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御挨拶 片瀬写真館の歴史
店頭の今昔 戦前まで 戦後 現在
片瀬写真館の歴代 初代 二代目 三代目*
*現在の撮影担当です


御挨拶
 
ようこそ、片瀬写真館のページへ。藤沢市片瀬海岸の現在の場所に、先々代が開業し百年になりました。藤沢で一番古い写真館です。

スタジオは当時のものを改装を重ねて使用しております。
店頭は、平成の改装で、創業時大正モダンを想起させるレトロ調クラシカルにデザインになっています。

 写真館の伝統を守りつつ、湘南という土地柄ならではのお客様の品格を大切に、お一人お一人丁寧に撮影させていただいております。
撮影コンセプト、スタイル、センスなど、写真館によりそれぞれで、特に記念写真にはスタジオの特徴が出るものです。


 場所は「江ノ電の江の島駅」から観光スポットの「江の島」に向かって70メートル程のスバナ通り沿いです
一度お店の方にお運びいただき、ショーウィンドのお写真をご覧いただけましたら幸甚にございます。

皆様のお越しをお待ちしております。 片瀬写真館  一級写真技能士 熊谷美波



*ホームページのお写真について

 当館のホームページ、店頭等のお写真は、ご来店されたお客様を撮影させていただお写真から、お客様に許可をいただいたもので、お作りしております。

 大手やチェーン店では、カタログや見本用作成用に、プロのモデルや、カメラマンも社外のプロカメラマンを使っての撮影をしているようですが、それとはまったく違います。
 
当館のページとお見本は、すべて片瀬写真館の熊谷美波が撮影したもので、これからもご来店すべてのお客様の撮影を担当させていただきます。
 また、ホームページやウインドへの掲載については、これからも勝手に掲載する事はございません。記念写真撮影時にお客様皆様に確認しておりますので、安心してお越しください。




片瀬写真館の歴史

関東大震災でも倒壊せず、太平洋戦争時代も被災しなかった写真館の建物は、改装しながら現存しておりますが、そのおかげで、当館には沢山の近現代の歴史的資料が残っています。
現在は、片瀬写真館としては、スタジオでの営業写真を中心に撮影をしておりますが、このページでは、片瀬写真館歴代のプロフィールとともに営業写真以外の側面で、地方文化の保存に寄与してきた、地域に密着した写真館の歩みをご紹介します。昔の事に興味のある方はごらん下さい。

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戦前の片瀬写真館
2階のスタジオ。自然光を遮蔽幕などで操作するスランドという設備です 大正時代の店頭 昭和10年代の店頭。ローマ字看板は太平洋戦争で外されました。右下、今でも大事にしている治純が凝って施工させた柄のタイル


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戦後の片瀬写真館
昭和23年頃の店頭。スタジオの光源も、煙と灰の出るマグネシウムから写真電球(タングステン)に。
大型ビューカメラの撮影にはまだ乾板が使われていた頃。北側の壁には、電車の模型の棚が。
昭和末期の店頭。DPが盛んだった頃。
最近、DP屋さんは少なくなりました。
昔はよく雪が降りました。

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初代熊谷治純の時代
祖父母 左が初代
大正10年 祖父母の婚礼写真
このイスは、今も張り替えて大切に使っています
ラジオの試験放送受信。
このラッパ型のスピーカーは、今も大切にしまってあります
 横浜市不老町で貿易商の家系であった熊谷治純が、慶應在学中、当時は新しかった技術、写真に興味を持ち、大正2年、母の療養の地で隠居所のあった気候温暖にして風光明媚な片瀬に開業したのが、片瀬写真館のスタートです。その時、現在も片瀬写真館の顧客であります七里ガ浜「鈴木病院」の先代に相談し、「写真館として、今以上の事がやれるのであれば、開業してみなさい」とのアドバイスをいただき、奮起して開業した、との話が残っています。

藤沢では一番古い写真館で、その当時の事や片瀬写真館の歴史は、平成15年8月から10月に藤沢市民ギャラリーで藤沢市博物館担当の主催で開催された「ふじさわ古写真館」で 紹介されました。その時の資料に「当時、写真館は、写真の撮影ばかりでなく、写真と縁の深い印刷・出版事業を通じて文化に寄与してきました。熊谷治純氏は、多彩な事業を展開しましたが、独自の印刷部門を持って、絵葉書やみやげもの、案内書を数多く出版して、江の島や片瀬を紹介しました。」とあります。
開業当時からしばらくは、カメラ自体持つ人が少なく、警察で事件が発生しても記録写真の為に呼ばれていたそうです。多くの技師をかかえ、観光写真、学校写真も手がけていた初代は、関西の私立校などに営業活動をかけ、印刷部門も持っていました。

 2003年8月31日には、NHKで「藤沢の写真館で貴重な資料が発見されました」というニュース報道がされました。2003年は、関東大震災80年でしたが、その折当館の初代熊谷治純が、横浜で被災したあと、歩いて片瀬に戻り、さらにカメラをかついで再び横浜から、鎌倉、藤沢、そして箱根までも交通がストップしている中、歩いてまわって撮り残した記録写真が紹介されたのですが、NHKが調べたところでは、個人でこのような広範囲の記録を残したものは、非常に珍しいもので貴重との事でした。

先代は、当時はまだまだ新しかった写真というものの研究だけでなく、地元の絵図を作成したり、絵はがきを発行したり、と多彩な人物でしたが、これらの資料も今となっては、当時を知る歴史的資料として貴重なものとなっており、昨年江の島に開園しましたサミュエル・コッキング苑の中の新展望灯台の「資料室」にも、「片瀬写真館発行の絵図」が展示されています。
祖父の開業当時は、写真機というものが普及しておりませんでしたが、新技術をもって、手広く仕事をしていましたが、利益の為だけに働いた人ではありませんから、明治23年生まれの祖父が数え70歳で寝込んで昭和34年亡くなるに至った原因は、朝、富士山が綺麗だからと、良い写真を撮りたいが為、一人で出掛けていって、駒ヶ岳で寒い中7時間もの間雲の晴れ間を待った事で体調を崩したからと聞いています。
特許もとった脚立付きの三脚。これに乗ってカメラを覗き込むのはかなりこわい。


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二代目熊谷守美の時代
父母の婚礼写真の一枚 2003年−当時立て替えられた江の島の展望灯台で
昭和中期−片瀬の自宅での模型運転会
江ノ電70周年、江ノ電デパートがあった頃の写真展

労働大臣認定 一級写真技能士(昭和61年)。一級婚礼写真士(昭和51年)。

戦後、初代の長男であった熊谷守美(私の父)が撮影の仕事を継承。昭和の時代は、一般に小型カメラが普及し、白黒→カラーと、DP全盛の時代でした。片瀬写真館でも、父の弟達が、DP部門を受け持ち、カメラ、材料販売などもしていました。
40年代までは、婚礼写真の撮影が盛んでした。

熊谷守美の趣味の一つは、電車です。江ノ電の写真等でも有名(2002年の江ノ電100年の時は、NHKはじめテレビ、ビデオ、書籍などで多数紹介されましたhttp://www.shonan-yomiuri.co.jp/269/enoden.htm)ですが、昭和30年代流行した「Oゲージ」模型の制作でも、その分野ではかなり知られた人物です。
当時の模型は、現在のプラモデルのように、型が出来ているものを組み立てて彩色するものではなく、設計図も自分でひいて、木や厚紙で一から製作するものした。
手先の器用さは、カメラの改造、自作のカメラアクセサリーなどにも活かされていました。

郷土史の研究も趣味で、記憶力が良い上、古い事をいろいろ調べ、地元の生き字引などと言われるような年齢になってしまっても、お天気が良ければ富士山を、新車が入るといえば、江ノ電や小田急の撮影に出かけていました。
江ノ電は広告電車が次々変わるので、アルバムがいっぱいのこっています。
(江ノ電の古写真のページ参照)
体調を崩して入院をしても、リハビリに行っても、最期まで一眼レフをカメラを手放さない父でした。

2007年5月没。
2006年9月。金婚の記念に。↑→
機材のテスト撮影の時は、いつもモデルになって
もらっていましたので、父のポートレートは沢山あります。
 「誕生日には写真を撮るものだ」と毎年自分も撮っていました。

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現 在 三代目 熊谷美波
現在は、3代目熊谷美波。一級写真技能士(銀塩・デジタル)

父(熊谷守美)はもちろん、母(熊谷蓉子)も写真館の出身。祖父は二人とも写真館主です。
親戚も2軒が写真館を営む他、写真関係の仕事に従事する者が多数の、『写真ファミリー』に生まれました。

幼稚園から、父に小型のカメラ(今みたいに全自動のコンパクトはありません)を持たされ、撮影してくれば、出来上がりを一枚一枚チェックされ、どこが悪い、どうしたら良かったのに、と怒られていました。それが嫌で小学校の遠足の時には、カメラを忘れたふりをして、うちに置いてでかけた事があります。喜んでいたのもつかの間、父にバスのところまで届けられてしまいました。
幼稚園の遠足で、ポニーに乗せてもらった友人を撮ってあげたのが良く撮れていて、御母様に大変喜ばれて何かいただいたのが、最初の仕事かもしれません。

メーカー勤務の後、29歳の時、いつのまにか培った写真のセンスと技術を活かし、老舗写真館をなくしたくないから、と継承。

 地元藤沢の為に、数々の奉仕活動にも積極的に参加し、その中では自分の得意分野としての記録を残し、何より、先祖が撮り続けて来た歴史的価値のある文化遺産を残す事こそが自分の使命と考えています。その為にも写真館の営業活動にも力を入れねばなりませんから、日夜努力をして技術の研鑽に励んでまいりました。

御客様に喜んでいらしていただけるように、と時代に即した勉強をしてきた私は、着付けを習い、フォトメイクを習い(2003年8月フォトメイクアドバイザーとしての全課程を修了しました。今は、直接メイクをする事はあまりしませんが、オリジナルなデジタル修整技術に応用しております=オリジナルデジタルフォトメイク)、そして当時業界では二の足を踏む方も多い中、2003年の米国視察を機にデジタルもいち早く取り入れました。

一級写真技能士のデジタル部門は、神奈川県で最初に合格いたしました。
技術革新にともない(カメラの性能の向上)、カメラ操作や暗室作業よりも、撮影センス、デジタル仕上げ技術の時代になりましたが、一生勉強だと思って頑張っております。

私の得意は、ポートレートと家族写真。
過去百年間の写真を見て思う事。良い写真はいつみても素敵だということ。
それと、写真館の写真と日常のスナップとの違い。
時代に流され安っぽいものに仕上げる事には抵抗を感じ、当地湘南の風土にあった流行廃りのない独自のスタイルを築いてきました。

趣味の写真は犬の写真。デジタル修整も最近の得意です。

 新しい機材や、ライティングを考えた時、まずは、自分を撮ってみます。写真写りや表情についても研究してきましたので(御客様にもアドバイスいたします!)から、もちろん実物よりはずっと綺麗にとれますが、まずは自分で、出来上がった自分の写真を見て、嬉しくないような写真は作らないようにしています。写真は、撮るのも撮られるのも楽しいと思います。
家族写真も、自分の写真も、月日を経た後「あの時撮っておいてよかった」と思うことはあっても、「撮らなきゃよかった」と思うことは絶対にありません。 多くの皆様に、よい思い出となるお写真をおつくりしたい一心です。

2005年頃
片瀬写真館スタジオにて
今はなつかしいフィルムカメラ
 2014年追記  デジタルフォトメイク 2022一部改変

フォトメイクアドバイザーの経験を活かし、
「デジタルフォトメイク」
を開発いたしました。
 →詳しくは、こちらごらんください。
  
 

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店頭とスタジオの様子
2002年4月。店頭部分を改装しましたが、出来るだけ昔の面影を残しました。今はこういう感じです。この頃わんちゃん連れの御客様が多くなりました。わんちゃんを繋ぐ金具が内外にあります。 創業時の家具も残っているので、合わせて自分でデザインしたカウンター(2002年4月)
1階のロビー。2002年4月の改装オープンの時の写真です。 現在の2階のスタジオの様子。いろいろなバックをコレクションするのも趣味です。服装に合わせて使い分けています。マウスをのせると、お気に入りのバックに変わります。
(室内柄は現在、制作しなおして更新されています
)

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