北関東大会
私の気になった4本について 1月26・27日 |
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岡谷南高校『オイディプス』
前回関東大会出場作品、カフカの『変身』には、宮本亜門の『変身』とかぶるところはあったものの、大いに驚かされた。そして、今回の『オイディプス』にも本当に驚かされた。演出の勝利だろう。役者が腕を磨けば、すごい芝居になるに違いない。
前橋南高校『姨捨DAWN』
まじめに幕開きから16分間、驚いた。無言劇だったからだ。その勇気をさらに発展させるならば、最後までそれを貫き通したならば、きっと全国に行けたに違いない。
宇都宮女子高校『自転車置き場に午後6時』
日常の切り取りの中に日常のままに芝居を魅せてゆく。どこにでもある空間ゆえ、観客も同感してゆく。そこに誰しもが自分の日常の様々な想いをに重ねてゆく。アプローチの仕方が珠玉だ。
筑波大学附属坂戸高校『正伝・鰡(ぼら)の涙』
いつもの不条理から、大きなテーマに迫ってゆく手法は、坂戸ワールド全開だった。しかし、今回は色々な点で先が見えすぎてしまった。「え?なに?」という終わり方を期待してしまったのは私だけだろうか。
長野県から全国に行ったのは、恐らく13年ぶり?だと思う。久々であるがゆえに期待も大きい。役者がまだ未成熟なだけに(失礼)、8月までに力をつけてくることは歴然。きっといい舞台にしてくれると思っている。
今年の北関東は秩父農工や作新学院といった、常連強豪校が少なかった。南関東も同様である。南の都立東などは3年連続出場の末に勝ち取った偉業だったと思うが、本校(大船高校)と岡谷南高校は新顔に近い。だからこそ、岡谷南には頑張ってもらいたい(うちもそうなのだが)。常連強豪校ではないぞ!という気概をもって頑張ろうじゃないか(自分達を励ましつつ)。 |
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音楽座ミュージカル『メトロに乗って』
2007、12、30池袋芸術劇場
軽部みち子 : 秋本 みな子
お時 : 井田 安寿
貞子 : 野田 久美子
節子 : 浜崎 真美
おケイ : 野口 綾乃
トラ : 清田 和美
闇市の女ほか : 鈴木 智美 (客演)
闇市の女ほか : 大川 麻里江
闇市の女ほか : 兼崎 ひろみ
闇市の女ほか : 富永 友紀
闇市の女ほか : 堀川 亜矢
闇市の女ほか : 村田 麻衣
闇市の女ほか : 渡邊 りせ
闇市の女ほか : 伊沢 絵里子
闇市の女ほか : 永登 春香
闇市の女ほか : 奥津 菜々子
闇市の女ほか : 冨永 波奈
小沼真次 : 広田 勇二
アムール : 吉田 朋弘
野平 : 勝部 演之 (客演)
岡村 : 小林 アトム (客演)
予科練 : 渡辺 修也
ハチ公 : 安中 淳也
村松 : 佐藤 伸行
亀吉 : 山合 大輔
小沼昭一 : 関川 慶一
小沼圭三 : 藤田 将範
バーテンダー : 新木 啓介
老人 : 五十嵐 進
闇市の男ほか : 萩原 弘雄
闇市の男ほか : 藤原 岳 (客演)
闇市の男ほか : 黛 一亮
佐吉少年 : 柴崎 一輝 (客演) |
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2000年の初演から、音楽座復活の時を経て、再演された。浅田次郎原作『メトロに乗って』をミュージカル化したものだ。初演は急遽集められた俳優で構成されたためか、どうしても音楽座になじまない、言うなれば音楽座にあって、音楽座ではない作品だったように感じた。しかし、今作はすっかりなじみになった役者達での再演、特にアムール役の吉田朋弘はじめ、多くの音楽座俳優が結集した。そういう意味で、身近に感じながら観劇することが出来た。
音楽座は『アイラブ坊ちゃん』、『HOME』など、いわゆる「時代」を描いてきた。この作品はそれにさらに「タイムスリップ」というSF仕立ての内容が盛り込まれた、浅田ならではの色づけがなされている。
『星の王子様』のような華やかさはいが、時代と人とのつながりを見事に描いた音楽座ならではのリニューアル作品といえる。
次回はいよいよ新作が登場だ。まさに復活音楽座の真価がいよいよ問われる。 |
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studio salt 第8回公演
「職員会議」
2007年11月15日(木)〜25日(日)
相鉄本多劇場提携公演
神奈川県文化芸術団体事業助成事業
演劇創造プロジェクト神奈川特別提携公演
●作・演出 椎名泉水
●キャスト
麻生 0児
高野 ユウジ
東 享司
木下 智巳
小川 雅功(劇団川崎演劇塾)
桑原 なお(タイムリーオフィス)
環 ゆら(マシュマロ・ウエーブ)
長 慶子
平沼 寧(オフィスプロジェクトM)
丸尾 聡(オフィスプロジェクトM)
両角 葉
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| 地区大会でお世話になった丸尾聡さんが出演されるということで、相鉄本多にスタジオソルトの『職員会議』を部員達と観劇にでかけた。椎名さんには色々お世話になっていたが、本公演は初めてだった。また、私自身が教員ということもあり、どんな職員会議が繰り広げられるのか楽しみだった。確かに本物の職員会議とは様相がかなり違ってはいたが、そこがまた芝居のよさでもある。リアリティがすべてではないからだ。今回はやはり、おかま体育教師役の丸尾さんの独壇場と言ってしまったら、他の役者さんに怒られてしまうが、それほど突き抜けていた。やはりこの人は作家でありながら、ただ者ではないようだ。爆笑爆笑で話は進み、体育教師ながら、今ひとつ切れの悪いダンス(ねらい?)など、本当に楽しめた。まったく教師になる気のない教育実習生が、最後に「教師も悪くないかな」という一言で、締めくくられる。椎名さんの気持ちがほのかに伝わる、素敵なお芝居だった。 |
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『春でもないのに』ザ・スズナリ
2007、11、8(金)
作・演 出・振付
知念正文
【出演】
寺門一憲 ちねんまさふみ 才勝誠司
石丸有里子 樋口春香 竹内くみこ
石出 知 ユニコ 藤森太介
大沼美和子 魚住如心子 佐藤耕一郎
武藤亜実 いなせみつお 川島雅子
島村 勝 長沢亜美 山下若菜 清水祐佳 |
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竹内くみこさんの紹介で、部員全員でスズナリにでかけた。時間に遅れてしまい、全体の開演時間を遅らせてしまうという、暴挙。ああ、ゴメンナサイ!
今回の芝居はいわゆる「音楽劇」といってもいい。私のようなオジサンにとっては、たまらないほど懐かしいフォークソングが、これでもかと登場する。実はストーリーはありきたり(失礼)な感は否めないが、生演奏のフォークソングは絶品。この芝居の仕掛けは、観客の青春時代と、リアルタイムに進行している芝居とがクロスオーバーする点にある。もちろん、知念さんは狙ってこのお芝居を創られたと思う。しっかり私もハマリ、わが青春時代を取り戻したのである。
比較をすると失礼なのだが、『MIDNIGHT RADIO〜青春歌年鑑80〜』という作品を昨年度、前任校の湯河原高校が廃校になるのを契機に書き下ろしてあげた。幸いに関東大会に駒を進めた(ちなみに今年は琴平高校が四国大会に駒を進めた)。その作品とつくりはいっしょであった。この作品は80年のJPOPがこれでもかと登場する。なんと60分のうち、14曲登場させた。芝居のストーリーよりも、曲の懐かしさが先行してしまうのだ。審査員が40代以上であることを見越しての執筆であった(ナンテやつだ!)。
しかし、これも芝居づくりの方法だと私は確信している。音楽劇とはそういうものだ。まもなく段階の世代が時間をもてあまし(?)、芸術分野が活性化すると思っている。なにせ、親子3世代でロックを聞く時代がやってくるのだよ。今や「カバー曲」などと言ってはいるが、ようするに焼き直しである。それで若い人達が感動すればOKではないか。よいものは世代、時代を超えて、よいのである。今回のこの「春でもないのに」について、うちの部員に聞いたところ、知らない曲もたくさんあったが、最高でした!という感想。さもありなんなのである。
楽しかったです!知念さん! |
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音楽座『アイ・ラブ・坊っちゃん』
東京芸術劇場
2007・6・9 マチネ |
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部員全員と希望した保護者の総勢53名で、芸劇で音楽座ミュージカルを観劇した。役者のテンションも考えて、DVD撮影日をねらった。実際WOWWOW(ワウワウ)も収録に来ていたようだ。
この作品を10年前の旧作の最高傑作と思っていた私は、相当入れ込んで観劇した。幕があがり、昔と変わらぬ舞台。感無量。
今回、漱石に近藤正臣でなく、松橋登を再起用したのは、音楽座ファンとしては実に納得。近藤さんの事情があったのかもしれないが(お若そうで、結構ご高齢なんですよね)。松橋さんの演技は例えるなら、まさに、いぶし銀の輝き。絶対的な存在感と役の深さ、台詞の重み…どれをとっても彼なくしてはこの作品は成立しないといっていいだろう。それは今も10年前も同じであった。
新しい演出「ネコ」。気がつくと漱石の部屋に転がっていたり、街中を闊歩していたりする。当然漱石の『猫』なのだが、初めは「着ぐるみ」でもあるし、邪魔になるかな?とも思ったが、決してそうではなかった。事態を冷静に見つめる第三者視線として存在していたばかりでなく、料理に例えるなら、ハンバーガーのピクルスみたいなもので(あまりよい例えではなかな?)、芝居に遊び心のスパイスを加えてくれた、そんな存在だった。
かつて、作品の構造がブロードウェイの某なにがしの作品の物真似だなどと、酷評していた評論家もいたが、そんなことはどうでもいい。物真似とはしょせん物真似であり、音楽座の芝居として定着できている以上、これは音楽座の作品である。そんな前置きをしながら、何度観ても珠玉だと感じるのは、漱石のトラウマや心の底を表現している「水の底」シーンだ。もちろん、漱石が鏡子に日頃のお礼を言うシーンや、坊ちゃん先生に生徒達が辞めるなと歌い上げるシーンなど、涙ぐんでしまうところも多々あるのだが、ここはミュージカルの域を越えている。「ミュージカルは芝居じゃない」と暴言を吐くストレートプレイ野郎に見せてやりたい一場面である。
辛口コメントを少し。今日私達が観た舞台だが、少しお疲れ気味だったのかな?と思ったのは私だけだろうか。逆に気負い過ぎだったのか?状況はよくわからないが、吉田さん始め、からまわりしている役者が多かったのは事実だと思う。舞台全体がテンポを崩していたように感じた。DVDになるのはソワレかしら?
また、役者の力量という点なのだが、どうしても前作があるだけに、比較してごめんなさいなのだが、歌もダンスも上手だし、存在感も凄いのだが、正岡子規・山嵐を演じた安中さんは(本当に偉そうな言い方でごめんなさい)もう少し演技面で伸びて欲しいと感じた。ノブさんが上手すぎるのかもしれないが、たとえば今回の(9kg減量の?!)野だいこ役も、演技力が抜きん出ていて、他とのバランスが合わないように見えた。上手過ぎる。音楽座全体の「若さ」はミュージカルという一点では、本当にエネルギッシュでスケールを大きくしているのだが、男性陣の頑張りがまだまだ足りないように感じた。吉田さん始め、ビジュアル的に申し分ない分、演技力が増せば、本当に凄いことになると思うからだ。
細かい演出に一言。絶対違うだろうという演出があった。赤シャツの弟が一枚噛んで、生徒達のケンカの仲裁に、坊ちゃんと山嵐が入る部分で(アクションシーンです)、二人が最後の方で、やられてしまった自校の生徒を助けるために(?)他校の生徒をやっつけてしまうのは、二人の正義感に抵触するのではないか?ということである(結構何人もやっつけていたよ)。あくまで、二人は「仲裁」の立場を貫くべきだと思った。アクションシーンが少し長すぎたのではないか。だから、花茶屋のシーンで赤シャツと野だいこに成敗するシーンでも、坊ちゃんと山嵐が二人を殴ろうとすることが、何やら当然の流れになっていて、あそこは「思い余って強肩をふりかざした二人を漱石が止める」という演出が必要なのだではないか。つまり、坊ちゃんと山嵐の「思い余って」の演技が抜け落ちているのだ。このままでは単なる暴力教師になりかねない。正義を貫く者が暴力肯定ではダメだと思った。
ついでにあの花茶屋シーンで、せっかく山嵐達が何日も見張っていたのだから、赤シャツと野太鼓がもっと決定的な戯言(ざれごと)をしていたように演出できなかったか?という点も感じた。それぞれに芸鼓さんがひっついていて、濡れ場を引きずるような会話をしながら登場させる、など。少しわかりにくい場面だと感じた。
あと、照明は?前回は間違いなく「あかりや」さんの仕事だと思うのだが、今回も同じですか?プランナーの方の嗜好性なのかもしれないのだが(作品の種類が種類なので、逆に押さえたのかな?)、もっと色々出来たように感じた。いささか古めかしいな照明の仕込みで(失礼)、一例だが、FR・CLに30#代をズバッと使っているのは、あまりにストレート過ぎて、少しびっくりした。深みがなくなると思った。
全く偉そうなことばかり書いたが、いや、これはあくまで部分的なお話しで、総体的には凄すぎるのであって、のびしろの感じない劇団は応援したくないと思うのは、恐らく私だけではないはず。ともあれ、感動しまくったことには間違いないわけで、なにしろ今は新作が待たれる。やはり宮沢賢治で行くのか?シュリーマンなんかもおもしろいぞ、とか。色々言ってますが、心待ちしています。
明日は岡部耕大プロデュース作品を紀伊国屋に全員で観劇に行く。私の曲、23曲が使われる。どんな評価を受けることやら。楽しみです。
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北関東大会(新潟大会)速報
賞に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。
最優秀賞 栃木県立栃木高校(全国大会出場)
『塩沢町町長選挙』山形県立山形南高校映画演劇部・作
優秀賞(1席)新潟県立三条東高校
『例えばジャニスのソウルフルナンバー』大島昭彦・作
(全国フェスティバル出場/劇団四季劇場)
優秀賞 作新学院高校
『ナユタ』大垣ヤスシ・作
優秀賞 新潟県立三条東高校
『例えばジャニスのソウルフルナンバー』大島昭彦・作
優秀賞 新島学園高校(群馬県)
『桜井家の掟』阿部 順・作
創作脚本賞 『ナユタ』大垣ヤスシ・作 |
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最初に一言。北関東大会はレベルが高い!である。決して南関東がレベルが低いと言っているのではないが、毎年毎年とにかく激戦である。恐らく講師の先生は困り果てたのではないかと思う(生徒16名を引率してたので、帰宅時間もあり、審査員の講評は一切聞けませんでした)。
さて、帰りの新幹線内でメールで最優秀賞が「栃木高校」と知らされた部員達は、ほぼ全員が迷惑をかえりみず、大歓声をあげた。それは「してやったり」だったり、「え?ナユタじゃないの?」だったり、「今回の審査員はこういう判断をするんだ」などなど理由は様々だった。私個人としては、何となく渾身の一作『じゃがいもかあさん』を地区大会で落とされ、『パス&キャッチ』を県大会で落とされた「安田夏望先生」への邪心が働き(失礼)、予定調和すぎたとはいえ、『ナユタ』の完成度が評価されなかったことに、高校演劇コンクールの難しさを感じたしだい。いや、栃木高校の最優秀賞受賞に物申しているのではない。むしろあの痛快ナンセンスは私の趣向性からすれば、大好きな芝居なのだ。ただ、どうも作新高校の芝居づくりの方法に自分を重ねていた。顧問の大垣先生の勉強ぶりは正直言って一顧問として、頭が下がる。どうすれば、あそこまで隙をなくせるのか。私も素人なりに隙をなくす時間を費やして、ここまでやってきた。しかし、審査員の評価は隙のない顧問の頑張りが見え隠れする芝居ではなく、むしろ隙があっても、高校生らしさ(それは時には稚拙でもあり、時には斬新でもあり、時には高校生の等身大の作品であり、様々なのだが)が重んじられたとき、顧問自らの精進努力がむしろ逆効果に働く、そんな憂いを感じた心持ちがしたのも事実であった。「だからコンクールはおもしろいのさ」ということも言えるのだろうが、作新の費やした時間や労力、情熱を想像するに、恐らく大垣先生のショックは計り知れない気がしたりもするのだ。もし、この方向で審査がなされたのであれば、どうして筑波大学附属坂戸高校の『濃縮還元』は入賞できなかったのかということになる。高校生の創り出したあの発想とエネルギーはしかるべき評価を得るべきだと思った。審査に一貫性を求めるのは無理だと思うが、何を追究して芝居づくりをすべきなのか、戸惑っている自分がいる。埼玉の秩父農工科学高校の若林先生の言葉を借りれば、高校演劇だからといって、特殊ジャンルなのではなく、プロだろうが、アマだろうが、「芸術作品」を目指すのが芝居づくりの原点なのではないか、ということなのだと私は思う。あ、いや、しつこいようだが、栃木高校の芝居は大好きですよ。まじめに。
さて、「勝手に劇評させとくれ」というコーナーゆえ、勝手なことを書きます。私が個人的に評価している作品について、コメントを深めたいと思う。4本あって、作新学院高校の『ナユタ』、筑波大学附属坂戸高校の『濃縮還元』、栃木県立栃木高校の『塩沢町町長選挙』、長野清泉女学院高校の『ヘレン・ケラーをめぐって』である。
●作新学院高校『ナユタ』
この作品は脚本、スタッフワークとも大変クオリティが高く、高校演劇という枠をとっぱらって、芸術性の高い芝居だと思った。役者も個性的で、大いに笑わせて、最後にホロリとさせるあたりは、作者の大垣ワールドをいかんなく発揮していたと思う。ただ、冒頭にも書いたが、「予定調和」の作品という点は否めなく、なるほどの人的配置がなされており、親戚のおばさんの登場はその象徴的なものだったといえる。ただ、我々日本人は決して予定調和の作品は嫌いでなく、水戸黄門然り、寅さん然り、むしろ日本人の文化とさえ言えるかもしれない。したがって、ドラマ性やら、意外性、新しい発見などを求められたとしたら、物足りない作品ということになるのかもしれない。
●筑波大学附属坂戸高校『濃縮還元』
前回の『絶対矛盾的緑望論序説』同様、テーマ性のはっきりした不条理劇で、ああ頭の良い生徒達の作品だなあと思わせる、発想とセンスの高さを感じさせる作品だった。作品はいわゆるオムニバス形式をとっており、それぞれに狂気の現代社会をテーマに展開される。最後にその狂気は「核」へとつながり、現代人への「警告」というかたちで締めくくる。構成もよくできていて、高校生離れした仕上がりだったと思う。なぜ入賞できなかったのか。
●栃木県立栃木高校『塩田町町長選挙』
こうしたナンセンスをどうどうと舞台にしてしまうエネルギーが勝因だったと思う。過疎が進み、60人足らずの町民になってしまった塩田町の町長が倒れる。もともと塩田町では調味料が「塩」しかなく、子ども達には、醤油やソースの存在を大人たちが隠し続けているという設定で芝居が始まる。やがて塩だけでは生き残れないと判断した町民は、醤油派とソース派の候補者を擁立し、町をあげての大選挙戦へと発展する。考えてみれば、こんなナンセンスな芝居はそうあるものではない。それを素舞台で男子校の肉体パワーで演じきった。「痛快」という言葉はぴったりの作品だったと思う。
●長野清泉女学院高校『ヘレン・ケラーをめぐって』
ラストシーンでは会場が涙に包まれた。こうした芝居があってもいい。女子校でヘレン・ケラーをやるのは難しい。父親初めとした男性陣を登場させられないからだ(女性が男装するのは極力避けたのだろう)。したがって、作品としてはおいしいとこ取りの感は否めなかったが、ラストの「水」のシーンへの持って行き方は秀逸だったと思う。実際の稽古については、(裏情報だが)サリバン先生とヘレンの格闘シーンは手足にプロテクターをつけて、まさにアザだらけで行ったという。そのリアリティのある場面から、観客は引き込まれていった。思わくば、ラストシーンはヘレンと母親、サリバン先生が抱き合って終わりにして欲しくなかった。母親とヘレンが抱き合う場面を数メートル離れた場所でサリバン先生が熱く見守る。そしてそれに気がついた母親がヘレンの背中をポンと押す。そしてサリバン先生はヘレンは熱く抱擁する…あ〜なんと感動的だ!(勝手に言ってなさい)
こうして新潟には気象庁の予想は全くはずれ、雪のゆの字もないままに、しかし充実と感動に浸りながら、新幹線は上越をあとにしたのだった。 |
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第45回神奈川県高等学校演劇大会
2006年11月18日(土)〜19日(日)
於県立青少年センターホール
最優秀賞
桐蔭学園高等学校
『それください』 高橋敦・作
麻布大渕野辺高等学校
『幕末ジャイアンツ』四大海・作/佐藤栄一潤色
県立湯河原高等学校
『MIDNIGHT RADIO 〜青春歌年鑑’80〜』 のまさとる・作 |
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今回も大会の舞台責任者をやっていた都合で、舞台袖からしか観劇できなかったので、正しく見ることができなかったことはお許しいただきたい。
今回の県大会の最優秀賞3校、及び次点の清泉女子高校は(まもなく公開されるので書きますが)同票で甲乙つけがたい状況になった。専門審査員の協議の結果、上記3校が関東大会出場となった。今回の南関東大会は神奈川大会ゆえ、1校分、枠が増え、3校となったしだい。
今回の票数が物語るように、ずば抜けた学校がなかったのが現状だ。ただ、レベルはこの4校以外の学校も含め、それなりにレベルの高い大会と言えた。むしろジャンルの違う3校が顔をそろえた感がある。したがって、関東大会ではどこの学校も、審査員の感性によって、上位入賞が可能であると感じた。
さて、まず桐蔭学園高校の『それください』は、生徒創作とは思えないほど、作品自体のクオリティが高く、さらに主役の演技力の高さは他校を圧倒した。創作脚本賞も受賞。当然の最優秀賞受賞とみた。
麻布大学附属渕野辺高校『幕末ジャイアンツ』は、群集劇としては、そのパワーの凄さは文句なかったと思う。審査員の先生は「暴力団のような芝居」と微妙な発言をされていたが、そんな感じである。ただ、元々2時間の芝居を1時間にまとめたこともあり、時間内に終わらせようということから、とにかく「慌てた芝居」であり、焦って台詞を言っていて、まったく「伝えよう」という意思が反映されないまま、駆け抜けてしまった。ともあれ、演技はさておき、舞台責任者として一言申したい。あの人数でなぜ大道具がないのか?顧問の佐藤先生の弁によれば、「芝居づくりで余裕がない」とおっしゃるが、かつての渕野辺はスタッフ面においても全国レベルだった。まあ、道具がないのはよしとして、あれだけのたくさんの平台を使いながら、どうして立て込みもバラシも、スタッフの6人だけなの?他の学校は全員でやってるよ(って、当たり前なんだけどね)。本番が終わったら、どうしてあの大人数はさっさと帰ってしまうの?人頼みでお芝居やっちゃダメだって。会館スタッフや生徒実行委員の人達がいなかったら、どうするの?厳しい言い方であるが、根本から考え直していただきたい。こんなことでは最優秀賞受賞を心から祝福できない。
湯河原高校『MIDNIGHT RADIO〜青春歌年鑑’80〜』は何ともコメントしづらい。なぜなら私が書き下ろした作品だからである。前任校の湯河原高校は統合により、最後のコンクール参加となる。したがって、「まかせろ!」などとほざきつつ、2人芝居を書いたのである。正直言って、「ラッキー」であった。どう考えても清泉女子の方が演技も含め、数段上である。
1980年12月31日に起きた、実話なのだが、深夜放送のDJの元に、いじめを苦に、自殺予告をしてきた少女が、全国のリスナーの協力とスタッフの激励により、無事確保される。まさに世の中、いじめによる自殺が社会問題化しており、全くそんなご時勢になることを予測せず書いた芝居だったのだが、ビッグウエーブに乗ってしまった。さらに1980年のヒット曲を14曲、惜しげもなくBGMに使用した。40代以降の皆さんは皆、曲の魔法にかかったはずなのだ。そんなわけで、批評はご勘弁。とにかくまだまだ全然、力不足である。この1ケ月が勝負でしょう。
清泉女子高校のお芝居は、とにかく昨年に続き、役者がたっしゃなのには驚かされる。等身大のお芝居のツボを見事に押さえていた。来年も同じパターンなのだろうか(青森中央高校のパターンと同じになっていくことには、若干反対。余計なお世話かな?)。あれだけ役者が達者なのに、今回は台本がよくなかった。性同一性障害、女性差別などをテーマにしているのだが、実に中途半端な締めくくりになっている。お芝居のツカミやテーマへの着想は、文句なしによいのだが、葛藤やらドラマ性が乏しく、自身達の叫びになっていない。まさに台本の弱さである。役者がいいだけに、まじめに惜しまれた。
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音楽座ミュージカル「リトルプリンス」
11月15日(水)
東京芸術劇場中ホール |
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●12月23日にグリーンホール相模大野で部員全員で観劇予定だが、一足先に味見にでかけた。当日券にもかかわらず、オケピット前(最前列)のドセンターで観劇できた(ラッキー)。
●個人的には、過去の音楽座作品の中で、「アイラブ坊ちゃん(92年版)」、「マドモアゼルモーツアルト(91年版)」の次に完成度の高いお芝居だと思っている。思い返せば、この91年〜93年にはスゴイ芝居創ってたんだね、音楽座は。
●かつて、「星の王子さま」がサン・デグジュペリの遺族会から正式上演許可をもらった前の海賊版?「リトルプリンス」と同名に復活したのは、やはり著作権がフリーになったことが影響かな?
●この「リトルプリンス」はたぶん音楽座としての初演は、15年前、町田のあの木造稽古場で研修生がピアノ一本で行った公演ではなかったかと思う。その時の台本が手元にあるのだが、作品の基本構造も、大事な台詞も変わっていない。恐らく台本の「直し」が最も少ない作品のひとつではないかと思う。原作がある作品なので、大きな変更がなかったのかもしれないが、やはり完成度の高さはピカ一だ。
●今回の作品のレベルの高さを保持していたのは、間違いなく王子役の野田久美子ときつね役の吉田朋弘だったと思う。もちろんへび、バラの花、黄色い花などの脇役にもスキがなく、ハイレベルな演技だったと思う。特に王子とキツネのシーンは圧巻で、吉田朋弘の汗だくの(笑)熱闘の舞台は大いに観客席を盛り上げた。繊細でそれでいてダイナミックな演技、そして歌唱力は、かつて飛行機乗りとキツネをWキャストで好演した畠中洋を超えるものだと感じた。伝える演技とはまさにああいう演技を言うのだと思った。野田久美子の王子は、あの土居裕子と比較されること自体が気の毒な話なのだが、決して見劣りするものではなかった。むしろ若さ溢れる新鮮さがとてもよかったと感じたのは私だけではないはずだ。実はTVのCMでの歌声は申し訳ないが、ご自身に何かあったの?と思えるほどヘタクソだったので、正直あきらめていたのだが、本番は全くの別人の歌だった。あとモーツアルト同様、芝居の要になっていたアンサンブルの皆さんの寸部違わぬ息の合った演技とダンスのレベルの高さは、芝居全体をさらに力強いものにしていたと感じた。その中でも清田和美のそれは、間違いなく次回の抜擢につながるアグレッシブな演技で、その力量の高さを感じた。その他、実業家のキャラクターは、かつての「キノコ」が好きだった。呑み助もコタツをしょった「カメ」が好きだった。ともあれ、皆好演だったことは言うに及ばず。音楽もオリジナル版に新曲を加え、古いファンも大満足だった。
●最後にこの舞台をエンターテイメントに仕上げたのが、カーテンコールだった。いつものしっとりとした余韻重視のものではなく、とことん見せる(魅せる)ことに重きをおいた。作品と合体したカーテンコールは結果的に大きな満足感を観客に提供した。こんなカーテンコールもたまには有りである。まさにブラボーな終演であった。
●早く部員達に観せたい作品である。 |
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劇団四ツ葉屋
「編集者 我孫子智志〜別れのワイン〜」
8月27日 於湘南台市民シアターリハ室
写真「アラカルト」に掲載 |
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四ツ葉屋さんの2回目の公演に部員全員でお邪魔した。今回はミステリー作品ということで、大いに期待して出かけた。作者兼演出の番茶君のコメントには、いかにもありがちな設定にしてしまった言い訳らしき?ものがあり、案の定の設定ではあったのだが(最後に崖っぷちで謎解きがなかったのが残念?)、そんなに卑下することはないと思った。確かに新しいスタイルがあれば、それはそれで衝撃的で良いのだが、日本人には「水戸黄門」や「寅さん」が棲んでいるから、何臆することはないと思う。水戸黄門を観る際に、日本人は40分間、黄門様が印籠を出すまで、じっと我慢をして待つのである。そしてお決まりの「ひかえひかえ!」で全視聴者はどっと安心し、スカッとするのである。今回の雪に閉ざされた別荘での密室殺人は、日本人のサスペンスへの原点である。いいじゃないの?それで、と思うのは私だけだろうか?お決まりこそ、日本人の感性に合うのである。悲劇のイタリア映画より、ハッピーエンドのアメリカ映画の方が人気があるのは、至極当然なのである。そして、この作品らしさ(番茶らしさ)とは、「母の愛」を登場させたことである。浪花節的設定と言ってしまえば、それまでだが、これもまた、日本人の感性にそぐった展開だったと思う。
そうした中で、いくつか意見を言うならば、キャラクターの設定が今ひとつ曖昧だったことが残念だった。特に主人公の我孫子智志のキャラクターが今ひとつはっきりしない。熱いのか、冷静でクールなのか、彼の裏側が見えてこない。たとえば、母の愛を最期に見せるなら、その伏線がもっと欲しく、それに我孫子が絡んでいたら、作品として、もっともっと深くなったような気がする。単なる謎解き芝居でなく、最後に見せた母の愛をもっと膨らませて見せたなら、番茶らしさが炸裂したように思った。我孫子の人間性が見えてこなかったところに、この芝居の弱さがあったと思う。だから、我孫子が最後に盲目の華原に熱くまくしたてる台詞が、何に向かって言っているのかがはっきりしなかった。今まで冷静沈着だった我孫子が、熱くなる理由がわからないのだ。
サスペンスの難しさは謎解きのからくりとは別に、登場人物の人間の部分をどう描くかだと思う。そして、観客は謎解きよりも、その一人一人の人間の生き様に心打たれると思うのだ。門宮の死が捨てごまにならない方法があったはずだし、華原の腹違いの子、宮垣の継母への気持ちなども、もっと描けたと思う。華原の秘書、芦沢の役どころも、もっと華原の人間性を引き出す役にできたと思う。何よりも、華原の師匠の秋月の立ち位置がよくわからない。彼が登場しなくても作品が成立してしまうところが、よくない。秋月を思い切って狂言まわしの役にしてしまうとか、彼の思い出の中の話にしてしまうとか、秋月の人間性と登場人物の人間性がもっと絡んでくると、おいおいどうなるんだこの芝居は?!というところまで、持っていけたように思う。
さて、今回驚かされたのは、役者の演技力の上達ぶりである。決して歯にころもをかぶせることなく、上手くなったと思う。下手な演技に余計な神経を使わせる劇団には、まじめに辟易とさせられるが、本当に安定した演技で、よかったと思う。
主役の我孫子は間違いなく、芝居を引っ張っていた。役者として「華」があり、主役としての素質は十分である。欲を言えば、感情表現を助ける、もっと細かい演技があればと感じた。特に今回のような小劇場では、大きな動きよりも、表情や細かい仕草まで、もっと丁寧に、作為的に(しかし自然に)演技した方がいいと思った。何しろかっこいいので、もっとナルシストになって、立ち姿や表情のつくり方など、研究するといいなと思った。
門宮はとにかく前回に比べ、飛躍的に演技力がついた。存在感のなさが課題だったと思うが、しっかり個性的な役者に育ったと思った。ただ、今回の役どころとして、好青年のイメージよりも、野心家としての秘めたぎらぎら感が出せれば、作品を横取りされた悔しさや無念さが、もっとこちらに伝わったと思う。「秘めた」という部分がキーワードではないだろうか。
宮垣は頑張って好演していた感が強かった。役者としては、まだまだこれからだとは思うが、ひたむきさが将来を明るくしていると思う。たとえば、門宮に想いを寄せる役なので、門宮の前ではもっと「女」になって欲しかった。華原との微妙な関係もまだ演じきれていなかった。また、血のつながっていない親子関係をもっと練りこんで欲しかった。
芹沢は実はとても難しい役どころだということに気づいていただろうか。芝居の進行役なのだ。かなめかなめにあなたの演技が絡んでくる。それはでしゃばってもいけないし、存在感をなくしてもいけない。芝居で一番難しい演技が「居る」という役である。そうした役で個性を発揮するのは、本当に難しいのだ。名脇役でなければ演じ切れない役なのだ。ぜひ次回には一皮むけた演技を期待したい。
華原は盲目の役であり、本当に難しかったと思う。そしてある意味主役である。そこも難しかったと思う。もし可能であったならば(本当はそうして欲しかったのだが)サングラスを撮って演技して欲しかった。目を見せないことは役柄的にありなのだが、あえて見せて盲目を演じて欲しかった(自分のつむじを見て演じると出来るんだよ)。目が見えないことが、サスペンスに様々な憶測を生み、効果的であるのだが、ハンディを背負って生きている自分と小説家として大成出来ない自分とを、どう重ねて演技するかが、今回の鍵だったと思う。そこから殺人に至るまでのプロセスや、心の有りようがもう少し演じられていればと感じた。最後に我孫子に正体を解き明かされた時に、どう自分を持っていくか、そこが勝負どころだと思った。
秋月はもう何も言うことはないよ。君の演技は完成されている。だからこそ芝居の中で、どんな役割を受け持つかが大事なのだ。もっともっと暴れてくれ!
一ノ瀬は何はともあれ、最後の演技がよかったねえ。実際に母でないと出来ないねえ。一観客としては、もっともっとあなたの母の演技を見たかったねえ。だからこそ、冒頭に書いたように、作品が「母の愛」に集約されていたら、さらに見せ場があったように思う。相変わらず気持ちの持って行き方が上手いよね。
あと、音響に物申す!である。BGMを使い過ぎ!もっと役者を信じようよ。役者の演技が音楽によって、殺されている。演技だけで、持っていけるだけ実力を役者さん達は持ってるよ。それも、同じ音源を二度使うのは、いけませんよ。最低限にしぼって、役者にもっと責任をかぶせてみたらいいんじゃないかな?
照明はさすがだね。一見何ともない照明だけど、言うなれば、「デリケートな照明」だと思った。微妙な心理状態を照明がしっかりサポートしていたよね。こういうさりげない中にプロの味わいがあるんだよね。素晴らしい!
舞台美術と制作は相変わらずこだわってるよね。このこだわりをぜひ次回は台本と演技に生かしてちょうだい!(舞台と制作はマジプロだよ)。
旗揚げから、次回は3ステ目。社会人劇団の真価が問われるのは、3回目からだと聞く。旗揚げ、2回目は勢いで出来るという。3回目こそが、勝負どころらしい。ぜひ、座長、番茶を中心に、頑張って欲しい。
好き勝手書いてごめんね。 |
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全国高等学校演劇大会in京都
於八幡市文化会館
8月3・4・5日
(夏書館HP掲載文を元に構成)
写真は「アラカルト」に掲載 |
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京都の夏は暑かった。とにかくとにかく暑かった。炎天下ではついに38℃を超え、朝から並ぶ入場者の長蛇の列は、まさに全国高等学校我慢大会の装いを呈していた。我らが大船高校演劇部員20名も、並ぶ。昼休みには全館入れ替えにため、再度外に出され、また並ぶ。翌日も並ぶ。翌々日も並ぶ。何やら京都までひたすら並びに来たような3日間だったが、その成果も大きかった。
今年のラインナップは、私の好きな群衆劇こそなかったが、言うなれば「演劇玉手箱」といった装いだった。最優秀賞には、ナント驚きの「一人芝居」、同志社高校(京都府代表)の『ひととせ』だった。欽ちゃんの全日本仮装大賞が「一人でやる」を奨励しているのとは、多少意味合いは違うと思うが、地方大会から一人で勝ち上がり、その頂点に立った足跡は、部員不足で悩んでいる多くの高校演劇部に希望と勇気を与えたと思う。さらに言うなれば、今年も東北代表として出場している青森県中央高校と同様、ブロック代表でなく、開催地特典である京都府代表としての最優秀賞受賞は立派としか言いようがない。
『ひととせ』は「関係づくり」の勝利である。演劇の基本は役者どうしの関係づくり、自分と自分の関係づくり、そして観客との関係づくりが出来るかどうかである。しかし一人芝居には「相手の役者」がいない。そこで大いに活躍したのが、広い意味での小道具である。一人芝居は独り言、モノローグに終始して、その力量のなさから失敗するケースがあるが、彼女はそれを小道具を利用し、相手にすることで、克服した。まさに工夫のなせる技である。決して器用でない物言いをキャラクターと関係づくりで、まさに芝居の原点を大事にしながら演じ切った、その成果と言えると思う。
さて、優秀校3校は関東ブロック代表埼玉県立秩父農工科学高校『サバス2』、関東ブロック代表、山梨県立甲府昭和高校『全校ワックス』、北海道ブロック代表、釧路北陽高校『ラスティングミュージック』であった。
秩父農工の『サバス2』は「自殺」がテーマである。かつて別役実作品で何度も全国出場を成し遂げたことを下敷きにして、『天才バカボンのパパなのだ』を演じた役者が自殺し、浄化されず、演劇部部室で呪縛霊として居残っているというシチュエーションで話は始まる。様々な芝居のからくりを盛り込み、笑いあり、感動ありで、展開させる。そして最後、集団自殺でぞっとさせる。見事にバカボンの集団自殺と重ねる。作者の若林先生の芝居は「あえてねらって芝居をわかりにくくしている」との批判も聞くが、私はそうは思わない。むしろ今回は芝居をわかりやすくしようとする意図がわかり、不満でさえある。大げさな言い方になるが、彼の作品は「芸術作品」である。彼の作品に「高校生らしい芝居だった」というのは誉め言葉にならない。今回もぬかりなく(?)舞台美術賞も取り、トータルに審査員のプロ魂をくすぐり、目覚めさせてしまった。実に生意気な高校生であり、作品だったに違いなく、それこそが秩父農工の真骨頂であったと思う。
甲府昭和の『全校ワックス』にはクライマックスがない。日常の切り取りなのである。それゆえ、そこに展開される様々なストーリーは、実にさりげなく、身近であり、観客を感銘させ、安心させる。非日常を芝居ならではのものとする考えから、一線を引き、日常を展開させることで、観客に安心感を与える、そんな作品であった。
釧路北陽の『ラスティングミュージック』は今どきの高校生がメールなどでつながっているのに対し、心と心がつながっていることを大切にしたいという、極めて素朴ではあるが、人と人との関係の原点をつく作品だった。良い意味で、「高校生の等身大の芝居」と言えた。舞台にセットの一部として置かれたグランドピアノには驚かされたが、それをうっとりさせるほど上手に弾きこなした役者さんには、もっと驚かされた。私も「猫ふんじゃった」の引き方を誰かに伝えたくなったね。
その他、上位4校には入賞できなかったが、創作脚本賞の関東ブロック代表、都立八王子東高校『学割だからいいのよ』は珠玉の生徒創作と言えた。恐らくはいくつものエチュードを構成させていったのだと推察したが、関東大会から人数を増やし、先生役がなくなってしまったのが、何とも残念だった。審査員特別賞の中国ブロック代表、島根県立三刀屋高校『三月記〜サンゲツキ〜』は演出もすばらしかったのだが、教師の自殺という衝撃的幕切れに、皆口がふさがらなくなった。作者で顧問の亀尾先生のことは、全く存じ上げないのだが、恐らく「亀尾ワールド」炸裂なのだろうと推察した。何やら作者独自の「死」への想いが強く感じられた。
京都の夏は暑かったが、舞台で繰り広げられた創作の熱と観客の熱は、やはりそれを上回るものだと思った。高校生の可能性は限りがない。しかし高校演劇に架ける教師達もまた夢を捨てていない。さあ、明日からまた始まるぞ。来年の夏に」向けて。
【とまあここまでは夏書館向けコメント】
実はの話をせねば、「勝手に劇評させとくれ」コーナーにならないでしょう。実は今回の全国大会には少々がっかりさせられた。もちろん、上記のコメントが嘘なのではない。「突き抜ける作品」がなかったというのが、本音で、いわゆる例年のような「衝撃」が少なかったということなのだ。むしろ北関東大会の方が、衝撃的だった。あの作品がこの全国大会に出ていたら?などと想像してしまうと、何とも残念な気持ちになってしまうのだ。一人芝居についても南関東大会で敗退してしまった、津田沼高校の一人芝居と比較してしまい、う〜ん…という気持ちになってしまうのは、きっと私だけではないはずである。
演劇の全国大会の難しさは、年度をまたいでいるところだ。オリジナルの3年生が卒業してしまい、1・2年生でその穴を埋めなくてはならない。皆同じ状況ではあるのだが、ブロック大会に3年がいたか、いないかは大きく影響する。年度内開催を探る流れから、全国協議会では劇団四季による3月開催の全国フェスティバルを催し始めた。それが全国大会の年度内開催への道筋になればいいのだが、現実的にはなかなか難しい。ともあれ、そうした障害があった学校も多かったと思うが、結果としては、今ひとつの感が否めなかった。突き抜けた学校がない分、講師のチョイスもかなり偏向していて、統一見解を見ることができなかったと想像する。
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先日、横浜桜陽高校で横浜地区高校演劇連盟主催の「音楽座講習会」に参加した。そこで2日間に渡って、「泣かないで」のメインテーマとダンスをモチーフに講習を受けた。そんな流れで観劇をしたこともあり、1・2年全員と3年有志は大きな期待感で関内ホールを訪れた。相変わらず、音楽座色爆裂の内容だった。
これは94年〜95年にかけて、音楽座が当時の看板役者、畠中洋と新人今津朋子を擁して、まさに油の乗り切った劇団活動を展開していた頃の作品である。今回のプログラムには10年前の記述は一切なく、NEW音楽座のイメージを大事にしようという意図がみてとれた。もちろん、うちの部員達のように、過去の音楽座などは知るはずもない若い観客にとっては、どうでもいい話なのだが、やはり古くからの熱烈ファンにとっては、懐かしさも感じつつも、NEW音楽座への期待も大きい。次は「星の王子さま」らしいが、やはり待たれるのは公演計画のある、宮澤賢治「銀河鉄道の夜」である。新しい音楽座への期待が広がっている。
そういう意味で、今回の「泣かないで」はどうしても焼き直しの感が強かった。確かに前半戦で、戦後の時代をリアルに盛り込み、時代設定を明らかにしようとしていたのは、新しい演出であり(小道具もたいへんだったと思います)、リピーターにとっても斬新だった。しかし、元々朝倉先生の今回の美術が抽象舞台を目指していて、後半には、まったくそうした時代のリアリティがなくなていたのは、やはりつけ焼きばの感がした。せめて、ミツの病気の疑いが晴れて、駅から帰京しようというシーンぐらいは、リアリティさを追求できたように思う。時代色を出すには、やはり舞台の一貫性が必要ではないだろうか。
役者についてであるが、やはり新人の頃の今津と違い、よくも悪くも、「練れていた」と思う。第2回読売演劇大賞優秀女優賞をとった頃の彼女は、荒削りながらも、溢れ出す感性というか、情熱というか、観客に伝わるエネルギーが評価されての受賞ではなかったのか。練れたミツは、どこか落ち着き払い、客観的にみれば、軌道を失ったミツの人生彷徨を演じきれていないと思った。「捧げる」人生を歩んだミツの崇高さだけがピックアップされていて、逆に見れば、ミツの「転落」こそが、実はミツという人間を浮き彫りにしているのだから、そこが失われると、人間ミツではなく、神にも似た存在になってしまい、感動が生まれにくくなってしまうのだ。
あと、吉田朋弘演ずる吉岡は、正直に言えば、主役としての求心力に欠けていたように思った。確かに技術やルックスなど、主役の多くのファクターを持ち備えた役者だと思う。しかし、男性としての「華」に欠けると思ってしまうのは私だけなのだろうか。あとひとつプラスアルファが欲しいと思った。
随分と好き勝手はことばかり言ってしまった。こんな劇評をできる立場にはないが、音楽座への想いは誰にも負けないつもりでいる。こんな身勝手な熱烈ファンがいることをきっと音楽座も許してくれると思う。
早く新作で勝負してくれい! |
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第41回関東高等学校演劇研究大会/さいたま会場
於 彩の国さいたま芸術劇場
最優秀賞/秩父農工科学高校『サバス・2』
優秀賞/筑波大坂戸高校『絶対矛盾的緑望論序説』
〜ようこそグリーンマンパラダイス〜
岡谷南高校『変身』
作新学院高校『TSUBASA』
審査員/青木勇二・若杉民・内山勉・西川裕人・篠崎隆雄 |
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●「彩の国さいたま芸術劇場」の印象について
彩の国さいたま芸術劇場が開館当時から高校演劇に協力をしてくれている話は聞いていたが、何度来館しても、本当にすばらしいホールであり、スタッフだと感じる。今回の大会もTOPページの裏写真を見てもらえれば、わかると思うが、観客は満席であった。運営された教員、生徒実行委員の皆さん、本当にお疲れ様でした。気持ちよく観劇させていただきました。
●「秩父農工科学高校演劇部」の皆さん、おめでとう!
さて、農工演劇部の皆さん、若林さん昨年度に続き、おめでとうございます!年賀状に「あと2年。ますます高校演劇が楽しくなっています。どうしましょう。」とあり、ああ…これで「ますます」どころか「もうとまらないほど」になってしまったであろうと拝察いたします。どうぞ2年間を完全燃焼させて下さい。何はともあれ、おめでとうございます!
●「北関東大会」の水準について
今回の北関東大会は大変水準が高かったことと、内容がバラエティに富んでいて、いわゆる「比較できない」状況があったと思います。審査員の先生方の心中を察するに、本当に大変だったと思います。でも、納得の結果だったというのが私の感想です。
●劇評「第1日目」
それでは順番に劇評を加えていきたいと思います。群馬県代表の伊勢崎工業高校、竹内銃一郎の名作、『あの大鴉、さえも』。伊勢崎工業は毎年毎年、北関東常連で、その都度楽しまさせてもらっています。今回はどうも部員数が減ってしまったのかしら?もっとたくさん部員がいたような。まあそれはどうでもいいとして、この『あの大鴉、さえも』はもともと男3人のお芝居です。女子2名を混ぜてまで、この作品にこだわったのには何か理由があったのでしょうか。実際、台詞は女言葉に直していた。それでいて、銭湯のシーンでババシャツ洗ってのをどうして男のあなたが見れたんだ?とか、ロマンポルノ女優の三条るみが障ったであろうドアノブを、なんで女のあなたが「今夜はこいつを抱いて寝よう」とか言っちゃうの?とか矛盾点がいっぱいあって、観劇している側も、あるときは女になったり、男になったりと混乱してしまったりした。あと全体的にパワー不足だったことと、「笑い」のツボを演じ切れなかったことが残念だった。本来この作品は爆笑の連続の作品だと思う。幕開きで、水道の蛇口が詰まっていて(?)ポツンポツンとしたたり落ちる音から始まる。現代人のコミュニケーションすればするほど、行き詰まってしまう状況を山田家が見つからないことで示していく。しかしそれは最初からあった三条家が実は山田家だったという「解決」をみて、詰まっていた蛇口は全開になって、水が流れ落ちる。すっきりした気持ちで幕が下りる。今ひとつスッキリ感が足りなかったと思った。チョット劇評が長くなりすぎました(謝)。
次は秩父農工『サバス・2』。まっこと毎回お見事としか言いようがない。不条理の深さの点において、若林先生らしくないという気はしたが、十八番作品、別役の『天才バカボンのパパなのだ』を上手に劇中劇として取り入れ、実に最後まで飽きさせることなく仕上げた。大道具、小道具、衣装など、スタッフ面のすばらしさは、もちろん言うに及ばない。
宇都宮女子『振り上げすね打ちもう一本!』。生徒創作、すごい。なぎなたの扱いもすばらしく、道場存続のために家族が奔走する、心暖まる作品だった。おばあちゃん役は間違いなく名役者。他の役をやらせてもピカ一だろうと思う。ただ役柄設定、話の展開がが多少ご都合主義であった感は否めなかった。つじつま合わせがなく、もっと必然、自然であったら、良い作品になったと思う。
共愛学園『破稿 銀河鉄道の夜』。宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』のジョバンニとカンパネルラの関係をうまく現代に盛り込み、また『銀河鉄道…』のテーマを上手に借りながら、見事に仕上げた。クライマックスはBGMが優先してしまったことが残念だったが、汽笛の音とスモークを絡めた効果がすばらしかった。
柏崎高校『あなたのおうちはどこですか』。まったくもう!どうして審査員はこの作品を優秀賞に入れなかったのですか!やはりこの作品を入賞させる「勇気」が欲しかったです!正直言って演技的にはうまくないし、芸術的な側面から見れば、「難あり」なのかもしれない。しかし、あの一種特有のノリと間、そしてうまいと下手のギリギリの線をゆくはらはら感と笑い。どこまでこのノリで行くのだろうと思っていたら、とうとう最後まであのノリをまっとうしてしまった。まじめに偉い!工学院の堀江先生(元関東協議会事務局長)とも、この笑いのルーツは何だろうと話していたのだが、これはまさに「吉本新喜劇」のノリなのだ。全員で同じポーズをとったり、ずっこけたり、最後は人情芝居でしめくくり、全員がまるくおさまる。まったくもう私はこの芝居が好きだった!部員達とのディスカッションでも、この作品はとめどなく意見が出た。この日一番の盛り上がりをみせたと思う。高校演劇って何?と考えたとき、この作品は否定しないで欲しかったというのが、私の意見である。
新潟高校『夏芙蓉』。同作は神奈川でもかなりたくさん上演されていて、いわゆる今年の人気作品だ。丁寧なつくりだったが、ラストの花の美しさに比して、役者の想いが今ひとつこちらに伝わってこなかったのは何故だろうか。あと、全般的にテンポが一定で、芝居のメリハリがあまり出ていなかったように思った。もしかすると作品自体がそうしたつくりになっているのかもしれないが、発見や驚き、琴線に触れるような迫ってくるものが足りないと思った。
●劇評「第2日目」
松本筑摩高校『回転木馬とジェノサイト』。正直びっくりした。すごい脚本である。こんなスゴイ脚本を書く教師がいたことに驚いた。どうひっくり返っても私には絶対書けない。こうしたスゴイ台本を高校生に演じさせるのは、少し酷だと思った。難し過ぎますよ。プロの役者さんであれば、それなりに消化して、それなりに演じるのだろうと思うが、やはり高校演劇のレベルを超える作品ゆえ、生徒さん達は大変だったと思う。それにもめげずよく頑張ったと思う。
筑波大坂戸高校『絶対矛盾的緑望論序説〜ようこそグリーンマンパラダイス〜』。名前も奥深いが内容も奥深かった。人間が植物にされてしまうという近未来の恐ろしいお芝居なのだが、構成・展開もよく、役者も達者だった。笑いもおりまぜながらも、真摯にテーマ追っていった。生徒創作という点でも高い評価ができると思う。
岡谷南高校『変身』。見事な造形美である。宮本亜門の『変身』の演出が下敷きになっているとは思うが、見事である。高校演劇は何でもありだと言われるが、こういう取り組みが、その裾野を広げていると思う。カフカの持つ陰鬱たる世界をたんたんと描いていた。珠玉の作品だと思う。あとは役者にもう少し「パワー」があれば、最優秀賞も可能だったのではないかと思う。
作新学院高校『TSUBASA』。いつもの大垣ワールドが展開された。精密な舞台美術もさることながら、すみずみまで行き届いた芝居への情熱は大会一だと思った。ただ、農工の芝居がともするといプロ好みされる仕上がりだったのに比して、作新のはやはり観客を喜ばせる「大衆演劇」のつくりだったと言える。だいたい農工と作新と岡谷南をどう比較しろと言うのでしょう。審査員はほんとに困ったと思うね。すばらしかったです。
草加東高校『DELETE』。ごめんなさい!時間の都合で観劇できませんでした!
先日南関東大会終了後、掲示板に書き込みがあって、某高校が神奈川でぶっちぎりだったと言っていたが、関東大会で観劇したらがっかりした。神奈川って水準低い…云々、と。この「勝手に劇評させとくれ」は正直言って、誰からも批判を受けること承知で、書いています。私の劇評など、プロの方々からすれば、赤子同然のたわごとであり、高校生の皆さんから見ても、勘違いオヤジに違いないことは明白なのである。ですから、その矛先は、ぜひ私に持ってきてもらい、出場校に向けないようお願いしたい。あんた間違ってるよ!というのはいくらでもお受けしますので、そこのところはよろしく頼みます。
南関東大会の劇評はあとしばらくお待ち下さい。頑張って書きます! |
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音楽座『とってもゴースト』
2005年12月17日(土)於関内ホール |
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前回の『マドモアゼル・モーツァルト』に続く、音楽座第2弾、『とってもゴースト』を部員全員で観劇した。復活音楽座を目指す第1作については、かつての音楽座ファンからは賛否両論の作風となり、まあとりあえずは、よい意味でも、多少悪い意味でも、新・音楽座として再スタートを切った。
今回はそうしたイメージを払拭するためか?初演のリメイクにとどまる内容だった。確かに全盛期の音楽座ファンとしては、懐かしさに満ち溢れ、「そうそうこれこれ」などと、いにしえの音楽座に浸れたのは事実である。特にモーツァルトは小室哲也の音楽がなくなった不満が大いに残ったわけだが、今回は音楽もそのままに、皆納得したのかもしれない。しかし…しかしと思うのは私だけだろうか。確かにかつての音楽座に浸るのもいい。しかし、新生音楽座の方向性は果たしてそれでいいのだろうかと思う。リメイクではなく、当時の音楽座を越える新作を創ってこそ、本当の再スタートと言えるのではないだろうか。かつての音楽座ファンに再度リピーターになってもらうための、焼き直しであるならば、こうした展開も納得できるのだが。この先の興行展開を見ていくと、焼き直しばかりで、必ずしもそうとも思えない。宮沢賢治作品はどうなっちゃったのですか?とか、新作の書き手がいないんですか?とか、音楽は高田さんはもう新曲書いてくれないんですか?とか、やはり新展開への期待が強いだけに、今の方向性には一ファンとしては納得がいかないのだ。私を使え!私を!などとあつかましさ爆裂。
『とってもゴースト』よかったです。Wキャストになっていました。モーツァルトと違い、稽古不足の感はありませんでした。わかりやすいストーリーと役者さんの久々の「音楽座歌い」を聞けて、とっても心温まりました。 |
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2005年度神奈川県大会を斬る!
2005年11月19日(土)〜20日(日)
県立青少年センターホール |
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ともあれ、お疲れ様でした。今年の県大会は面白かったね〜!というのが、会場のお客様の大方のご意見のようだ。昨年度がどうのこうのとは言いたくないが、間違いなく今年の県大会は内容のバラエティさも、レベルも数段上をいっていたと思う。県大会はやっぱこうでなくちゃ!というのが、まずは私の感想。
さて、劇評といきたいのだが、その前に…私は今回は(も?)、舞台の世話役をさせていただいたので、舞台袖からしか観劇できなかったこと(当然お芝居は客席で観るのが当たり前で、演ずる側の意図がきちんと受け止められていないかもしれない)、また、自らも出場校の顧問だったこともあり、自分達の上演前後は観劇できなかったこともお伝えしておく。そういうわけで、概評的なコメントしかできないことは、ご容赦願いたい。
個人的な話になるが、今年から事務局に返り咲いたので、大会当初からやりたいと思っていたことがあり、実行させていただいた。青少年センターで行われた「大会参加校全校に義務づけた説明会」での「舞台心得」の冊子の配布である。私の完全オリジナル冊子である。この冊子を配布したのは、偉そうな言い方になるが、神奈川の高校演劇のスタッフワークを少しでもレベルアップさせたいという想いからである。関東大会や全国大会のスタッフをしていて思うのは、神奈川代表の生徒の舞台に対する意識の低さである。礼儀もわきまえなければ、舞台の約束事も知らない、舞台監督が何も指示できない…などなど、とにかく他県の鍛えあげられたそれとは比較にならない状況を憂いていたからだ。たかがそんな冊子の配布で、いきなりスタッフワークが向上するとは思えないが、それでも私の事務局員としての使命のひとつと感じて、これからも働きかけていきたいと思う。まもなく私が中心になって、県連盟の公式HPを開設する。そこにスタッフワークに関する質問に答えられるコーナーをつくりたいと思っている。どんなことにでも対応できるよう、私個人もまだまだ勉強を続けたいと思う。こりゃ蛇足でした。
今年の出場校はどの学校もかつてないほど、舞台の約束事を守ってくれた。その裏にはセンタースタッフの細かな指示なり、配慮があったことは言うまでもない。同時に生徒実行委員のスタッフ達が実に責任感をもって働いてくれたことも見逃してはならないと思っている。出場校とそれを支えるスタッフが調和すると、今回のようなきちんとした大会運営につながることを実感した。実は来年度は関東大会が神奈川で開催される。少し見通しが明るくなったというのが、本音である。
前置きが長いが、もう少し。今回センタースタッフの責任者の浜田さんと事務局との、裏でのあるやりとりがあったので、ぜひ紹介したい。関東大会や全国大会では、リハの時間や本番前の準備の時間は厳しい計時があり、極端な場合は(山形大会の際に実際あった話だが)、審査対象外となる。茨城などは、舞台袖に境界ラインを引き、タイムウオッチを持った計時係の先生が、「まだ入っちゃダメよ〜」などと言いつつ、カウントダウンをして、舞台の準備を始めさせるというスタイルをとっている。そうした流れをくんで、神奈川県大会も計時を行い、さすがにオーバーした学校を審査対象外にしたりはしていないが、厳重注意というかたちをとっている。コンクールなのだから、至極当然と言えば、当然なのである。しかし、そうした方法に浜田さんが異論を唱えたのだ。「こんなやり方を続けてたら、神奈川の高校演劇はどんどんダメになっちまうぞ。コンクール用に装置は小さくなっていくし、準備に時間がかかる仕掛けなんかも、どんどんなくなってくよ。俺達は高校生がやりたいことを実現させるために手伝ってんだ。上に行く学校のために手伝ってんじゃなくて、県大会に来た学校のために、俺達がやれることはすべてやってやろうと思ってやってるんだ」と。これは正直事務局員全員の心に大きく響いた。取り決めたわけではないが、時間時間とあおるのはやめようという暗黙の了解を持って、今回の大会運営をスタートさせたのだ。しかし、結果的には時間制限を越えた学校はひとつもなく、逆にタイムテーブルは30秒とずれることなく、見事な(もう完璧な)進行で幕を閉じたのだった。
こうしたセンタースタッフの熱い想いと、出場校、実行委員達の協力があって、この大会が運営されていたことを報告したいと思う。ぜひ来年も、センタースタッフに頼るところは、しっかり頼って(色々勉強をして)、自分達の責任の部分は甘えることなく、しっかりこなし、コンクールながらも、中身のある発表会にして欲しいと、切に願うばかりである。
やっと劇評である。まずは何はともあれ、清泉女学院高校の「七人の部長」である。ぶっちぎり最優秀賞、おめでとうございます。やがて、得票は公開されるので、言いますが、ぶっちぎりでした。というより、ぶっちぎりで当たり前の内容だった。何がすごいかと言えば、物言いのすばらしさである。切れのある台詞まわしは、日頃の訓練のたまものとしか言いようがない(演劇部の部長さん役、ガンバって!)。かつての法政二高の「怒れる十二人の男たち」でも、同様の感激を持ったが、ああいった台詞劇を巧みにこなせる力量は、必ず上部大会につながっていく。また、テンポの良さと絶妙な間の取り方は、まさに全国レベルと言っても過言ではない。うちの学校も見習わなければならない。
この作品は数年前の全国大会最優秀賞受賞作品である。もちろんこれは結果論でしかないのだが、関東、全国を勝ち抜いていく際に、神奈川オリジナルでなかったのが残念でならない。嫌な言い方になるが、我々は「保障付台本」と呼ぶ(障害者をテーマにした作品を「禁じ手台本」と言ったりもする)。もちろん真摯に取り組んでいることはわかっているのだが、コンクールという性格上、気持ちの上で引っ掛かってしまうのは、恐らく私だけではない(非難轟々かしらん)?あとで触れるが、渕野辺高校の「やっぱりパパイヤ」も同様で、たまたま今年の神奈川代表2校が、最近の全国最優秀賞受賞作品だったのだ。う〜ん…なのである。
あえて、オリジナル「七人の部長」と比較する。本家本元は、七人の各部長のキャラに即した「物言い」がなされていた点である。たとえば、手芸部の部長はなるほど手芸部部長らしい話っぷりだし、アニメ部部長も各運動部も、なるほど各部の特徴を出した話っぷりなのだ。このキャラの立て方が清泉の場合、まだ甘い。物言いとテンポの良さがあまりに良いので、その妙味に驚かされてしまい、なかなかキャラ立てに気がつかないというのが、今回の審査の中身だと思う。いや、もちろん他との比較において、群を抜いていたことは論を待たないのだがね。そういう意味で、関東に向けて、そのキャラ立てが課題ではないかと思う。あと装置として立てられていた、単純な書割はいただけない。囲えばいいというものではない。部屋の形にでこぼこをつければ、アクティングエリアにも変化をつけられるし、ドアの後ろの隠し壁もないし、何よりドアの作りをもう少し精密にすべきだ。汚しも甘い。
それでも総合力は一番である。しかしながら、このままでは関東大会優秀賞(3番手)で終わってしまうと思う。瀧先生、ぜひ、改革の道を!
次に渕野辺高校「やっぱりパパイヤ」。伝統というのは恐ろしい。5週間前に作品変更になった話は佐藤先生から聞いたが、この短期間で作品として体をなしてしまうのは、やはり実力か。うちなどは6ケ月の歳月をかけ、台本は第7稿目、6回の本番ステージを経て、今回に至っている。絶対保障付台本でも5週間では仕上がらない。そういう意味では見事である。
今回の渕野辺の舞台は、印象として、「こじんまりまとめすぎ」という感想を持った。細かい演出は芝居づくりの大変重要なファクターなのだが、そこにこだわりすぎると、全体像として求めている部分が曖昧になってしまう。特に(ある意味)群集劇というのは全体像が大変重要になると思う。もともと渕野辺の伝統とは多少荒っぽいが、個性の強い役者達が芝居全体をぐいぐい引っ張っていくというスタイルだと思う。それを知っているだけに、そうしたエネルギーのベクトルが、こじんまりとまとまる方向に働いてしまったのが残念でならない。キャラの強さが足りないと思った。これは千葉の強豪、薬園台高校の代表作品なのだが、やはりオリジナルのダイナミックさ、繊細さ、キャラ立てのすごさは、申し訳無いが比較にならない。渕野辺オリジナルとして、何を求めていこうとしているのか、そこをしっかり話し合って、練り直して欲しいと思う。
あと、出演順に審査は関係ないと言われているが、日曜日ラストというポジションは、結果的に観客を味方につけたと思う。土曜日1番に上演していたら、どんな結果になっていただろうか。もちろん観客動員もされた結果だと思うが(うちも200人の動員をかけてるぐらいですから)、熱演されていた光陵高校などは、本当に気の毒だった。あの人数では、誰に向かって演技すればよいのか、分からなくなってしまうと思う。何やらいちゃもんばかりつけて申し訳ないが、強豪渕野辺だからこそ、こうした庶民レベルの苦言も受け入れて欲しいと思う。ちなみに関東高校協議会50周年記念誌のラストページに佐藤先生といっしょに関東事務局をやっている斎藤先生のコメントが載っているので、そちらも読まれてみるといいかも。
次に上溝南の「てんとうむし」。柏木先生の作品は山と観た。その中では正直あまり好きではなかった。8月のアートスフィアを経ているので、完成度は高いと思ったのだが、登場人物が突飛だったせいか、現実味に欠け、芝居に入りこめなかった。Jリーガーの野人岡野は個人的に好きなのだが、彼の登場で、作者の想いの強さが先行して、いよいよ私は取り残されてしまった。とはいえ、さすが創作脚本賞受賞作品だったこともすごいし、肉体訓練の積まれた役者達の身体表現はいつもながら、さすがであった。
さて、言いたい放題してしまったが、一番指摘されなけらばならないのは、大船高校「パス&キャッチ」である。もう何でも言って下さいっていう感じだが、取り合えず自省を。言い訳になります。元は1時間40分の作品でした。それを切って切って、切りまくり、1時間10分の作品に。さらにテンポ詰めをして、60分に。いやあ無理し過ぎた。台詞は早口で、あれでは内容が伝わらない。さらに。作品が映像的過ぎた。新羽高校の篠崎先生のキツーイ言葉を借りれば、「テレビドラマから卒業しなくちゃダメだよ」ということか。わかりやすいストーリー立てが、逆に芝居らしくない印象を与えたのかとも考えた。確かに場転は見せる暗転を心がけたのだが、映画ならいざしらず、芝居としては違ったのかな?と思う今日この頃。また、連盟顧問の西之園先生の言葉によれば「ありきたりな題材を取り込み過ぎ」と | | |