」、「岡本の二人の娘、継子と百合子」、「津田の上司である吉川と、その妻であって津田の対女性関係に陰険で露骨な干渉をし、津田からもその権利を認められている吉川夫人」、そして「津田の妹、お秀」、「津田の昔の恋人清子」、「津田を代表とする金持ち階級への憎悪と自己嫌悪とを同時に表明し、そのためにかえっ最も積極的に津田の属する世界に対して、痛烈で皮肉な批判者たりえた津田の旧友小林」、など大正時代の中産階級の人達を決して類型的でなく描く。どれをとっても時代から類推した役づくりなどは当てはまらない。皆さんが作品への解釈を深め、皆さん自身が漱石とともに生きてみて下さい。そうすれば、自然と役の本質が見えてくるはずです。それをクリアできてこそ、高校演劇史上に残る作品になると思います。(あえて)夏までは長丁場になりますよ。心からエールを贈る。頑張れ!
【大会第2日目】
No6県立富里高校
「月の川慕情〜山田課長の長くて短い夜に〜」タカハシナオコ・作
 緞帳があくと、洒落たレストランが出現した。丁寧なつくりだ。そのレストランから主人公、月子の回想旅行が始まる。誰しもが幼い頃のほろ苦い思い出というのがある。私も小学校の5年生のときに、サンタクロースを信じて疑っていなかった男友達に、得意げにネタを明かし、さらにはバカ呼ばわりしてしまったという取り返しのつかない失態が思い浮かぶ。難波君は今頃どうしているだろうか。本当にあの時はごめんなさい。…などといった観客各自のほろ苦い思い出を喚起させてくれるようなお芝居だった。嫌なことがあると雨降りを期待して、降り降り坊主をつくる小学生の頃の月子。大人になっても、同じ月子。そんな月子が木村さんと交わした約束の品、照る照る坊主を取り戻す(それは自分自身を取り戻すこと)お話だ。富里高校の前顧問の先生の作品だそうだが(とっても美人の先生ですよね。今年の文化祭では部員がやるはずの一人芝居を、部員がやめてしまったことから、ご自分で熱演なさるというハッスルぶりだったと聞いています)、大変いい台本だと思う。特にオードリーの「ティファニーで朝食を」のテーマ曲である「ムーンリヴァ−」をモチーフに描かれているあたりは、1970年代に青春を迎えた年頃の観客には、何とも言えない郷愁として響いたに違いない。さて、こうしたよい台本に支えられながら、皆さんは頑張ったわけだが、色々問題点もあった。月子の母親役の子を除き、もう少し演技練習を頑張って欲しかった。演技の基本をしっかり学ぶべきだ。台詞のキャッチボールから始めて、動き方(特にこれがダメだ。立ちんぼの役者が多すぎる)、さらには役づくりが甘い。月子さん、木村さん然り、月子さんの娘然り、追い詰める思い出達も含めて、練り方が甘い。台本に頼りすぎている。芝居というのは、役者が台本を飛び越えて(作者が予想さえしなかった役どころをつかまえて)、自分自身のものにして初めて、息づいてくるものなのだ。書かれたがままを素直に演じていればいいというものではないのだ。つまり、役者個人の息づく様が感じられなければ、誰も突き動かされないということなのだ。色々研究してみて下さい。
  あとムーンリヴァ−の曲で、泳ぐシーンはとても綺麗でした。講評でも言ったけど、このムーンリヴァ−の曲が、あまりに名曲なため、芝居を支配してしまってたんだよね。もともとこの曲は家族で映画を観にいったときの思い出の曲でしょ?でも月子には亡くなった木村さんとの思い出も大事なものだったわけだし、様々な思い出がムーンリヴァ−という曲に昇華されれば、よかったのだけど、エンディングに流れたムーンリバーが、どうしてもそういう印象を与えていなかったのだ。
  あと細かい点としては、本当にレストランの装置が必要だったのかどうか、という点だ。灯入れまで作って、精密にしたのは拍手だけど、思い出のシーンが長いだけに、抽象的な構成舞台の方がよかったんじゃないか?あと、TOPの緞前の立ち位置がシンメじゃなかった(センターからずれていた)のは、リハ時に幕開き幕切れ練習を怠った(時間がなかったのかな?)ためだと思う。また、ウスダイラ先生は健闘していたが、やはり笑いが甘い。これも他校の例同様、観客との関係づけができなかったためである。あと、「ギザギザハートの子守唄」の音源ソースの悪さが際立っていた。曲を流しながら、歌を生録したんでしょう。やはり、ミキサーを使って、音源と歌は別々にして、できれば、ノイズリダクションとエコーマシーン(歌にうっすらかける)をかませないと、いい状態にはならないと思う。マイクも大人数なら、本数を増やすとか、集音マイクを使うとか、一人の声ばかりが強調されていた気がする。これからはそういうことがわかる人に相談して、行うようにしましょう。色々書きましたが、私は皆さんのお芝居に点数を入れました。
No7県立佐原高校
『ここだけの話』高橋いさを・作
  講評でも言った通り、「大人の芝居に取り組みましたね」ということだ。高校生が大人の芝居に取り組んじゃいけないなどと、言ってるのではない。大いに結構、いやむしろ結構。私個人は高校生が高校生を演じるのは、あまり好きではない。審査員受けもいいし、役づくりも簡単だし、だからこうしたチャレンジには逆に拍手を贈りたい。それに高橋いさをの本って、無条件におもしろいもんね。とってもよくわかる。でも、そうしたチャレンジはチャレンジとして、足りなかったことについてはバッチリ指摘しておこうと思う。
  これは結婚する花嫁と離婚をする(中年)男を出会わせた、人生の縮図のようなお芝居だ。話の展開のおもしろさで、ぐいぐい引っ張っていく、まさに高橋ワールドである。そこで、最初の苦言は音を使いすぎという点だ。シーンごとに音楽が入るのは、この芝居についてはうるさすぎる。音ではなく、演技で魅せていくのがいいと思う。あと、相当ずうずうしい花嫁なのだが、やはり男のカバンを開けるのは、逆に育ちの悪さを感じさせてしまうので、やめた方がよかった。カバンからタワシがたくさん出てくるというのはアイデアだったんだけどね。やっぱりやめた方がいい。しかし、これも講評で言ったが、最後の方のシーンで、鏡の前に立つ花嫁の、何かを想いながらうつむく姿は大変印象的だったし、男といっしょに鏡の前に立つ場面はとても胸をうつものがあったと思う。あと、これも講評で言ったが、ラストに男が指輪をさっさとはずして(少なくともそう見えた)、なぜかカーテンを開くと夕焼けがまるで希望の光のように射し込むというラストは、演出が違うと思った。
  演技面で言うなら、花嫁役の子はとてもチャーミングだったし、男役の彼女は女を感じさせない立派な演技だったと思う。顧問審査員には花嫁の衣装が安っぽいとか言っていた人がいたが、デザインもかわいくて、私にはそうは見えなかった。とても似合っていたし、決しておかしくはなかった。ただ、「静」の演技をどうこなすかということが問われる芝居だったと思う。様々な心情表現をちょっとした物言い、ちょっとした仕草で見せていく、それでいて、決して同じテンポでなく、心のあり様によって、テンポを変えていく必要があった。まさに役者の力量、努力の問われるお芝居なのだ。そういう点での甘さが今回、入賞できなっか大きな理由だと思う。動きのある演技はごまかしがきくが、今回の芝居はそうはいかない。ご存知だと思うが、演技の基本に「三態」というのがある。「笑う」「泣く」「怒る」である。様々なスチュエーションでその三態を練習しよう。笑うだけでも何十通りも種類があるはずだから。そうしたある意味、地味な練習の積み重ねをして、基本を身につけなければ、こうした芝居は難しい。
  No8千葉日本大学第一高校
『仰げば尊し』福田卓郎・作
  瀬戸内西高校生徒会を舞台にした、誰しもが持っている青春時代への郷愁をモチーフにしながら、そして今でも同じ悩みを持っているであろう高校生達にも捧げる、心暖まる青春ドラマでした。多くの審査員が評価をし、堂々四位に入賞した。
  まず「方言」にびっくりした。地方の高校生が共通語を話すことはあっても、その逆はなかなかない。部員や関係者に出身者がいなければ、難しいし、演技以前のリスクをしょっている。大変頑張ってるなと感じたまた、「おやじ」役の彼の熱演も芝居を引っ張っていたと思う。部活に「ふけ役」ができる生徒がいると大変助かるものだ(こりゃ蛇足)。ただ、メイクはもう少し丁寧にやった方がよかったね。白髪の入れ方がよくない。それに「しわ」の線はいいとして、地肌の描きかたがダメだ。老人の肌ではない(しみを入れるとか、ハイライトをくすませるとか)。顔をキャンバスだと思って、メイクはされなくてはダメだ。演技が健闘していただけに、その辺りは結構重要な点だったと思う。
  さて、今回思ったことは、メモによると「なかなかドラマが始まらない」とある。確かに「日常の切り取り」はよくできているのだが、伏線になるべきことが今ひとつデフォルメされていない。いったい何が起きるんだ?と待たされている感じが残った。生徒会の現実(女子の騎馬戦が却下されたり、予算も決められない)が浮き彫りにされて、やっとドラマが動く。「待たされた〜」という感じ。しかし、そこからは生徒会長の「おやじとうちらは違う…云々」の台詞に代表されるように、観客を釘付けにした。おやじの署名運動も印象的だったし、おやじが亡くなったことへの悲しみもより効果的に描かれていた。「微笑返し」の歌も上手でした。70年代バンザイ!ってかんじでした。つめていくと、ダメな点は「本」のせいということになってしまうかもしれない。
  入賞するだけのことはあって、完成度の高い作品だったと思う。
No9県立君津高校
『ほら吹きのゴーシュ』酒井一成・作
  いやあ、千葉県にもこんな学校があったんだな〜と感慨深く観させてもらった。作・作曲を手がけられた酒井先生、同じ穴のムジ〜ナとして、仲良くしてやって下さい。1月7日に鎌倉でミュージカルをやります(昼間は鎌倉散策、夜はお芝居というのはいかがですか?)。オリジナル曲、12曲作りました。とまあ、大変状況がよくわかる同胞であります。
  さて、自戒をこめてコメントしよう。どうしても音楽ができる人がいると、芝居の作りが音楽を基盤につくりがちなのだ。その結果、ドラマ性が希薄になってしまう。だから、やるならとことんミュージカルのつくりにしてはどうですか?ただし100%言えることなのだが、コンクール向きではないということだ。ミュージカルはどうしてもエンターテイメントなつくりにならざるを得ない。お客様を飽きさせない芝居づくり、歌、ダンス、パフォーマンス、様々な仕掛けなどなど、私も2時間あればドラマ性を色濃く出せないことはないと思うが、60分の中でそれをやろうとすると、君津高校のように中途半端に音楽を使わざるを得なくなってしまうのだ。それじゃ60分でとことん音楽を使うと私達の学校のような芝居になってしまう。歌とダンスで34分を使ってしまった。もうこうなるとコンクールを無視しているとしか言いようがない。それでもミュージカルをやりたいという部員の強い希望から、今回の地区大会玉砕の憂き目にあいながらも結構満足していたりするのだ(そのおかげで、千葉県大会の審査員をやれて、とってもラッキーでしたが)。コンクール至上主義の学校にはできないと思う。
   随分脱線してしまったが、それだけ君津高校のチャレンジには拍手を贈りたい。ということで、中身についてコメントしよう。まず、この『ほら吹きのゴーシュ』というナメタ名前に拍手。私も『星のおじさま』というネーミングで、ナメタ芝居をつくったものだった。中身は宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」の器を借りて、色々なものたちの力を借りながら、主人公が成長していく姿を描いたものだ。まず幽霊が現れる。で、ひと歌い。ひと踊り。次に魔法使いや占い師たちが出現。でまた、ひと歌い、ひと踊り。そして私とゴーシュのデュエット。最後にベジタブル達が出現し、ひと歌い、ひと踊り。完全なパターンになっていたのだ。見せるべきは「ギターをうまくなりたい」という少年の想いであり、歌・ダンスそのものではない。見せ場がパフォーマンスに重点が置かれてしまったために、こちらに感動が伝わらない。また、主人公以外の人物の絡みが結構いいかげんなのだ。いっしょに幽霊を見た妹は、あのスチュエーションでどうして寝られるのか、など腑に落ちない絡みがいくつか気になった。ゴーシュが一人だったのに対し、家族を登場をさせてしまったところに、無理な展開が生じてしまったのではないだろうか。
  細かい指摘をいくつか。ビートルズのポスターと窓が吊られていたが、吊り物を駆使するなら、場面ごとに色々なものがUPDOWNしてきたらおもしろかったかも。あとベットは完全な手抜き。箱馬が丸見えはいかんでしょう。ギターが弾けない彼が弾いてみせるのは変。アコースティックギターを使って、弾けない状況を生音で聞かせた方が伝わった。幽霊の衣装は頑張っていたが、色彩的に白である必要はない。確かに首まわりを4色にして、アクセントをつけようとはしていたが、色がくすみすぎ。むしろド派手にした方がおもしろかったかも。幽霊が靴下や靴を履いてるのは不自然。はだしでしょう。SMのお姉さん、歌うまかったよ。3曲目のゴーシュはなぜ、あのような高台に載っているのか。装置にも根拠が必要。それにゴーシュ灯りがあたっていなかったのは何故?デュエット曲は3拍子にして、曲調に変化を与えてよかったのだが、音源はアコーディオンにするともっと雰囲気が出たかも。それに曲のサイズがいくらなんでも長すぎる。せめて2分〜2分30秒が限度だと思う。下手をすると歌謡ショーになってしまう。そういう意味で、曲の展開がAメロからBメロに移行して、サビに突入、繰り返し…の歌謡曲パターンは、できるだけ避けた方がいい。全般を通して、ベースのランニングはお見事でした。あんなベースを入れてみたいよ。とまあ、やりたいことがいっぱいあって、すべて詰め込んだ感じがした。なくす必要はないので、もっと精査して、構成、組み合わせ、ドラマツルギーなどを考えて製作されるとよいのではないでしょうか。自戒をこめて。
No10県立市川東高校
『Over The Fence〜明日に届け 僕等の白球〜』演劇部・作 (一宮高校演劇部作「男でしょっ!」より)
  関東大会出場、おめでとうございます。古谷先生の執念には見習うところだらけですが、皆さんの執念もたまげたものです。よく人数が多いことを理由に、「あれだけ部員が多けりゃ、何でも出来るわよね」といった陰口を聞くこともあるだろう。しかし、トンでもごじゃりません。私も前任校で50人をかかえる顧問をやっていたのでよくわかる。多けりゃできるなんてもんじゃない。みんなが共通の高い認識をもって部活を運営させなくてはならないので、大変なんだよね。ましてや執行部の皆さんの苦労は、察して余りある状況だと思う。だから、あの芝居の精密さ、エネルギーといったものを、単なる物量戦と捉えてはならないことは、十二分に理解できる。そういった意味も込めて、ご苦労さんと言いたい。
  さて、芝居についてコメントしよう。まず、ストーリーが極めて単純なこの作品を、いかに観客に飽きさせず、深みを持たせ、また感動してもらえるかという難しい挑戦だったと思う。ストーリーの軽さはともすると幼稚な仕上がりになりかねない。そこで大事にしたいのが、役者のキャラクターと主役の葛藤である。そこにドラマが生まれる。そうした意味では大変成功だったと思う。しかし、構成のバランスにまだ一考の余地があると思う。観客の涙を誘ったのは女は公式戦に出せないと練習試合相手の部員にいちゃもんをつけられるシーンだろう。まさにこの芝居はここにたどりつくまでに、前中盤、色々頑張ってきたのだと思う。しかし、前半が邪魔なのだ。特にお料理のシーンは遊びも多く、本筋から離れた箇所でもあり(キャラクターを見せるという点では意味があったろうが)、本来なら早く本筋に入った方がよかったに違いないのだ。恐らくは皆さんもそれは知ってて、たぶん切れなかったのではないでしょうか。おもしろいので切りたくない、この気持ちはわかる。しかし、みせるべきものが他にあるでしょう。しかし、どうしてもあのシーンを大事にしたいのなら、パターン化した笑わせ方を変えていかなくてはならない。料理の場面の最後の方では、「またか」という辟易感すら感じたのは私だけだろうか。笑いをなめてはいかん。パターン化された笑いは真の笑いではない。1・2回までならいいだろうが、3回目はやってはならない。もっと笑いの種類、方法について、アグレッシブに議論すべきだ。つまり、TOPで笑いをとったのはいいが、いつまでたっても観客は本筋から待たされて、さらにはパターンでしか笑いをとれないという、結構深刻な状況を生み出しているのだ。
  あとひとつ。この芝居に深みを持たすための試案だが、「第3者の目をもった配役」をつくることだと思う。この芝居に欠けているのは「客観の目」である。全国に行ったあかつきには、一考してみて欲しい。
  薬園台高校ともども、ご健闘をお祈りする。
【大会第3日目】
No11県立長生高校
『うちに来るって本気ですか?』石原みか子・作
  御殿場家に巻き起こる「入れ違いの笑い」をコミカルに誠実に演じた。何しろ本がおもしろい。台本選びから芝居づくりは始まっている。そういう意味でも、いい本を選んだと思う。朝一番の公演だったこともあるのだろうか、幕開きはまったく声が出ていなかった。交通トラブルに巻き込まれて、到着が遅れたと聞いたが、アップする時間すらなかったのではないかと思う。心中をお察しする。そんなこともあってか、前半部は演技についてもノリが悪く、中盤を過ぎてからようやくエンジンがかかったように思う。役者のエネルギーが今ひとつなのだ。冷蔵庫をあけて「もずくがない!!」という台詞があったが、あの位のエネルギーが全役者に欲しかった。なまずと弟の勘違いの演技くらいの迫力が欲しかった。しかし中盤からは演技がからみあってきたと思う。あとこの舞台の決定的失敗が指摘できる。これは今後の芝居製作にも大きく関わってくると思うので、耳を傾けて欲しい。「演技と演技の間にスキマがある」ということなのだ。まず、たたみこむような台詞のキャッチボールはない。台詞の出が悪いというか、一瞬、ほんの一瞬なのだが、スキマがあって、台詞が出る。生理的に受け入れられない「間」なのだ。これはもう一度、台詞のキャッチボールから始めて、基本的な読み合わせを徹底的にやった方がいいと思う。あの宮本亜門さんが、ある劇団の演出をやって、彼の方針として読み合わせをしないで、いきなり立ち稽古をしようとしたらしく、役者さん達ともめてしまい、結局演出をおりたという話がある。これは極端な例であるが、亜門さんの方法の是非はおいとくとして、それほど役者は読み合わせを大事にしている。もう一度原点に帰って、練習を尽くして欲しい。
  さて、細かい点を指摘しよう。幕開き。音と同時にいきなり緞帳UP。ちょっと唐突かなあ。音楽を聞かせてから、緞帳をあけてもよかったと思う。講評でも言ったが、セットを見たとたん、本当に見まがう位にそっくりな舞台をつくったことがあって、めちゃくちゃ驚いた。そのときは私もよかれと思って、製作したのだが、やは舞台を囲えばいいというものではなかったのだ。アクティングエリアというのは、広ければいいのではない。装置は使い方によっては役者の動きを「制約」もするし、逆に「引き出す」こともしてくれるものなのだ。もう少し、部屋を小ぶりに区切って、場に制限を与えた方が、よかったと思う。ふすまがすんなり開くようにするのは大変なんだよね。お察しします。あと下手のふすまのうしろには隠し壁を作るべきだった。ホリが丸見えだった。最後に幕切れが、歯切れ悪かった。スパッと切って、緞帳は閉めて欲しかった。
  ぜひ、今回のことを経験にして、さらなる発展を目指して欲しい。
No12県立船橋旭高校
『ピアノトマト』土田峰人・作
  優秀賞すら受賞できなかった、そんなことがあってはならないと思う。専門審査員が1票も入れない、おかしいと思う。あえて、そう書く。今回、専門審査員の判断は、講評でもあった通り、「芝居として成立していなかった」というものであった。ピアノを弾けなくなった少年は確かに心の病であったかもしれないが、障害者ではない、というスタンスから話が始まり、しきりに手を洗うことは彼の心を表現してはいない。病を材料にして、芝居を運び…云々(正確な内容は審査テープを聞いて欲しい)。「生徒が内発的な演技ではなく、させられている感じがする。マスクをかぶった演技」とも。話を聞いていて、「厳しすぎる」と思った。専門審査員の審査は他校のそれとは大きく違っていた。厳しい「演劇論」が交わされた。専門審査員は極めて「マジ」であった。いい点を前向きに見つけてあげようではなく、演劇を創造する者として「マジ」であった。しかし、旭高校の皆さん、これは大変嬉しい話である。プロをマジにさせた芝居だったんだよ。演劇として成立するかしないかという点だけで考えれば、手抜きの演技や装置だって、演劇として成立しないと判断してもいいはずだ。「こんないいかげんな気持ちで芝居をつくるな!」と言われることだって、芝居の不成立と言ってもいいはずだ。既製というだけで、「ヒドイ台本」だってある。それを選んでも、ここまで酷評はされない。
  私は確かに「演劇として成立しない」という中身を聞いていて、そういう考え方もあるなと感じた。我々高校演劇仲間の間でも「障害をテーマ」にするお芝居を「禁じ手芝居」と呼んだりする。障害をテーマにされると、批評しづらく、あまり言うと「障害者への無理解」ととられたりする。だから、確かに扱いが難しい題材だとは思う。しかし、コンクールの審査基準とは何だろうか。少なくとも旭高校のスタッフとしての仕事は、どう見ても全国指折りであるし、県大会まで積み重ねてきた皆さんの成果は、絶対に「0票」であるはずがない。私は薬園台、市川東を1・2位として投票したが(これははなはだしくはずれていないと思う)、総合評価として3位にランクインさせた。これも間違いないと確信している。絶対0票ではない。
  この先、皆さんはこの結果をどう捉えるだろうか。私はやはり顧問を信じ、自分達を信じ、しかし専門審査員の言葉にも耳を傾けられる、そんな大きな気持ちでこれからも自分達が納得できる芝居を創っていくしかないと思う。芝居って何だろう…今回、本気でそう考えさせられた。コンクールって何だろう。
No13県立流山東高校
『当世女子高生気質〜哀しい夜にはヤングマン〜』今井真樹・作
  こんな痛快な芝居はあまり観た事がない。またこれほど親近感を感じられる芝居も少ない。これは完全にある効果をねらった作品である。「日常の切り取り」をオムニバス形式で積み上げた作品だと思う。あの平田オリザさんがご自分の「静かな演劇」を評して、「劇場という場所は非日常を体感するところというのが、今までの劇場のあり様であった。しかし、日常に疲れ切った人々が、日常と同じ空間を体感することで、安心感を持つ場所としての役割も果たせるんだ」といった内容のことを言っていた。このお芝居に親近感、そして安心感が感じられるのは同じ出所だと思う。私達高校演劇を志す人達が、こぞってこの芝居を観て、安心したのである。日常の切り取りはそういう意味で大きな役割を果たしたと思う。顧問がこの作品を生徒といっしょに作りながら、楽しんでいる姿が目に浮かんだ。
  では細かいことを書く。幕開きは失敗?客電が落ちきる前に始まってしまった?舞台監督と音響ルームとの連絡ミス?幕があくと実に丁寧な装置が顔を出す。瞬間にして、演劇部の部室であることが認識できる素晴らしい美術だ。窓もじょうずに開くねえ。下手窓の外には木々が見える。細かい。「ふみえ先輩、演劇部におかえりなさい!」に感動。それから意味不明な(この時点では)ダンス部員の登場。最初は全員を舞台にあげたいという配慮の「脇役」かな?と思ったら、大間違い。このお芝居はダンス部なくしては成立しない。それほど圧倒的な存在となる。それから夏場のホリの色と雲が本当に感動的に美しかったね!あんないい色、なかなか出せないよ。照明さん、立派!それと「壁の落書きが消せない」というのもよくわかる。私も経験がある。25年ぶりに訪ねた部室に自分の落書きを見つけたときには、持って帰ろうと思ったぐらいだった(余談)。そしてオムニバスの3番目、「お父さんが会社で倒れた」で、芝居の構造が見えてくる。それにしても「人形」の存在がスゴイ。もうこれは「キャスト」と呼んでいいぐらいだ。たぶん名前があるでしょ?知りたいなあ。保育士の話から進路選びについての話に発展するあたりも、皆の親近感を買ったねえ。「モーロ真理教」も爆笑。裏返ると「ジョニー女学院」の文字。もうやりたい放題だ。でも「お父さんが倒れてちょっとほっとしてるんだ」はちょっと違うだろう。その後も「1年生が徹夜して作ったんですよ」とか「いいのよ、1年生を裏切るのが演劇部の伝統」などと、日常に密着した台詞がポンポンと飛び出す。そして感謝状授与式。最後にはまさかの「サンバダンシングチーム」の登場。もう好きにして状態だった。まさに痛快!優秀賞、当然の結果でした。
No14県立沼高柳高校
『020(Zero to Zero)』演劇部・作
  この作品は梶井基次郎の「檸檬」をきっかけにして、とにかく会場を笑わせるだけ笑わせ、実はその笑いこそが、都会の喧騒とか狂気じみた心の悩みを芝居にしたものだった。ただ笑っていただけでは、この作品の意味はわからない。間違いなく、彼等は「確信犯」である。芝居の笑いには様々な論議を呼ぶ。特にこうした芝居の笑いは酷評されることが多い。コントの笑いと芝居の笑いは別物だという意見である。しかし、彼等は先にも述べた通り、確信犯である。この作品における笑いは実は凍りつくほど、怖い笑いなのだ。これでいいと思う。
  では細かい点をいくつか。幕開き。とにかく音がでかい。会場にブースがありながら、あのレベルはまずいでしょう。幕開きの台詞はひとつも聞き取れなかった。装置は土手とビルの遠見で構成されているが、ん〜もっと他のデザインはなかったのか。ただ、ニューヨークの貿易センタービルが見えたときには、「ねらい」が予測できた。都会の喧騒はスモーク、バックサス、そしてダンスで見せた。いい効果だ。そして事件発生。椅子を持っての登場はいいアイデア。ごきげん部長の登場。ごきげん部長は終始芝居を引っ張っていたのだが、いかんせんかつ舌が悪い。何を言っているのかわからない箇所がいくつもあった。キャラで何とかもっていた。ぜひ、練習を。現実世界と坂口の夢。世界を行き来する。現実世界に変化がおきる。TELがかからなくなる。スナイパー登場。ここらあたりで、本題への展開が遅いと感じる。スナイパー3人がビルを占拠。たった3人の姉妹のドラマチックメロディはなかなか。何しろ書ききれない。最後は群読。しかし、群読は何を言っているのかが聞き取れない。また、群読でしか(?!)最後をしめくくれなかった台本の弱さも感じた。この作品は高瀬先生一押しで、創作脚本賞に輝いた。
  ここまで自分達のやりたいことをやってしまった皆さんは本当に幸せ者だと思う。すばらしい。
【総括】
  千葉県の高校演劇はまさに「演劇百貨店」である。そしてレベルが高い。神奈川が見習わなければならないことが、山のようにあった。高校演劇はおもしろい。とりわけ、コンクールは何を言われるかわからないから、おもしろい。審査員として好き勝手なことを書いた。しかし、それをおもしろいと感じてもらえることを信じて、幕を閉じようと思う。ぜひ何かコメントがあったら、伝言板にカキコして欲しい。本当に感動しました。素敵な経験を有難う。


2003年度神奈川県大会
11月22日(土)・23日(日) 
於テアトルフォンテ
【代表校数減のいきさつと影響】
  今回の県大会は青少年センター改修工事に伴って、テアトルフォンテで開催されることになった(2004年度も同様)。センターが回転舞台で、中ホリ裏に次の学校の仕込みができたことから、幕間(まくあい)は15分で済ます事ができていたわけだ。しかしフォンテはそれができないため、幕間を30分とり、さらに出場校枠を13校から10校に減らし、大会が開催されたのだ。減らされた地区は横浜地区・北相地区・湘南地区の3校であった。しかし、10校の中で、最大の装置総量が軽トラ1台分という少なさもあり、有り余る幕間になってしまったというのが実状なのだ。来年度、元の校数に戻すことを希望するものである。
  13校が10校になったことの影響の分析から始める。今回の最優秀校3校は実に順当な決定だったと思う。例年なら競合し合い、審査員もなかなか選出に苦労するのが常である。そういう意味では3校減った分、若干広き門になったといえるだろう。しかし、代表レベルでなかったかもしれないが、全般的にレベルの高い学校が集まったことは論を待たないと思う。
【最優秀校3校について】
  さて、まずは関東への代表校の法政二高、上溝南高の両校さん、おめでとうございます。湘南定時の皆さん、アートスフィア頑張って下さい。では劇評します。ちなみに大会の講評は所用があって、全く聞いていないので、あしからず。
  (1)法政二高
  法政二校は昨年度の出来から考えれば、当然の結果だったと思う。しかし、やはりアッパレだったのは、昨年度の『十二人の怒れる男たち』で既製台本をきっちり仕上げた経験を積みながら、しっかり自分達のメッセージをもった創作劇にチャレンジしたことだと思う。「モノマネじゃなくて、ハートを伝えられる自分達のダンスを!ロックをはずせ!」というメッセージは、芝居のつくりにも当てはまっていたと思う。正直言って、既製のドラマツルギーなど全く無視した芝居構造だったと思う。起承転結にこだわりすぎる高校演劇にあって、まさに破天荒という言葉がぴったりのつくりであったと思う。その「自分たちだけの芝居づくり」が大きく評価されたのだと思う。前半は正直言って、なかなかドラマに入っていけなかった。非常に単調な展開に、どうやってドラマをみせていくのだろうと他人ながら結構心配しながら、観ていた。しかし、中盤から後半にかけての持ってゆき方には、ぐんぐん引き込まれていった。ただ、黄色のシャツを着たダンスが下手だという役柄の彼が吐く台詞が、あまりに直接的すぎて、芝居の嘘を感じてしまった。もっとさりげない台詞や行動から、問題提起できなかっただろうか。芝居には伝えたいメッセージを台詞にしてしまう危険性がつきまとう。曲解されずに伝わることは確かだが、それが心に響くかどうかは別物だと思う。また、1対全員という構図にも問題があったと思う。なぜなら孤立した彼の考え方は確かに「こわい」のかもしれない。しかし、私は1対全員の全員の統一感にこわさを感じた。絶対そう感じた観客はいたと思う。「ロックダンスの大会で勝ちたいからものまねでもいいからロックダンスを極めていきたい」という彼の発想は決して間違いではないし(というよりむしろ普通の考え方だし)、確かにそうでないとする集団の方に中身からみて、利があるのだが、正義が正義全として悪をこらしめてしまっていいのだろうか。正義集団は何度も手をさしのべてはいるが、その手をつかめない彼の心の貧しさ(?)を貧しさとして描くことが、本当にこの芝居には必要だったのだろうか。恐らく彼が改心をしたり、ロックダンス大会で結果を残すような結末だと、あまりに嘘っぽいからという単純な発想から、ああいった幕切れになったのではないだろうか(「単純な」というのは言いすぎかもしれませんが)。とすればそれは芝居の方向が違うと思う。めざすべきは双方の心の葛藤を描きながら、両者が融和せずとも、それぞれが心の成長を遂げていく様を見せるべきだと思う。この芝居を観終わったあとのもどかしさは、決して孤立した彼が最後まで変われなかったからではない。人が人として個人の人格を受け入れることのできなかった集団側の心の貧しさであり、集団の暴走があるからだと思う。これがエスカレートすると「いじめ」になり、学生運動の正義を名目にした「総括(リンチ)」の発想にたどりつくのだと思う。言いすぎかな?だから、ダンス大会で前半はロックダンスを、後半は魂を伝えるダンスをという歩み寄りの結果として、一方的に一人を悪者にするのではなく、実際に「ものまねのダンスに魂はない」などということはあるわけないので(もともとの立脚点に問題があったと思うが)、ものまねに魂をこめることだってできるんだと気がつかさなければ、集団の横暴につながりかねない結果になってしまうのだと思う。ダンス大会のダンス場面がまさに「見せ場」だったと思うが、最後の最後にロックダンスとオリジナルダンスが融和したダンスを見せてくれたら、すごいことになったと思う。それは赤の他人どうしがお互いを認め合うということを、台詞や演技で見せるのではなく、ダンスでとどめをさすわけで、本当の意味で「魂のこもったものまねでない法政二高のオリジナル芝居」になったのではないだろうか。なにやら勝手なことばかり書いてしまったが、そんなことを考えている観客もいたことを知ってもらいたい。芝居に深みを持たせるには少しストレートすぎたかもしれない。勢いのエネルギーを芝居を深めることにも使って下さい。
  (2)上溝南高校
  次に上溝南高校のお芝居だが、柏木マジックに再びしてやられた感がある。台詞でなく伝えてしまう技の妙味に圧倒された。限りない伏線と絶妙な個性の引き出し方に、舌を巻いた。とことん芝居をわかっていらっしゃる。脱帽。でも、疑問がいくつも残るので、書きます。「幕開きに音がない!」これって勇気のいる幕開きなんだよね。1回目のブルー暗転でも、音がない。そうか、ねらっているのか…と思いきや、なぜ3回目以降の暗転には音を入れたの?と同時になんで前半6回も暗転にしたの?(暗転の多さに数えてしまった)確かに母娘の関係を見せたり、万引きシーンを見せたり、場面転換が必要なこともわかるが、まずそれ以外の場所は暗転でなくても、つなげられるはず。同時にその2場面も暗転でなく観客に知らせる方法があったはず。暗転が転換のためだけに使われることに、日頃から疑問視している私としては、とても「嫌」でした。暗転中に音楽や効果音で観客の感情を高揚させるという大事な仕事もあると思っている。今回の暗転処理については、ぜひ一考願いたい。あと優等生の彼女が自分が万引きした理由を述べるシーンがあるが、あそこに嘘を感じた。いわゆる勉強ができるだけでなく、親や教師にもいい顔して、外づらがいい優等生が「反動」から様々な問題を犯すケースというのは、教育現場では私個人も何度となく経験していることだ。「万引きしたらどうなるんだろうと思ってやった」なんて、限りなく嘘っぽい。一方で「なんでやったかわからない」という台詞もあったりして、見る側を混乱させる。後者の台詞は実際そうなんだと思う。真実味をおびている。あと、仲間が「彼女万引きしたらしいよ」という噂話をすることも不自然だ。単なる風評ととらえてもいいが、学校側が知ったのではないかと観客に感じさせる。だが後半には彼女が担任に自ら犯罪を告白するんじゃないかという場面で、「信じてもらえるかどうか」と言ったりしている。つまり学校側はスーパーの事件を知らないということになる。あの女子生徒達の噂話はどこから出たのか?とさらに疑問が強くなる。それ以前に、あの母親は娘の事件を知らないままのはずもなく(万引きでは必ず保護者なりの引き取りが必要なので)、母親はどういうふるまいをし、娘に対し、どういう考えをもつに至ったのかなどという不完全燃焼も生まれたりする。つまり、コンタクトを探しにきた担任の先生や母親も含め、演劇部に焦点をあてている芝居とはいえ、周辺の登場人物が飾り物になっている(まったく人物を描いていない)。芝居の中ですべてを描けとは言わないが、登場人物がきっかけだけの役回りというのは、少し違うような気がする。力のある3人で芝居を展開させたいなら、(たぶん顧問として皆に登場の機会を与えたかったと想像するが)思い切って、3人だけの芝居にした方がよかったかもしれない。あてがきの平等愛の結果だと類推する。あ、でもね、二役やった彼女、決して力がないとは思いません。全国行ったら、きっとあの子がジャージの彼女の役をやるんだろうなと思ってますよ。
  (3)湘南高校定時制
  次に湘南定時のお芝居。恐らく3本の中では一番「本がよい」芝居だと思う。神奈川もそろそろ「創作脚本賞」をつくってもいいんじゃないですか?現実世界と漫画世界を巧みに混在させ、その二重構造の中で弱虫の主人公の成長を描くという、実におもしろい展開で魅せてくれた。それに男の子二人の物言いのすばらしさたるや驚きです。慶応義塾の癌と戦う主人公君の物言いもすばらしかったけど、この二人は訓練以前にすごい素質のある役者さんだと思った。声をはらずともつぶやくだけで、こちらにずんと伝わってくる。あんな台詞まわし、うちの部員にもやってもらいたいものだねえ。とまあ愚痴っても仕方がない。さて、問題点はラストに尽きる。問題解決がなぜ「花」なのか。確かにに花束は人の心をも変える魔力を持ってるのかもしれない。だとしても、結論の出し方が唐突すぎる。やはり伏線があり、必然があり、観客を納得させられるだけのパワーが欲しい。ラストに巨大な花の絵を登場させるための「花束」であったような気がしてならない。また、ラストの花の絵をどうしても登場させたいなら、きっかけは弱虫の主人公君が花束を机に置いていく場面だと思う。あそこまで幕切れに近づけると、絵が「これみせよがし」の効果になってしまい、「どうや〜!この絵で幕切れじゃ〜!」といったイメージになってしまう。さらに照明ミスらしいが、幕が降りてからホリをグリーンにゆっくり染めていったので、さらに絵がみせよがしになってしまったと思う。法政二高の勢いがなかったら、間違いなく関東に行ける芝居だったとおもう。
【その他全般的な批評】 
  全般的にまた気がついたことなどに触れていこう。まず各校ともなぜにあんなに装置に手を抜くのか、と思う。確かに装置はでかけりゃいいというものでないことはわかってる。しかし、抽象舞台なら抽象舞台で、お決まりの白布や白箱、山台の積み上げで終わらして欲しくない。素材を色々工夫したり、美術としての工夫があって欲しいと思った。悪いが強豪千葉県ではありえない。舞台美術は芝居の柱になっている。すばらしい舞台美術の上で演技を磨くというのが、当然のスタート地点になっている。千葉では舞台美術賞をもらえることが大変栄誉なことと聞いている。神奈川にも舞台美術賞を設けて、出場校の意識を喚起させてもいいのではないかと考える。では出場順に少しだけ。
  No.1小田原・小田原城内合同はテーマや演出がとてもいいが、物言いについて基本を学ぶべきだろう。私自身が長い間西湘地区にいたこともあり(湯河原高校に15年)、正直に言えば、そういうことになると思う。演劇講習会などをもっと充実させて、役者としての勉強の機会を作って欲しいと思う。No.2の愛川高校。「芝居にこだわりを持つ」ことについては、全高校演劇部員は見習うべきだと思う。まじめにすごい。ムービングライト、巨大書割(3m×9m)2枚、電飾、大漁旗、そして一人芝居。裏話を伝えたいが、ご本人達の許可を得ていないので、今回は黙秘。芝居にこだわりがなくなったらおしまいである。ん〜でもまあ自主公演でやるべきとも思うが。No,
 横浜女学院はやはり芝居をわかってる方が裏にいることがわかる舞台だった。小気味よい工夫を凝らした演出効果は本当にすばらしい。身体表現で魅せる舞台もすばらしい。しかし、今回の難点は「台詞」の悪さだ。詩的朗読劇と言いながら、やはり朗読のハートがわかっていない。朗読というジャンルはまじめに難しいんだよ。一度アンデパンダン(コンクール)全国優勝の放送部の朗読を聞いてみるといいです。もうもうそりゃそりゃ生半可ではないのだ。No,5慶応藤沢はやはり物言いのよさがポイントだと思う。あの荒くれ看護婦もすごかったけどね。あとは吊り布で空間を区切っていたが、結局登場場所も舞台袖奥yという決まった2ケ所しかなかったし、どんな空間設定にしてもよいのだから、やはり色々工夫があってもよかったかもしれない。No,7神奈川総合。小学校公演を重ねてきたとのことで、子供向け芝居としては完成度の高い内容だったと思う。舞台転換を兼ねた狂言まわしのカエルたちのキャラクターの使い方などは、芝居にアクセントを与え、飽きさせない工夫が凝らされていると思った。しかし、やはり高校演劇発表会という土俵ではやはり限界があったか。No8岸根高校は友情と恋愛問題を自分達の等身大の視線で素直にとらえた、高感度高いお芝居だった。ただ、未来が見えてしまう占い師の存在が、現実味を奪ってしまい、せっかく自分達の日常に密着した題材なのに、観客がフィクションの世界にとどまざるを得なかったのが残念だった。No.9横須賀大津高校はそれぞれのキャラクターを出す努力が真摯にこちらに伝わる、高校演劇の王道を進もうとする姿勢の強いお芝居だった。神の声役の彼は結構すごいインパクトを与えていて、登場したらおもしろいなとまじめに思った。
 【総評】
  いつも思う事なのだが、コンクールという「審査が伴う演劇」は正直言って「技術」が問われる。高い技術を持ったお芝居が好成績を得られる。たまに素材だけで評価されることもあるが、やはり技術の高さが審査を左右する。ならば、どうすれば技術を高められるのだろう。答えはひとつしかない。「学ぶ姿勢」を持つか、持たないかである。顧問の先生に頼らず、どんどん学ばねばならない。こずかいの無駄使いをなくし、芝居1本観ることができれば、きっとそれなりの収穫があるはず。テレビの芸術劇場(NHK)をチェックするぐらいは当たり前。「そごう」の7F紀伊国屋書店の演劇コーナーでの立ち読みぐらいは誰でもできるはず。手前味噌で失礼。私が演劇と出会ったのは28歳(小生現在47歳)。観劇経験ゼロ。3年間、照明のカラーシートはセロハンだと思っていた。31歳で開眼し、全国大会、ブロック大会を生徒を連れて、メモ帳片手に観劇しまくり、全国大会出場の高校に練習方法を教えてもらうアンケートを生徒を使って郵送させ、芝居のイロハをゼロから学んだ。今じゃ偉そうなことを言っているが、学ぶ姿勢だけは絶対に忘れない。「なぜ?」と思ったら、会館やテレビ局、面識のない専門家にだって電話する。知的好奇心と言えば聞こえがいいが、かなり危ないストーカー親父の面持ちだ。でも「わからない」ことは気持ちが悪い。わかるまで探求する。こんなオッサンができるのだから、若い君達が偉い人に頭を下げて教えてもらうことぐらい、たやすいことだと思う。そんな執念を持てば、こだわりの舞台ができる。技術も向上する。「顧問が色々教えてくれていいね」と嘆く前に、自分達の執念のなさを恥じるべきだ。とことんやってこそ、高校3年間の意味がある。その執念は君達が将来演劇以外の分野でエキスパートになろうとしたときに、役に立つ。一流になるためのノウハウは同じだからだ。話を変えよう。
  高校演劇の間口の広さは本当にスゴイと思う。何をやってもOKなのだから。ただ、コンクールという足かせが、その間口をせばめていることも否めない。そのバランスをとりながら、高校演劇は発展を遂げてきたのだと思う。私自身もコンクール自体を否定するつもりはないし、審査員の捉え方ひとつで、結果が変わることも含んで、他人の評価を知ることはおもしろいものだと思う。負けて泣いてはいけない。自分達の何が正しくて、何が間違っていたのかは、最後は自分達が判断すればよいのだから。審査はきっかけにすぎない。そのきっかけを大事にして、次のステップに進めばよいのだ。3年生なら、その想いを後輩に託せばよいのだ。自らの進むべき道は別にあるはずだ。高校演劇をやってきたことをその先の自分の生きる道に生かせばよいのだ。だから、ナーバスになるな。負けたことで得られる人生の勲章は、目には見えないけど、あなたの生涯の財産になるはずだから。
  28日・29日・30日に千葉県大会審査員としてでかけてくる。神奈川大会のそれとどう違い、どんな発見が得られるのか、私自身が真剣勝負の勉強してこようと思う。


第38回湘南地区高校演劇発表会
〜大船高校演劇部の公演、審査について〜
『本番直前』
  11月2日(日)9:20〜10:20にODCは上演をした。時間は58分56秒。予定ベストタイムの58分30秒±15秒から16秒を越えてしまったが、何とか制限時間に収まる事が出来た。当日朝は6時30分に集合し、テンションを落とさないために、メイクと衣装着用を先に行い、通常の基礎練習をこなし、身体を温めた。
『本番』
  本番は前半のテンポの悪さを克服し、幕開きから最高のノリで進行した。歌と音とのバランスもリハと9月に同会館で行った湘南公演のデータから、理想的な内容であった。また、今回は本番トップの出番であったので、前夜仕込みが認められており、様々な点でゆとりのある仕込みが出来た。
 中盤からはお客様はストーリー展開にすっかりはまってくれて、勇介が亡くなるシーンでは会場のあちらこちらで、すすり泣く声が聞けるほど、成功だった。終盤の全員合唱、ラストの誕生パフォーマンスも練習の甲斐が認められる納得の出来栄えだった。恐らく8月のアートスフィアでの公演とは比べ物にならないものであった。
『審査』
  結果は最優秀賞を逃し、地区大会敗退という辛苦をなめることになった。講評では「まさか高校演劇でこれだけのレベルの高い芝居を観れるとは思わなかった」と持ち上げられ、しかし代表にはしてもらえなかった。いわく(大会終了後の反省会の席で)歌はよかったがダンスがプロのそれと比較にならなかったと酷評された。基礎が出来ていない高校生にミュージカルは難しい、とも。それでもチャレンジ精神を忘れないで欲しいと励まされた。う〜ん、何かが違う。
『言いたい放題』
  今回の審査員はミュージカルアクションコメディを信条とするSET(スーパーエキセントリックシアター/三宅祐二主宰)の劇団員の永田耕一さんと尾口礼子さんだった。まず地区事務局の怠慢(知らなかったのかもしれないが)に問題があった。私の知る限りで、同じ所属の講師を人選した大会は見たことがない。それを避けるのは常識で、審査に偏りが出るのを避けるためだ(芝居への趣向性が同じ方向を向いてしまうとか、二人の力関係で談合的審査がされてしまう可能性が出るなど)。もちろん顧問会議で承認を得たわけでなく、決定後の報告だけであった(事前にクレームをつける機会がなかった)。そんなことから、部員には「審査員は二人だが、一人と同じだ。エンターテイメントをめざす劇団だから、同じ方向性のうちらの芝居はハネラレル可能性が高い。絶賛されるか、うんと厳しく見られるかどっちかだから、結果にはあんまりナーバスになるな」と告げておいた。自分達の芝居の内容がどうだった云々以前に、大会が始まる前から運営に誤りがあったと言わざるを得ない。
  また、大会会場には「コメント掲示板」があり、模造紙に意見を書き込むことができるようになっている。県大会はもちろんのこと、各種大会では定時に書き込み内容をチェックして、いわゆる誹謗中傷や審査に不利益になる内容(審査員も見るので)については、削除するようにしている。今回、我々が自分達の掲示板を見たのは、最終公演の途中の時間帯であった。そこには1番目につく箇所に「前日から仕込むのはルール違反だ」と記されていた。「これはルール違反じゃないんだよ」と私がコメントを否定したのは夕刻17時を過ぎてからだった。これが一日中書かれていたのかと思うと残念でならなかった。反省会の席で審査員の永田さんに「もし発表順が1番でなかったら、仕込みきれましたか?」と言われたことが妙にひっかかったのは取り越し苦労なのだろうか。
  今回、ミュージカルをやるについて、歌・ダンスを専門的にやっていないことのリスクの大きさは予想していた(別ページに以前から記してある)。したがって後悔はない。この先ももっともっと私自身も芝居、舞台について学ぶことを忘れず、部員達に指導していこうと思う。「これでもか、これでもか」という舞台づくりを目指していきたい。


新羽高校「教言パートW」作・篠崎隆雄
妊婦芝居の本家本元、篠崎隆雄先生の「教言パートW」を観劇した。ODCの妊婦芝居とどう違うのか、全員で観劇した。狂言をモチーフに言葉遊びをおりまぜながら、篠崎先生らしい仕上がりになっていた。あの光陵全盛時代を懐かしく思い出した。ただ、失礼な言い方になるかもしれないが、少し作品に時代を感じたのは私だけだろうか(選曲を時代に合わせれば、多少解消が出来るかも)。それでもさすが、演出に学ぶところが多く、脚本に見合った演技がなされれば、すごい芝居になると思った。ODCも頑張らねば。


劇団鳥獣戯画「ジュヌビエーブ」 4月20日(日)           楽日 於アートスフィア
新入生参加の一発目の定例観劇は鳥獣戯画を選んだ。今回知念さんは、表だっては関わっていないようだ。しかし、相変わらずそのパワーあふれる石丸さんの演技は、とにかく唖然とさせられるばかりだ。また、今回は竹内久美子さん(船橋旭高出身)の初主演公演だったこともあり、楽しく観劇することができた。アンデルセン童話の「Snow Queen」を柱にして、アンデルセン童話のモチーフを巧みに組み入れ、若干中盤にテンポの悪さを感じつつも、後半しっかりとまとめあげ、感動のラストシーンへと観客をいざなってくれた。竹内さんは小柄ながらも、身体いっぱい使った大きな動きと内面をしっかりと伝える深みのある演技に、彼女の才能と並々ならぬ努力の結果を感じた。
 部員達も鳥獣戯画のメリハリのあるエンターティメント性に深く感銘を受けたようだった。意義深い観劇だった。


2002年度神奈川県大会 2002年11月17日(土)〜18日(日)
 神奈川県大会は例年と比べると、かなりハイレベルな大会だったようだ。芸術に得点をつけて、良し悪しを論じるはナンセンスだという意見も、今さらながらに根強くあるが、ODCでは、あえてそうした評価を楽しんでいる。運動部のそれと違い、評価基準すらあいまいな審査に、あまりナーバスにならないようにしている。ただ言えることは、ある一定のレベルにまで芝居を引き上げるのは、各校の努力で出来ることである。人事を尽くして天命を待とうというのが、私たちの目標でもある。
  さて、 ODC一押しはやはり法政二校のお芝居だった。確かプロの舞台では何度も上演されている作品であるし、映画にもなっている。しかし、その高校生らしからぬ完成度の高さには、正直驚かされた。北関東大会向きのオーソドックスながらも珠玉の仕上がりだったと思う。
  今回の講師の方々の評価基準には、「完成度の高さ」より「今後の可能性」というのがあった。そうした方向の中では法政二校は玉砕せざるを得なかったと思う。とても残念だった。
  今や全国大会常連校になってしまった麻布大渕野辺高校は、どうしても「漠」の登場が衝撃的だったこともり、比較は不粋というものだろうが、「アルプス」以降の作品に物足りなさを感じてしまうなどと言ったら、怒られてしまうだろうか。しかし、奇想天外な発想とダンスを中心にした盛り上げ方のうまさには渕野辺高校の「勢い」を感じたしだいである。  


船橋高校演劇発表会 2003年1月5日(日) 船橋市文化会館
 今年は3校合同公演になったようだが(それにしても文化会館の主催事業になっているのには驚かされた)、千葉県大会で1位だった薬園台と3位だった船橋旭が上演するというので、皆で出かけた。年末、年始明けの公演はキツいものだが、結果としてやはり相当キツかったようだ。両校とも台詞と身体のきれが本来のものでなかったように感じた。
  薬園台のお芝居は相変わらずツボを心得た「笑い」を駆使しながら、テーマである「退学」について、まじめに取り組んでいた。しかし、芝居の構造として、もともとは二人芝居でできる内容を無理に(?)大人数のものにした感が否めなかった。生徒と教師の対決が大人数にすることで、達成できたとは思えなかった。「国語算数理科社会」以来の薬園台ファンであるが、今回は「テーマ」性が強調されすぎて、大げさな言い方をするならば、テーマが一人歩きしてしまったようにも感じた。
  旭のお芝居は正直言って「難しかった」というのが、全員一致の感想だった。考えながら芝居を見ているところがあって、感性が突き動かされる前に、芝居が終わってしまった。芝居後、幕間討論会を持ったが、矢のような質問攻めだったが、恐らく会場の「???」が素直に出た結果だと思う。 さて、論評するならば、最初、「じゃがいもかあさん」が始まったのかと思ったぐらい、演出が酷似していたのは残念だった。また、劇中劇スタイルも定番であるが、今回の「テレビ用に再現して見せる」というスチュエーションにも無理があったように思う。なかなか芝居に入っていけなかった。
  ただ、日常ではなかなか感じられない国際問題に焦点を絞ったのは、新境地の開拓だったと思う。


北関東大会 2003年1月18日(土)〜19日(日)
桐生市文化会館
 ●今年の北関東大会はバラエティに富んだ作品が多かった。改めて高校演劇の間口の広さを実感させられることに。よく高校演劇では「テーマ性」について論じられるケースがある。芝居に何らかのメッセージは必要だろうが、テーマ、テーマとテーマを大上段に構える必要があるのかどうか…云々と。一方、楽しいだけの芝居は、バラエティショウと同じだなどといった考えもわからぬではない。表現スタイルについても同様で、たとえば「笑いのスタイル」で言えば、「芝居の笑いとコントの笑いは別もの」を貫こうとしている芝居もあれば、「笑わせたが勝ち」といったものも多い。そうした多様な表現方法において、何が正しくて、何が間違っているというのはないだろう。抜群に歌がうまい芝居があって、その歌が芝居をぐいぐい引っ張っていたとしても、何ら問題はないだろう。ようするに「芝居にタブーは存在しない」というのが高校演劇の間口の広さであり、その方向性だとも言える。してみれば、困るのは「審査」である。審査員の方々はご自分の芝居へのポリシーのもとに、結果を出さざるを得ない。言ってみれば、賛否両論の評価を受けること前提に、結果を出すしかないのである。だから、全国に行けなかった出場校の皆さん、ナーバスになるのはよしましょう。ODCも県大会3位という苦渋をなめたわけだが、「ときの運」と割り切っている。ときの運を勝ち得て、関東に駒を進められただけでも、皆さんは幸せ者!と思います。
  ●作品コメントです。個人的に気に入った作品は伊勢崎工業高校の「生きててやるんだ ありがたく思え」だった。前向きにいきいきと生きようとする老人たちの姿と、その裏側に抱える孤独な姿のコントラストが見事に描かれていた。仲間が一人また一人と亡くなっていく。そして痴呆に見舞われた仲間を死なせていく。「それは殺人だ」というひと言では片付けられない老人たちの複雑な人生模様。老人たちは明るく振舞いながらも、ひとつの「覚悟」をもって生きている。だから仲間が死んでも動揺はしない。ともすると身近にありすぎて見えなくなっている親子の絆。どうして孤独な老人が増えていくのだろうと素朴に考えさせられるそのメッセージは、決して押し付けでなく我々の胸を突いた。珠玉のできばえだったと思う。ただ、構成として、前半の「笑い」の部分に時間を費やしすぎていて、残り15分の展開があまりに早く、ご都合主義で、説得力を欠いた。少なくとも後半部は30分ぐらいに膨らませてつくるべきだった。キャラがいいので、ついつい前半部に力が入るのはわかるが、やはり殺人を犯さざるを得なかった彼等の心の扉をぐっとこじあけて見せてくれれば、もう観客は釘づけだったろうと思う。また、夜中に電話がかかってきて、老人が公演に大集合するシーンは、衣装を何とかすべきだったと思う。早がえは可能だったと思う。こうした完成度の高い芝居に出会えて嬉しかった。
  ●さて、かの秩父農工を負かして優秀の美を飾った筑波大付属坂戸高校の芝居とは、いったいどんなものなのだろうと興味深々で観た。「鰤のススメ(仮)」は出世魚の鰤に父親が変わっていく姿を重ね合わせてつくった芝居だった(でいいんですよね)。南関東大会で薬園台高校がやった「お父さん養成講座」の不条理版といったかたちだった(妙なたとえですみません)。笑いの中にピリリときいたペーソスありで、なかなかやるじゃねえかと唸らされた。しかし、今ひとつ芝居に入っていけなかったのはなぜだろうと考えていたのだが、非現実的な芝居でも入っていける芝居はある。それは非現実を非現実たらしめるストーリー展開の妙味があるかないかではないかと思う。ストーリーの先が読めてしまったことが、一因のひとつか。どんでん返しがあってもよかったと思う(勝手な評です)。
  ●初日の共愛学園の「七人の部長」について書く。荒井先生が顧問でなくなっていて、まずびっくり。それでも関東に来る部員の皆さんの努力にびっくり。作品2年前の全国優勝した作品なわけだが、本家がある作品はなかなかやりにくいものだ。比較されるからだ。それでもしっかりとした演技で、きちんとキャラクターを工夫しながら演じていて、好感が持てた。発声の基本もしっかりしていて、残響音のひどいホールだったが、非常に台詞が聞きやすかった。1日目終了時点ではなかなかいい線いってると思ったが、2日目終了時点で、やはりオリジナル作品の勢いに押された感があった。それにしても、最期にテーブルからヒラリと紙が落ちた仕掛けは、どうやってやったのでしょうか。
  ●ODCに一番人気の高かった作品は長野日本大学高校の「嗚呼、青春…。」だった。オープニングはかつて全国優勝した大妻女子高校の「GRADUATION」を彷彿とさせる演出だった。
 大会屈指の丁寧な装置と廊下を効果的に使った演出に感服した。誰しもが経験した修学旅行のスチュエーションを笑わせながら、ホロリとさせながら、好演した。そこまで達成させられれば、もしかすると日大高校の皆さんの目的は達成させられたのかもしれないが、もうひとつ何かが欲しい!というのが観客の率直な要望だったかもしれない。戦隊物が登場したあたりでは、ちょっと腕組みした人も多かったんじゃないかな、などとと思った。
  ●勝手なことばかり書きましたが、他意はないのでご容赦を。


秩父農工自主公演 2003年2月2日(日)
 池袋からレッドアロー号でひとっとび!西武秩父駅に降り立った。部員達は秩父山の雄大さに感激し、残雪に感激し、秩父駅の「おやき」にも感激していた。顧問の私はもう何回ここに足を運んだだろうか。それほどまでに農工の芝居は勉強になる。まだ顧問の若林先生は一度も私の芝居を観てくれていない。早く先生に観たいと思わせる芝居が創れるようにならねば。
  さて、相も変わらず驚かされるのは観客の多さである。昼の部にお邪魔したのだが、1000人のホールを見事に埋め尽くした。1回の公演でここまで集客する農工の底力だろう。秩父という独自の文化圏の中で、市民に受け入れられて、ここまで育ったのだろう。プログラムの広告の数からもそれが伺える。
   今回の作品は県大会2位で惜しくも関東大会には駒を進められなかった作品だ。そして作品を観て、その理由がはっきりした。これでは関東には行けるはずもない。つまり、あまりに高校生離れしているからだ。審査員のプロ魂を刺激してしまうと、コンクールでは勝てない。高校生らしい等身大の作品が好まれるからだ。それほどまでに洗練されていた。未だ若林作品を別役の亜流だと酷評する輩がいるが、28号時代と違い、研ぎ澄まされた感性のもとに書かれたであろう不条理作家の天才である(誉めすぎか)。


劇団相模舞台同盟超プレミアム公演  2003年3月16日(日) 小田原市中央公民館ホール

  かつては劇団新幹線の影響も否めない芝居づくりがなされていたが、今回の作品はそうした懸念を払拭して余りある作品に仕上がっていた。進化する劇団などといってしまうと失礼があるだろうか。もちろん時代殺陣で観客を圧倒するかたちは健在だが、それは劇中浮き上がることなく、すばらしいコンビネーションで作品に織り込まれ、一本の太い劇線が存在するところに、進化の一端がうかがえた。また、クライマックスへの自然な運びとその周辺に計算づくで配置されたエンターテイメント性は、これからのさらなる進化が予感できた。また今回はODCの卒業生が7名、出演した。それぞれの持ち味を引き出した演出の實方氏に敬服するばかりである。これからの相模舞台同盟の発展にエールを送りたいと思う。 



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